第3話 好きと嫌いは紙一重 3
終わった。
人生ではない。春休みが、だ。たった二週間、されど二週間。
まるで有給を終えて、再びブラック会社に戻る社畜の気分、いやそもそもブラックなら有給すら認められないか。
重い足取りで学校へと向かっていた。今日は始業式で二日後に入学式。部活の勧誘やら生徒会の仕事やらで同級生達はこの一週間はまさに社畜精神だろう。
無論、何も所属していない俺はいつも通りの学校生活だ。強いて言うなら、新しいクラスに五日市さんがいるのかどうかという懸念があるくらいだろう。友人とまではいかないものの、彼女がいるだけでもクラスでの立ち振る舞いがしやすいからだ。
家から学校までは自転車で二十分程度。電車を使わない距離という条件で高校を選んだので丁度いいくらい。それにこの時期は通学路の川沿いにある桜の木が満開で少しばかりかは楽しい気分になれる。
最もここを超えると、ちらほらと制服姿の少年少女達が目に入る。同時にこちらに向けて、含んだ視線をどんどんと突き刺さっていく。
ああ、またこれか。もう半年前になるというのに随分と尽きないものだ。さっさと行ってしまおう。
学校に着くと、昇降口付近に生徒が集まっており、すぐ傍の掲示板には既に新クラスが発表されているのであちらこちらから喜ぶ声、悲しむ声等が上がっている。
確認しに行くと、きちんと二年三組の一番最初に名前が見つかった。こういう時、名前があ行なのは見つけやすいのでありがたい。それで……。
「あ、いた」
思わず声に出してしまった。
視線は男子ではなく女子の一番最初。苗字が"い"から始まるので、高確率で最初になる事が多いと思っていたが、やはりそうだった。
「げ、また雨宮と隣じゃん」
聞き慣れた声が隣から聞こえ、目をやると五日市さんが掲示板を見ていた。
「あ、これはこれは五日市さん。新年度明けましておめでとうございます」
「これはこれはご丁寧に。こちらとして今年度こそはよろしくしたくなかったけど。てか担任、また香川じゃん。うわぁ……」
「うわー、これで委員長を二年連続ですか。すごーい」
そう言うと無言で脇腹に拳を打ち込んできた。地味に痛いので辞めてもらいたいがこれもある意味スキンシップだ。
しかしひとまずは一安心だ。彼女がいるだけでも学校内の困り事に対して助け舟があるのだから。
「という訳でまたしばらくは隣の席ですが、よろしゅう頼みます」
「はいはい。さっさと行くよ」
「へいへい」
兄貴に従う舎弟の如く、そのまま横に並んで、教室へと向かって行く。
「そういえば彼氏さんとは仲直りしたの?」
「あの男はコンクリート詰めにして、東京湾に沈んでる」
「経緯的には和解に至らなかった、と」
「向こうからの条約破棄だから。こちらも望み通り戦争してあげたの。そして私が勝った、それだけの話。更に言うなら、付き合っていたかどうかも分からないくらい曖昧な関係だったわ」
要は喧嘩の原因は向こうにあるので私に非がある訳ではない。よって彼氏が頭を下げないのでそのまま別れた。こんなところか。
「ま、元々円満って訳でもなかったし、頃合いだと思ってたから丁度よかった」
「ここだけ聞くと、女って怖い」
「……女は怖い生物よ」
ちょっとだけ間が空いたせいか、彼女は顔を背けてしまった。気を遣わせてしまったのだろう。本当にほとぼりが冷めないもんだ。
「ねえ、雨宮。今日って放課後空いてる?」
「え? もしかしてデー」
「最後まで言ったら殴る」
「デーモン・ライト・リバーって言おうとしたんだ。いやー最近流行ってるよな、デモリバ」
「何それ」
もちろん実在はしない。先週最新刊が発売された『俺と彼女の中二病から生まれたラブコメ』に出てくる架空のバンドだ。あまりに特徴的な名前なので覚えていたのだが、このバンドの演奏を機に主人公とヒロインの距離感が急速に縮んでいき……。
「それで? 空いてる?」
五日市さんの声で現実へと戻された。いつの間にか脱線してしまったようだ。
「残念。今日はこの後」
「友人も彼女もいなくて、部活もバイトもしてないのに?」
「……」
無言で教室へと進んで行く。彼女は「あとでまた聞く」と言って、既に中にいた新しいクラスメイトの元へと駆け寄っていく。相変わらず顔が広い事で。誰にでも隔てなく接する人辺りの良さ、それが五日市侑奈の特徴ともいえる。
そんな女も男も大歓迎の彼女とは違う俺はさっそく周囲からの視線が突き刺さり、ひそひそと囁く声が聞こえてくる。
注意を逸らすように黒板に目をやると、やはり出席番号順に座るように書かれているので教室の右端へと移動する。去年と同じだ。一番目である以上、この目立つ位置からは移動できない。廊下を歩く生徒にも見られるので早い所席替えを希望したいところだが、一ヶ月はこのままだろう。
座ると、後ろで談笑していた男子生徒達はそそくさと別の席へと移動した。あからさまなものである。この後も校長辺りが始業式で言うんだろうなとふと思った。"皆で協力しながら、楽しい学校生活を過ごしましょう"、と。
まあ、ある意味これも楽しいものだと開き直るしかない。そう考える事しか出来なかった。
× × ×
始業式が終われば、あとは簡単な連絡のHRのみ。部活動も明日以降の激務の為に今日は全体が休み、つまりほとんどの生徒が放課後暇なのだ。
「今日のカラオケって駅前のバリバリだっけ?」
「あれ? 歌空間じゃないっけ? なんか割引クーポン持ってる子がいるから、そっちのが安くなるって」
「まじか。まあクラス全員で行くから、フリータイムでも団体割引で一人六百円は安いよな」
うわー、安い安い。
さぞかしクラス全員で行くから、安いし、楽しいし、これから一年間に向けてのコミュニケーション作成にも繋がるし。いい事づくしだ。
「えー! 侑奈行かないの?」
「あー、今日は用事あってさ」
「それ終わってからでもいいじゃん! 多分二次会までやるから」
「明日朝早いし、今回は辞めとく。ごめんね」
「仕方ないかー、また行こうね。今度はクラス全員で!」
恐らくクラスで唯一の欠席者であろう五日市さんが友人達に苦笑いで断っていた。もちろん彼女のこの後の用事に俺が一緒というのは誰も知らない。バレれば、皆から止められるだろう。
そうしてクラスメイト全員が教室から去った後に五日市さんが口を開いた。
「あんたこのクラスじゃなかったの?」
「奇遇だな。俺もそう思ってた。お前を除くクラス全員で行ったらしいからな」
「……悲しくならない?」
「悲しい通り越して、清々しさを感じるね。それで? 用事って何?」
彼女は鞄を持って、俺の元へ近づいてくると、そのまま一瞥して、教室から出て行く。分かりにくいがついてこいという事だろう。
二人で教室を後にして、そのまま五日市さんの後ろにぴったりと張り付いている。
「横に並んでくれない? 話しづらい」
「横に並ぶと、カップルみたいかなって」
「朝と同じよ。大体みんな帰ったから、誰も見てないわよ」
「そりゃあ助かる」
俺の事ではない。
雨宮蒼と一緒にいる五日市侑奈が周囲から余計な心配をかけられるのが面倒なのだ。彼女自身とはそこそこの付き合いだ、俺の事をそういう目で見る事はない。しかし今日一日過ごしただけでも、周囲の俺に対する疑惑と軽蔑を込めた眼差しはまだ消えてはいない事を確認出来ているので警戒は必要だろう。
「で、そろそろお答え頂いても?」
「今は黙ってついてきて」
「せっかく放課後に時間を空けたのになー」
「うるさい」
ふざけた俺の口調に耳を貸す事はなく、そのまま進んで行き、階段を降りていくと三階を通りかかる。
俺達のいる四階が二年生の教室、五階が三年生、そして一年生が三階だ。まだ入学前だが既に教師陣によって、綺麗に机も並べられているのが目に入った。続いて降りていくと二階に当たる。科学準備室や備品倉庫など基本的には移動教室で使う教室が多い。ここで五日市さんはそのまま廊下の突き当りへと進んで行った。
この時点で向かう先が分かった。奥にあるのが生徒会室だからだ。五日市さんが一年生の時にクラス委員長だけではなく、生徒会書記として立候補し、今も活動しているのは知っている。
となると、また例の件絡みだろうか……。
扉の前に立つと、彼女が二回ノックする。
「失礼します。五日市です」
そう言うと、扉の向こう側から「どうぞ」と高い声が聞こえてきた。
「入って」
「ん……失礼します」
五日市さんに続いて、ゆっくりと室内に入ると、奥の机に見覚えある顔がいた。
「久しぶり、雨宮」
「どうも、生徒会長」
「後数ヶ月で生徒会選挙だから、元会長になるけどね、ハハッ」
軽い笑い声で返された。
おまけに直に話すのも初めてではない。
「あれからどう? 一応私からも
「ああ、思いっきり逆効果ですね。そんな事言われたら、余計に言いたくなるじゃないですか」
「そういうものか」
「そういうものですよ。というかやっぱりその件でお話が?」
「いやちょっと聞いてみただけだ。五日市、わざわざつれてきてくれてありがとう」
後ろにいた五日市さんがその声を聞いて、頭を下げる。
「いえ。でも何故彼を?」
「え、もしかして知らないの?」
「そうよ。じゃなければさっさと帰ってた」
「クラス会には行かないんだ」
「楽しいとは思うけど、カラオケに興味ないの」
地味にマイペースな部分がある子だな、と思ってしまった。
しかしそれよりも本題に移るべく、視線を会長の方に向ける。
「本題に入る前にちょっと待ってくれ。そろそろ来る頃だと思うんだけど」
「来る? 誰がですか?」
「それは」
そう言いかけたところで扉の方からノックする音が聞こえる。
「ああ、丁度きたようだ。入ってくれ」
二人とも扉の方へ顔を向ける。すぐに扉は開かれ、そして俺は目を疑った。擦りもした。
でも間違いない。
「えへへ、一週間ぶりくらいですかね。雨さんっ!」
神様がそこにいたのだ。
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