ぶどうの味
@kitakata
第1話
「アライさーん、『すっぱいぶどう』って知ってる?」
私は、大の字になってぜいぜいと肩で息をするアライさんに尋ねる。返ってきた答えは、
「すっぱいぶどうがあるのは知ってるのだ! けど、あのぶどうは甘いのだ!」
「うーん、そういうことじゃないんだけどねー」
言いながら私は、時折風に揺られるぶどうを見上げる。高い木の枝先に生ったぶどうは、口に入れればじゅわっと果汁がいっぱいに広がるだろう。
口に入れば、という話なんだけどね。ジャパリまんのデザートにぶどうを採ろうとアライさんが言ったのは、何時間前だっけ。
「じゃあ、どういうぶどうなのだ?」
「えーとねぇ、昔々あるところにぶどうを食べたがる狐がいたんだよー」
「フェネックのことなのだ?」
「私じゃないけど――まあ、私でいいかなー。でね、私は木になったぶどうを取ろうとするんだけど、そのぶどうは高い所にあって取れなかったんだよー」
「フェネックは、木登りが苦手なのだ! その点、アライさんにはお手の物なのだ!」
「そうなんだよねー。それで、私はぶどうを諦めちゃったのさー。『どうせあのぶどうは酸っぱいから、食べても意味が無い』って」
「むむむ……? どうして食べてもいないのに、酸っぱいとわかったのだ?」
「んー、わかってたんじゃなくて、そう思わないと悔しかったんだよねー。本当は食べたかったんだもん」
ときには諦めることも肝心、そのために欲しかったものを価値が無いと思うことだって必要。
そんな教訓がこもった昔話に、アライさんは難しい顔で考え込む。そして、ぽんっと手を叩いた。
「つまり、フェネックはぶどうが食べたいのだな!」
「うーん、アライさんに何時間も頑張ってもらうほどじゃないかなー」
そろそろ諦めてもいいんだよ、ということを遠回しに伝えてみるけど、
「アライさんはぶどうが食べたいのだ! だから、一緒にフェネックの分も取ってくるのだ!」
「うわー、アライさんが眩しすぎて見えないー」
飛び起きたアライさんは、意気揚々と木登りに挑んでいく。その小さな背中は、すいすいと幹を上っていき、ぶどうが生る枝の付け根にまでたどり着く。
「ふっふっふー! アライさんにかかれば、この程度余裕なのだあああああ!?」
調子に乗って胸をそらしたアライさんは、危うく木から落ちかけたけど、ギリギリ枝を掴んで耐えていた。ここで耐えきれずに落ちていたのは何十回だったかな。
「おおー、アライさん反応がはやーい」
「あああ当たり前なのだ! スペシャルでグレイトなアライさんは、この程度でへこたれないのだ!」
「そうだねー。アライさんは本当にすごいよー」
「そ、そんなに褒められると照れるのだあああああ!?」
「おー、ナマケモノのフレンズみたいだねぇ」
「こ、ここからがアライさんの本領発揮なのだ!」
アライさんは、両腕と両足でぶら下がりながら、じりじりとぶどう目指して進んでいく。もう少し、あと少し、手を伸ばせば届く。そんな距離で、アライさんは、
「と、採ったのだ!」
手を伸ばし、それがぶどうに届いた。ただし、伸ばしたのは片手ではなく、両手だったものだから、
「のだあああああ!?」
何度目かもわからない悲鳴を上げて、今度はコウモリのフレンズみたいに宙吊りになっちゃった。
「アライさーん、大丈夫ー?」
「これくらい、アライさんにとってはピンチにもならないのだ! ここからがアライさんのショータイム! とおっ、なのだ!」
掛け声と共に、アライさんはくるくると回転しながら落ちていく。それはまるで、大地に向かって流れる流星の如く輝かしい軌跡を描き――。
「んんっ!?」
背中から地面に叩きつけられて、詰まった声をあげた。けど、アライさんはこのくらいでへこたれない。
「……ふははー! 見るのだフェネック! アライさんは、見事デザートを手に入れたのだ!」
満面の笑顔で、手に入れたぶどうを見せてくれる。潰れることもなく、瑞々しいそれを誇らしげに掲げるアライさんに、私も嬉しくなる。
「うんうん、アライさんすごかったよー」
「ふっふっふー! もっと褒めるといいのだ!」
「すごいすごーい」
「じゃあ、さっそく味見するのだ」
アライさんは一粒ちぎって口に運ぶ。笑顔で口を動かしていたアライさんだったけど、徐々に眉が寄っていく。
「あれー、もしかして」
私も一粒ちぎって食べてみる。口の中で果汁がじゅわっと広がるが、
「……すっぱいのだ」
「んー、そうだねー。すっぱめだねー」
広がった味はすっぱくデザートには向かない味。ただまあ、食べられないほどでもない。
「しょうがないよー、こんな時もあるってー」
諦めず手に入れたものが、見合ったものではない。そういうことはままあること。
「ぐぬぬ……こんなことが……」
「アライさんはいっぱい頑張ったよー。お腹も空いたでしょー?」
「うう……だけど甘いぶどうがいいのだ……」
納得しきれないアライさんは、ぶどうの樹を見上げる。私も、それにつられて木を見上げて、
「あっ」
アライさんがぶどうを採ったところよりも、さらに上にぶどうが生っていることに気がつく。色も濃く、実も重そうで甘い果実の可能性は高い。
「どうしたのだフェネック?」
「んー」
私は、それを教えるべきか考える。
生っている場所は高く、採れるまでどれだけ時間がかかるかわからない。取れたとしても本当に甘いのかもわからない。今手元にあるぶどうで妥協することだって、悪い選択肢ではない。
けど、それを決めるのは私じゃなくて、アライさんだよね。
「ねーアライさーん。あの木の上にもぶどうがあるんだけどー」
「本当なのだ! 任せるのだ!」
「即決かー」
言うが早く、アライさんは再び木登りに挑む。さっきより高い所にあるというのに、嫌がるどころかどんと来いとばかりに、元気ハツラツだ。
「アライさーん、そのぶどうもすっぱいかもしれないよー?」
「そんなの、食べてみないとわからないのだ!」
「食べてすっぱかったら?」
「だったら、また甘いぶどうを探せばいいだけなのだ! 探し続ければ、いつか甘いぶどうが手に入るのだ!」
振り返ってそう言うアライさんは、単純過ぎる理屈に全く疑いを持たず笑っていた。
うん、だけど。探し続ければいつか手に入る。単純だけど、本当のことだ。それまでに諦めてしまったり、別のもので妥協してしまわなければ、いつかは手に入る。それが難しいと言うだけで。
「わったた……むう、さすがに腕が疲れてきたのだ」
けど、アライさんはまっすぐに目指し続ける。まっすぐ前を見すぎて、道から外れていることに気がつかないこともあるけど、最後にはゴールにたどり着く。そういうところが、うん――。
「……やー、アライさんはかっこいいねー」
額に汗を流すアライさんを見ながら、私は呟いて、
「のだあああああ!?」
掴んだ蔦が切れたせいで地面に逆返りするアライさん。しまらない所も彼女らしい。自然と私は笑っていた。
「ま、待ってるのだフェネック! すぐにアライさんはぶどうを手に入れるのだ!」
「はーい、待ってるよー」
すっぱいぶどうを口に運びながら、私はアライさんを待つ。口に広がる味は、相変わらずすっぱいけど、問題はない。
だって、アライさんが甘いぶどうを取ってきてくれるからね。
ぶどうの味 @kitakata
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