543 サロンでの顛末
本当ならサロンへ行きたいところだが、まだ騒がしいだろうと言って、ファビアンは教室の椅子に深く座る。
「今朝、君の事で何かあったらしいんだけど、だよね?」
「詳しいですねー。今朝の事なのに」
学校内の情報がどうやって集約されていくのか不思議な面持ちで、続けた。
「カロリーナさんが集会室で待ち伏せしていたんです。しかも女性1人の従者だけしか連れずに」
「それはまた……」
「やることがひどいね、だから女性って怖いんだ」
ランベルトだって男爵の子息なのに、よほど貴族の女性に良い思い出がないのか顔を顰めている。
ジーウェンは苦笑で頷いていた。
「罠に嵌められそうだったし、集会室には一歩も入らずに第三者の目があることを確認しつつ話をしていたんだけど、やっぱり決定的なことは言わないんだよね」
「一番面倒な貴族の女性の本質を見たわけだ」
シウは肩を竦め、その後の流れをザッと説明した。言われたことや、ヒルデガルドとのやりとりまでだ。
するとファビアンが納得したように頷いた。
「あー、それで昼のあれに繋がるのか」
「ファビアン、君分かったのかい?」
「まあね。カロリーナ嬢は、シウを罠に掛けられなかったから、もうヒルデガルド嬢に付き合う必要はないと考えたんだろうね。今度は彼女を切るつもりなんだよ」
「あれだけ騒ぎを起こしていたらねえ」
シウが分からずに首を傾げていたら、昼間の出来事を詳しく教えてくれた。
サロンでは、多少精彩を欠いたとはいえ、ヒルデガルドは堂々と出入りしていたようだ。昼食後にも、中央の広間にある休憩スペースで、特等席のソファに座っていたらしい。
そこへカロリーナが来て、今朝は申し訳ありませんでしたと丁寧に頭を下げた。
見ようによっては他国の貴族の女性に頭を下げさせているようにも見えるのだが、ヒルデガルドはそもそも高位貴族の人間で、頭を下げられる立場にいる。特段、変なことだとは思わなかった。
ラトリシア国貴族の子息子女が多い学校内で、これはちょっと気配りが足りないそうだが、ヒルデガルドに指摘してくれる従者はいなかったようだ。
「ヒルデガルド様のためにと集会室へ参りましたのに、あの少年がおりまして、わたくしとても怖かったですわ。ですからお役目をちゃんと果たせずに本当に申し訳ないことをしたと思っておりますの。どうぞお許しくださいませ」
「いいのよ、カロリーナ様。それに、シウ=アクィラという人間は危険ですもの。とてもカロリーナ様が対応できるものではありませんわ。わたくしも随分と手を焼かされておりますから」
たったこれだけの会話だが、捉え方によって全然違ってくるのだそうだ。
特に、ヒルデガルドは元々ラトリシアの生徒に反感を買っていた。
まず、何故他国の人間なのに偉そうな態度でサロンを使用しているのか。謙虚な気持ちもなく、特等席を当然のように使っている。
更にはラトリシア貴族の女性を扱き使っていた。しかも、自分でさえ危険だと思う人間のいるミーティングルームへ、行かせていた。貴族の女性自身を、だ。
そして、大勢の前でその女性に頭を下げさせて止めようともしない。
ラトリシア貴族の見栄を理解していなかったとも言える。
普段からヒルデガルドの出しゃばった態度が気に入らなかった生徒の一部が、そのことを言及した。
今までなら裏でひそひそしていただけのに、今回どうして口火を切ったのかと言うと、やはり先日の抜剣騒動や、カロリーナが大勢の前で頭を下げた姿がきっかけだろうと、ファビアンは言った。
「ラトリシア貴族の事を下に見ているのか、舐めているのかと生徒の1人が問い質したんだよ。そうしたら彼女、唖然として、それから訝しそうに彼に聞いたんだ」
あなた、わたくしをカサンドラ公爵家の第一子と知ってそのようなこと仰ってるの? と。
問い質した生徒は伯爵位の子息で、高位貴族ではあるが家格には劣る。しかし、そんなことを聞いた訳ではないのだ。
それに怒りを感じた周囲の人間が、普段からの不満を口にした。
「余計な口を挟んで、生徒同士の関係を悪化させているくせに、何が公爵家の第一子だ」
「他国の貴族女性に対して、顎で使うとはどういう料簡なんだ?」
「シュタイバーンではそのように接するのか」
「危険だと言う少年のところへ、カロリーナ嬢を行かせたのは悪意からでは?」
「罠に掛けたのか!」
と、段々話が大きくなってしまったそうだ。
その間カロリーナはおろおろとして、何も言い訳など言わなかったらしい。ヒルデガルドが困惑している間も、そうしていたそうだ。
ちょっとおかしいと、ファビアン達も思ったらしい。
そこにベニグドが来て、カロリーナを助けた。
「どうしたんだい?」
カロリーナは小声でぼそぼそと何があったのかを、事実のみ伝えた。それを、ベニグドは大きな声で、歪曲して取った。
「ちょっと待ってくれ。まさか君をわざわざ従者のような真似事をさせるために使わせたのか? しかも、ヒルデガルド嬢が以前から忌み嫌っている少年が来ると分かっている部屋に!? そんな、いくらなんでも、有り得ないことだろう! それではまるで、君のことを――」
わざとらしい演技だったらしいが、サロンにいるラトリシア人にはそれで良かったらしい。
「まさか、ヒルデガルド嬢、君は逆恨みでこんなことを?」
ベニグドは今まではっきりと対峙したことはないらしいが、今回は面と向かって言ったそうだ。
「そういえば、最初から君は僕等の仲を裂こうとしたりしていたね」
「まあ! わたくし、そのようなことは」
「いや。言い訳しないでほしい。事実、君はカロリーナに僕の悪口などを吹き込んでいたそうじゃないか。困った彼女がどれほど悩んだか。問い質しても答えない彼女の代わりに、周囲の者から話を聞けば、君は僕の事をそうとうひどく話していたね」
「いえ、それは」
「この国では名誉棄損として訴えることも可能なほどの内容だった。しかし、それも君の行き過ぎた優しさなのだと思って僕は耐えたんだ。その後もカロリーナといろいろあったようだけれど、彼女も耐えていた。その時にもっと僕がしっかりしていれば良かったよ。そうすれば、夏の社交界でのことも、傷にはならなかった」
「傷ですって?」
ファビアンはそれが今回の本題なのだと思ったそうだ。ベニグドも演技をしつつ、目が笑っていたそうだ。それも悪意のある、目だ。
「君がカロリーナを追い詰めて、意のままに操っていたことは分かっているよ。それで彼女の母親を使って、アマリア嬢を罠にかけたこともね」
「そ、それは」
「あのように素晴らしい女性に対して、何故敵対する派閥の、同じ年頃の子供がいるような男に嫁がせようと画策したんだ? 可哀想にそのことを知ってカロリーナがどれほど心を痛めたか」
「ち、違うわ。あれはアリスティーナ様からお話があったのよ」
「そうやってまた話を作るのかい? それで、今度は誰を悪く言うんだろうね」
「なんですって!?」
「だって、そうだろう? シウ=アクィラとの件でも、まさか公爵家の娘である君が嘘をつくだなんて誰も思っていなかったから信じていたけれど、アマリア嬢を罠にかけた件で、僕は少し調べてみたんだ。そうしたら、君の話は大袈裟で、彼が君を貶めたという証言はどこにも出ていなかった。シュタイバーンでは彼は英雄じゃないか。つまり、君は彼に嫉妬したのだろう?」
「違うわ! わたくしが、あのような子に嫉妬するなど、有り得ませんもの!」
「でも、君が話してきたことはどれも歪だ。カロリーナを精神的に追い詰め、僕のことを歪めて広げ、アマリア嬢に歳の離れた敵対勢力の男を宛がう。しかも、君は先日、部下が抜剣したのを止めなかったらしいじゃないか」
ヒルデガルドがハッとして言葉を詰まらせ、それをラトリシアの生徒達は目の当たりにしていた。
「君、罪をシウという少年になすりつけて、全部自分が正しかったと証明しようとしたのではないだろうね?」
話を聞いていて、すごいと思ったのは、正しい情報の中にベニグドは自分の話も混ぜ込んだことだ。このせいで、聞いている生徒達は自然と、ベニグドの悪い噂はヒルデガルドが仕込んだもので、本当は「良い人間」なんだと刷り込むことにした。
もちろん、その人となりを知っているファビアンなどは理解していただろうが、すごいと思う。
しかも、シウのことは決して「完全に正しかった」とは言っていない。英雄扱いされているだとか、貶めたという証言はなかった、とだけに留めている。
今後何かあってもいくらでも言い抜けられる内容だ。
ファビアンもそこは褒めていた。性格の悪い相手だけど、と付け加えていたが。
「で、追い詰められたヒルデガルド嬢が、ヒステリーを起こしてね」
「どうなったの?」
「そもそも、アマリア嬢のことはオリヴェル殿下の乳母が言い出したことで、アリスティーナ伯爵夫人が勝手に動いただけだとか、まあ言ってはいけないことを口にしたわけだね」
「うわあ……」
たとえそうだとしても口にしてはいけないことがある。それが分からない彼女ではないだろうに。
「シウが仲介してアマリア嬢を売ったのだとか、諸悪の根源はシウだ、みたいなことを叫んでいたよ」
「あー、もー」
頭を抱えたシウに、ジーウェンが優しく背中を撫でてくれた。
「大丈夫、って言っていいのかな。安心して。ベニグドは嫌いだけど、彼の発言のせいでヒルデガルド嬢の話は誰も信じていなかった。むしろ、目の敵にされるなんてと、シウに同情めいたことを話していたね。まあ、面白がっている雰囲気もあったけれど」
よく聞けば、騎獣を2頭も持っているからヒルデガルド嬢も嫉妬したのだろうとか、彼等自身の思いも含めて、彼女のせいにしたそうだ。
「アマリア嬢を売っただなんて言い出したものだから、さすがにティベリオ殿も黙っていられなくなって、注意をしたんだが――」
「キリク様はわたくしの夫となるはずだった、と返してね。ラトリシア人は皆ずるい、罠にかけて貶めてくる、とそれはもう言いたい放題だったよ。アマリア嬢がいなかったことが幸いしたね。なにしろヒルデガルド嬢ときたら、女狐ばかりだ、ラトリシア人達は卑怯だ、盗みを働くのかと、そりゃあもうえらい剣幕だったから」
うんざりした顔でファビアンは語り終えた。聞いていたシウも、うんざりだった。
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