542 鬼と闇、陰口に噂話
その後の授業でもシルトが本領発揮できていないのでレイナルドが気を遣って、途中休憩の時間を多めに作ってくれた。
「素敵な女性も多いからさ」
「どこに……」
「生産のアマリアさんなんて、本当に貴族の女性とは思えないほど気さくで優しいよ」
「結婚してる人じゃないか! 結婚していない人を紹介してくれよ」
え、いつの間に未婚の素敵な女性を紹介する話になってるんだろう?
シウが首を傾げていたら、コイレがすみませんと頭を下げていた。
「……ヒルデガルドさんとか」
「シウは鬼か!」
「ほんとだ、鬼だ」
誰かが尻馬に乗っていた。
「怖いなー。あんな女を紹介しようとするシウって、ほんと怖いなー」
「棒読みで言わないでください、先生」
「はっはっは! ま、シルトよ、安心しろ」
「先生」
「女性ってのは大抵、どこかしら怖いもんだ。怖くない素敵な女性ってのは幻想だ。分かったな? 分かったら、訓練に戻ろうか」
レイナルドの笑顔に、シルトが後退っていると、ヴェネリオがボソッと囁いた。
「先生の闇だな」
「そだね。独身男の闇かもしれないけど」
「……シウ、言うなあ」
「そこ! 聞こえてるんだぞ!!」
レイナルドが怒り始めたため、休憩時間は切り上げられて授業が再開したのだった。
フェレスの嫌いな訓練が終わった後はいつも通りに食堂へ向かった。
幸いにしてヒルデガルドの姿はなく、待っていたプルウィア達と合流して指定席となっている場所へ座った。
「ヒルデガルドさん、あんなことがあったのに謹慎処分が3日だなんて学校はどうなってるのかしら」
「本人が抜剣したわけではないからかな?」
「確かにあの女騎士は姿が見えないけれど」
普通なら諸悪の根源とも言えるシウと接触しないように、彼女自身もさすがに気を付けていただろう。これ以上の面倒事は、ヒルデガルドだとて嫌なはずだ。
それを考えると、2人を鉢合わせさせようとしたカロリーナの行動は恐ろしい。
「クレール、彼女とは話をしたことがある?」
「直接はないんだ。ただ、ヒルデガルドさんの付き添いをしていた時に何度か話しているのを聞いたぐらいかな」
嫌な質問だったらどうしようと思いつつ聞いたのだが、本人はもう忘れたとばかりにサバサバ教えてくれた。
「そうだなあ、ちょっと底の見えない人だとは思ったかな」
「というと?」
「最初はか弱い、男性に振り回されている憐れな女性だと思ってたんだけどね。実際それでヒルデガルドさんも正義感を揺り起こされていたわけで」
「うん」
「でも、本当に気の弱い人が、あんなに堂々とした態度でヒルデガルドさんと話すかなと思って。だって他国とはいえ仮にも公爵家の娘だよ。対して本人は伯爵家だ。しかも領地なども持たない、成り上がりに近いような家だからね」
「家格がまるで違うってことか」
「そう。ベニグドに対しても、一歩下がって従っているように見えているけれど、芯のしっかりした受け答えをしていたところからして、普段から対等な会話をしているのではないかと、まあこれは後から思ったんだけどね」
さすが貴族出身だけあってクレールはしっかり見ていたようだ。
「人間の質としては、ベニグドと似ているんじゃないのかなあというのが、わたしの総合的な意見だね」
すると、端っこの席に座っていたシルトが突っ伏していた。
「女、怖い」
それをプルウィアが冷めた目で見ていた。
「一緒にしないでよ。失礼ね」
「そうだよねー。シルトって、さっきの授業でもクラリーサさんや女性従者のいる前でこんなこと言ってたんだよ。もう皆の視線が冷たいったらなかったのに、全然気付いてないんだもん」
「本当にね。あれにはわたしも笑ったよ」
「……エドガール、お前そんなこと、俺には一言も」
「うん。だって君があまりに打ちひしがれているから!」
仲良くなっている2人の会話を、シウのみならず周囲も微笑ましい顔で聞いていた。
昼食の後、皆には角牛乳で作ったソフトクリームをデザートとして出した。
「うお! これ、なんだ」
「アイスクリームにしては、ふわっとしているね」
「あ、口の中で消えた」
「蕩けるような、すごいね」
大好評だった。
牛乳で作られていると知って、生臭いそれが嫌いな生徒も喜んでいた。
「僕、牛乳はシチューでしか食べられないから驚いたよ」
「チーズもあるだろうに」
「チーズ苦手なんだ。でもシウの作ったチーズは臭くなくて美味しかった」
などとわいわい騒いでいたら、やっぱり食堂の職員フラハがやってきたので分けてあげた。後で食堂のドルスやエマもそろっと近付いてきたので、お裾分けをした。他の人の分も含めて、だ。
午後の授業へ向かう間、ここが一番気を遣う。高学年の生徒が多く受講する教室ばかりなので、必然的に若いシウが目立ってしまうからだ。
それでなくてもフェレスという騎獣を連れているため、人目を引く。
多少なりとも悪意のある視線を受けるのは仕方ないが、罠を張られては困るので緊張はしていた。
なので教室へ入ると少しホッとした。
もちろん、教室にだってシウを嫌いな生徒もいるのだが。
「来たぞ」
「殿下の思し召しがあることをいいことに、偉そうな奴だ」
そういった程度には陰口を叩かれていた。
もっとも、右から左へ聞き流すぐらいの余裕はあるので、構わない。
ただただフェレス達が無事ならそれでいいのだ。
罠だけに気を付けようと思う。
「やあ、遅くなってしまった」
「ファビアン、ギリギリだったね」
「そうなんだ。サロンでちょっとね」
困ったような笑顔で、ファビアンは席についてシウの頭に手を置いた。
「どうしたの?」
「君も大変だなと思ってさ。ああ、今日はオリヴェル殿下は来られないんだ。なんでも弟君が熱を出したとかで、傍にいてくれと手を握られているそうだよ」
「詳しいですね」
「うん。朝、手紙が届いた。本当は授業に出たかったみたいだよ。君のことも心配していたね」
「有り難いことです」
「本当にね。君はそうした面では恵まれているね。ヴィンセント殿下といい、あ、そういえば聞いたよ」
「何を?」
「角牛のことさ。ヴィンセント殿下をご案内したんだってね」
小声になって聞くので、シウも小声で答えた。
「噂が流れるの、早いね」
「なんでも生け捕りにしたそうじゃないか」
「あ、ファビアンは肉しか食べてないんだっけ。あれの牛乳、美味しいんだよ」
「それでか! オリヴェル殿下の手紙には思わせぶりな内容が書いてあったんだ。くそ、先を越されてしまった」
「あはは」
笑っているうちに、仲の良いランベルトやジーウェンもやってきて、すぐにヴァルネリも入ってきた。
皆、ギリギリだった理由は後で判明するのだが、サロンでちょっとした事件があったからだそうだ。
それはともかく、授業は相変わらず突発的に始まってしまった。
ヴァルネリの気の向くままに進み、収拾がつかなくなるところで5時限目へと突入し、補講が始まるのである。
ラステアの補講の時間、シウはいつも通りにヴァルネリを横に張り付けて授業を受けたり、討論に混ざった。
混ざったと言っても下級性のシウが発言することはあまりない。
ラステアもこのへんは生徒同士のプライドを汲んでおり、シウを名指しして発言させようとはしなかった。そのことに対して特に意見もないので、黙って聞いている。
たまに意図を汲まないヴァルネリが話をややこしくしようとするけれど、そうした時はマリエルが止めに入っていた。
シウの学校での立場を悪くしないようにと苦心してくれるのは大変助かることだった。
授業後、ヴァルネリはラステアとマリエルに連れて行かれ、ファビアン達とシウだけが残った。
「サロンでね、ヒルデガルドさんがまたやってくれたんだ」
「あ゛ー」
シウの変な声にジーウェンが笑った。ランベルトも笑うが、その顔には疲れも見えた。
「わたしもジーウェン達に誘われてサロンにいたのだけれど、あれは相当すごいね」
滅多に行かないサロンで、驚いたらしい。
「生徒会長も呆れ果てていたよ」
「でも、あれは、カロリーナ嬢が仕組んでいたんじゃないかい?」
「あ、やっぱり、そうか。じゃあ、裏でベニグド殿が?」
だろうねと頷き合っている。
詳しく聞くしかないようで、シウは腰を落ち着けることにした。
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