597 竜人族の秘密の物語




 週が明けて、火の日になった。

 この日は竜人族の文字について教わる。

 ウェスペルという村長補佐の男性にだ。この村では一番学があるのだと、ソヌスに紹介された。彼はフェデラル国で学校に通ったこともあるそうだ。

「よろしくお願いします」

「うむ。礼儀正しい子は、我は好きだ」

 ガルエラドも彼に教わったことがあるらしく、喋り方は彼にそっくりだったので尊敬しているのだろう。

 シウはずっと、竜人族はガルエラドと同じような人ばかりが集まっていると思っていたのだが、全くそんなことはなかった。

 むしろガルエラドのような性質の人は少数派だった。

 そして、ウェスペルはその少数派である。

「さて、竜人族の文字だが」

 無表情に半眼で喋るものだから怖く見えるが、彼はただただ真面目に話を続けてくれた。


 ウェスペルによると、竜人族の文字は古代語が変遷した独自の物ということだった。

 その為、ディアログスのように古代語を覚えられる者もいる。

 が、識字率は低かった。戦闘民族なので積極的に勉強しようと思う人がいないようだ。そのため、街に出た者でも、ロワイエ大陸の共通語である文字を理解している者は少ないらしい。

 ガルエラドは旅の間に仕方なく覚えたようだが、難しい文字は書けない。

 ちなみに口語はロワイエ大陸共通語だ。

 多少訛っているが、シウとも話が通じるのはそのためだった。


 話し言葉は近いのに、文字だけ違うというのは不思議なものだと思う。しかしそれは、彼等の一族に伝わる「大事な秘密」も交えた物語で文字を覚えるからであり、秘密を守るためでもあるのだとウェスペルは教えてくれた。


 その物語とは、古代の帝国が栄えるより前のことから、その帝国が滅んだ時のことまでが描かれていた。





 昔々、世界には多種多様な種族がいたが、彼等は常に争っていた。

 大きな竜は小さき者達の様子を眺めていたけれど、彼等が何をしているのかは分からなかった。同族同士で争うことの意味を理解できなかったからだ。

 そこに1人の人族の娘がやってきて、生贄となるので争いを止めてほしいと頼んできた。竜は生あるものとして当然ながら獣を食うが、人族は食べたことがない。

 大きな竜は考えて、興味もあり娘の話を受け入れた。

 神妙な顔の娘を一口で食べたのだ。

 それは複雑な味がした。美味しいような気もしたがどこか違う。大昔、善も悪も分からない幼い頃、神に叱られたことがある。あの時は同族と喧嘩をして尻尾を噛み千切り、飲み込んだのだった。

 そう、まるで同族を食べた時のようだと、気付いた。

 竜はハッとした。まさか、人族は我等と同じような種族なのだろうか。

 悩みながらも契約は契約、人の争いに終止符を打つべく、竜は小さき者の街へと降り立った。人は慌て慄き、まるで悪魔が現れたというほどの騒ぎとなった。

 やがて、争い合っていた者同士が手を携え、竜に向かってきた。石や槍を投げて来るのだ。竜には屁でもなかったが、憎しみの心が向かってくることに、ひどい悲しみと、そして落胆を覚えた。

 望みをかなえるために来たのに、この仕打ちはなんだろう。

 それでも争いが止まったことに代わりはない。竜は元の住処へと戻って行った。人々は竜に勝ったのだと騒いでいた。


 やがて、竜の住処に人族がやってきた。

 気持ち良く寝ているのに、礫を投げてくるのだ。鬱陶しくて、炎を吹き出し、尻尾を振り回した。

 人族は消えた。

 暫くすると、また娘がやってきた。あの時とはもちろん違う娘だったけれど、竜はひどく衝撃を受けた。

 彼女は言った。生贄となるので、どうか人を殺すのをおやめください、と。

 竜は答えた。人は美味しくない。気分が悪くなる。だから食べない。また、眠りを妨げに来る者を排除してどこが悪いのか。

 彼女は言った。では、一生をあなたに捧げます。あなたの眠りを妨げないように、一族の者に言い聞かせましょう。その間、あなたは我が一族の者を殺さないよう、約束していただけないでしょうか。

 人の短い一生のこと、その間の彼女の願いなら聞いても良いだろうと、竜はそれを受け入れた。何より、もう人を食べたくなかったのだ。

 その後、娘の短い生涯の間に、いろいろなことを学んだ。

 人を食べて気分が悪かった理由も、竜なりに理解した。

 それは、同じ思考、より高度な思考を持つ生き物を食べたからだ。

 獣とて意思はあり、楽しい苦しい痛い辛いと伝えはする。

 が、もっと複雑に考え、時に竜と対等に話すことのできる者がいることに、竜は驚いたし、喜んだ。

 そう、喜んだのだ。

 竜は孤独だったのだと気付いた。

 仲間はどこか遠くに散らばっており、番うこともないので「家族」もない。いつも孤独に、神の僕としてただ淡々と世界を見ていた。

 ただ、見ているだけだった。


 竜は世界と関わってみたくなった。

 竜の眠りを守るという一族とは、いつしか長い付き合いが出来ていた。

 その中に、熱心に竜の世話をする娘がいた。

 最初に食べた、あの娘に似ていた。

 竜は、その娘と同じ形になってみたかった。自分ならそれが可能だということも分かっていた。

 そして、人の形となって、竜は娘との間に子を生した。

 竜は、神の僕という仕事を放棄し、世界と関わったのだ。



 時は流れ、竜は血脈を見守るだけの存在となった。世界は見ない。ただ、我が一族のみを見守った。

 愛した娘の子、そしてその子供達が幸せであればと願った。

 いつしか世界には人が増え、豊かになり、どの種族もが入り乱れるものとなった。

 竜の血族もまたあちこちに広がった。

 世界は急速に発展しているようだった。

 竜は世界のあちこちにいる血族を見守りながら、豊かな世界をかろうじて感じていた。


 ある日、世界が震えた。

 それは竜の下位にあたるワイバーンが繁殖期で騒いだのが始まりだった。

 いつものことだが、彼等の騒ぎはちっぽけな人族などあっという間に殺してしまうほどだ。いつものように、竜は彼等を抑えようとした。

 我が眷属の者どもよ静まれ、そう命じた。

 しかし、彼等は聞き入れなかった。

 何故、人を守るのだ。人など我等を使役したり、殺して食べる種族ぞ。今の世界はおかしい。何故、人族だけが正しいと言い張って君臨しているのだ。この世界で一番強いのは竜なのに。

 おかしい、おかしい、おかしい!! 

 ワイバーンだけに留まらなかった。あらゆる下位竜種が狂った。そして、強大な魔獣が出現した。竜は彼等を抑えようと空を飛んだが、まるで油の水に囚われたかのように体が動かなくなった。羽ばたこうにも、ミシミシと音が鳴る。

 いつしか、竜は墜落していた。

 何故だどうしてだ、我はどうしたのだと、身悶えた。

 魔獣達も同様だ。竜の眷属も、獣も。

 竜はこれが人族の魔法かと思った。

 が、人族も息絶えていった。

 竜の遠見で分かったことは、消えゆく人々の命だった。


 竜は世界を見ていたはずだ。

 しかし、いつしか見ることを止めた。竜が見ていたのは大事な血族のみとなっていた。

 異変を察知していながら、見逃していた。

 竜は最後の力を振り絞り、血脈に力を分け与えた。どうか、可愛い我が子達よ、生き残って竜の仕事を継いでほしい。

 世界を見続けてほしい。


 世界が崩れていくのを、竜は動かない体で長い間感じ取っていた。

 世界が何故崩れたのか、竜は分からない。

 けれど、異変はあちこちで発現していたはずだ。

 今度は間違えない。

 血族が幸せに長く生きられるように、見逃してはならないのだ。


 やがて、竜は死んだ。

 その遺志と力を継いで、血族達は世界が滅亡した災いの後を生き延びた。

 この世を謳歌した人族もまた生き延びた。

 遠い昔に袂を分かったが、彼等もまた血族の元となった種族である。

 その中に薄く血を引く者もいるだろう。

 血族は、竜の死んだ地を望める場所に里を作った。そこが原初の地だ。何も生まず、何も消えることのない地を、永遠と眺めながら、盟約を守る。

 今度こそ間違えないように。

 世界を見守る役目を、血族は引き受けた。

 その代わり、幸せに長く生きられるのだ。血族は、今度こそ、原初の竜を悲しませない。彼の眠りを妨げない。彼が安らかに眠れるよう、血族は盟約を守る。




 これが、竜人族の秘密の物語だった。

 シウが想像した帝国滅亡の一端もまた描かれているようだった。

 そして空白の地こそ、竜人族の源流となる竜の、亡くなった場所だったのだ。

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