十和田湖国際ピアノコンクール。

 そのコンクールは四方を山に囲まれた十和田湖のほとりに佇む「十和田湖シンフォニーホール」で四年に一度行われている。十和田湖シンフォニーホールが完成した年に第一回大会が行われ、その年で第六回を数える。

 このホールはオーケストラを中心としたコンサート用に建設された。

 このホールの最大の特徴は一年間で使用される期間が限られているということだ。

 一つは毎年五月に行われる「十和田湖国際音楽祭」。国内のプロのオーケストラ、県内のアマチュアオーケストラ、そして海外のオーケストラなどを招いて、ゴールデンウィークを中心とした二週間の間に数多くのコンサートが行われる。海外のオーケストラファンも十和田湖旅行と合わせて多く押し寄せ、人気の音楽祭としての評価を確立している。

 そして、もう一つが十一月に行われる「十和田湖国際ピアノフェスティバル」である。

 このフェスティバルは一ヶ月という期間を通して行われ、ピアノ奏者のソロリサイタル、室内音楽などのコンサートが毎日のように行われる。それらのフェスティバルの目玉として、十和田湖国際ピアノコンクールが開催されている。一次予選から本戦まで毎週日曜日に行われ、本戦優勝者にはフェスティバルの最後を飾るガラ・コンサートで協奏曲を演奏できるという特典がついている。

 十和田湖国際音楽祭同様、国内国外から多くのファンがこの十和田湖を訪れ、コンサートを楽しみながら、それと同時に国際コンクールの緊張感も味わうことができる。

 このコンクールは「若手の登竜門」とされていて、歴代の優勝者の多くは十代であり、その後海外の主要ピアノコンクールの入賞者として名を連ね、その後もピアノ奏者としての名声をほしいままにしている。下は小学生、上は大学生までの若きホープたちが一堂に会する。

 その本戦の舞台袖に、八重樫透はいた。

 本戦に残ったのは六人。そしてここまで四人の演奏が終わり、透は刻一刻と近づいてくる自分の番をじっと待っていた。

 本戦は東北のプロオーケストラとの協奏曲が課題。設定されている課題曲の中から一曲を選び、順位を決める。一人前の演奏者はショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第一番を選び、演奏した。透は曲の最終盤で舞台袖に来たため、最後の部分しか聴かなかったが、自分が思ったよりも冷静に聴けた。僅かなミスタッチや曖昧な音の処理の仕方が耳に入るたびに、心臓の鼓動が収まっていくのを自覚した。

 透は今回のコンクールで結果が出せなかったら、プロの道を断念しようと心に決めていた。

 これまでも国内の音楽コンクールに参加し、入賞をしてきたものの、決定的な結果を残すことはできずに終わっていた。大学二年のときにはドイツへの留学も行い研鑽を積むなどしてなかなか結果に繋がらない。そのことに対して透は焦りを隠せないでいた。

 透は今回の決断に至るまでも様々な葛藤の中で大いに悩んだ。四歳からピアノを始め、小中高などの思春期や大学の四年間のすべてをピアノに注いできた。プロのピアノ奏者として活躍するために、ピアノと共に人生を歩んでいくために、他のすべてを犠牲にしてピアノの練習に明け暮れた。

 だからこそ、ピアノの道を断つということは、透の中ではそれまでの二十二年という歳月を全否定することにも繋がっていた。これまで犠牲にしてきたものは犠牲ではなく、ただの犬死として姿を変え、歩いてきたと思っていた道を振り返ると、すぐ後ろは断崖絶壁になる。そんな感覚に襲われる。

 しかし無情にも時間は過ぎ、もう大学を卒業する年になっていた。これまで歩んできた道を振り返るよりも、これから歩み始める長い道を整備しなくてはならない時期まできているということは透も十分理解していた。音大の指導教授とも何回も話し合いを重ね、ついにこれを最後のコンクールにするという決断に至った。

 苦渋の決断の一方、そうやって一度吹っ切れると、不思議と肩の荷がふと軽くなったように感じた。本戦までの予選も思い詰めることなく、自分の思い描いた音楽がすらすらと出てくる。三次予選までは苦もなく突破し、良い状態でこの本戦に臨むことができた。

 薄暗い舞台袖の中で、透は明るい舞台をじっと見ていた。

 この明暗のコントラストは、今の自分の状況ではないかと透は見立てる。

 暗闇の中で模索していれば、その先にある明るい世界にいつかたどり着ける。

 自分は舞台の上で明るい照明を浴び続けるべき人間なんだ。

 暗い舞台袖の中でじっと明るい舞台を見続けるべき人間ではない。

 自分は舞台袖から、舞台へ行くんだ。

 透はそうやって自分を鼓舞した。

 時間がやってくると透は舞台へと進む。満席の客席からは大きな拍手が起こる。舞台の中心では漆黒の躯体が待ち構えている。透に喜びと苦しみを与え続けてきたこの躯体。透は「これでさよならかも」と思いながら、そっと左手を添えて、客席に対して頭を下げる。

 ブラームス作曲、ピアノ協奏曲第一番。

 その巨大さは他の協奏曲を圧倒し、演奏時間は五十分にも及ぶ。

 指揮者が右手を振り下ろすと、大地を動かすような低音が響く。透はその地響きのような音を体全体で感じる。じっと前を見据えて、音楽に自分の体を同化させる。叫ぶような弦楽器が合流し、トゥッティは激しさを増していく。曲に込められた苦悩、葛藤が透の体に流入し、そして毛細血管を通じて指先へと伝わっていく。透はそっと両腕を鍵盤の上に乗せる。

 曲が開始して約四分後、管弦楽器の合奏が引き潮のように静かに収束していき、わずかなパルスに誘われるように透は鍵盤を叩いた。

 透は一心不乱にピアノを奏でた。初めは指の先に集中していたエネルギーが、曲が進行していくにつれて体全体に行き渡り、その勢いは脳にまで到達する。何百回、何千回、何万回と繰り返し引き続けたパッセージがここに再現される。

 耳からは管弦楽の雄大な旋律と自分が奏でるピアノの音が融合し、巨大な滝のように流れ込んでくる。体内の渦巻く負の記憶と共に正の音楽がさらに混ざり合うことで透の中に圧倒的な「生」の感覚が生まれてくる。

 喜びや悦楽という感覚を超えたところにある「生」の感覚。その感覚をしっかりと噛み締めながら透は鍵盤を叩き続けた。

 ピアノの譜面が途絶え、再び弾き始めるまでの間、透の頭の中には様々な考えが浮かぶ。

 自分はピアノ奏者として生きていくためにピアノを弾き続けるのではない。この「生」の感覚を噛みしめるためにピアノ弾くのだと理解する。ピアノを弾くために、ピアノを弾くんだ。そして、明日ピアノを弾くために、今ここでピアノを弾くんだ。透はそう心の中で叫び、また鍵盤に向かう。

 三楽章が始まるとアレグロのテンポに乗せて駆け抜けるように奏でる。このままどこまでもいつまでも弾き続けられる。そんな感覚に襲われる。 

 終末部に入り、冒頭のこの世のすべての苦悩を体現したような低音とは打って変わって、長調の上昇音型が繰り返し提示され、そしてカデンツァに突入する。

 すべての菅弦楽器は音を奏でるのをやめ、透のピアノの音だけがホールの中に響き渡る。

 音が照明の光に反射して輝いて見える。

 空気の振動がはっきりと目に映る。

 この瞬間のために、すべてがあったんだ。透は確信する。

 管弦楽が再び現れ、終結に向かって音楽が高揚していく。

 突き抜けろ、透は心の中で唱え、指を走らせる。

 最後のフェルマータが終わり、残響が消えた瞬間、嵐のような拍手が生まれた。

 透は肩で息をしながら立ち上がり、その拍手に応えるために礼をする。すると、それに応えるように拍手が一層大きくなる。

 演奏は限りなく完璧に近いものだったと、透は確信する。

 すべてを出しきった透の体の中にはただただ達成感だけが飽和していた。

 顔は思わず綻び、もう一度礼をする。拍手はいつまでも鳴り止まない。

 透は指揮者と握手をし、舞台袖へと戻る。舞台袖へ向かう間も、体内に充満している喜びをじっくりと噛みしめる。

 今回こそ、今回こそ、と透は何度も反芻する。

 舞台袖に着くと、傍に置いてあった椅子にどさりと腰掛けた。疲労が一気に体を駆け巡り、充実感を一掃する。しかし、その疲れは決して嫌なものではなかった。

 透はしばらく椅子から立てずにいると、最後の演奏者が舞台袖から舞台へと出て行くのが見えた。

 透はその幼さの残る背中をじっと見送る。

 最終演奏者、本戦最年少、佐川公彦の背中を。

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