541 乳搾り機と罠
火の日は特に何事もなく過ぎた。ただ王城から、乳搾りを怖がる人がいてどうしたらいいかと問い合わせが来ていたので、取り敢えずブラード家から家僕を一人やった。
ただ一人で世話をするのは大変なので、シウが急遽、生産の授業を使って乳搾り機を作った。
「今度はなんだ?」
「乳搾り機です」
「……そうか」
レグロはそれ以上何も言わずに他の生徒のところへ向かった。
試作機が出来上がると、昼ご飯を済ませてから屋敷に戻り、早速試してみた。
「あ、いい感じだす」
「嫌がってないね」
最初は違和感があるのか、頻りに足の間を覗いていたが、そのうち気にしなくなった。作動させても子牛に飲まれていると思うのか蹴ることもない。
「よしよし。他に気になるところって、あるかな?」
「蹴られることはないと思うけんども、踏まれた時のことを考えたら」
「そっか。もう少し柔軟性を持たせつつ、踏まれても大丈夫なように変更か。ホースを付けるのには特に問題なさそうだった?」
「手でやるより簡単だす」
相談し合って試作を繰り返し、夕方には家僕と共に王城へ持参した。
試しに使ってみて、更に王城で働く家僕達に指導する。
面倒くさい仕事を増やしてと睨まれたのだが、途中ヴィンセントが所望して、その張本人が連れてきたのだと説明したら態度を改めていた。
下まで話がちゃんと伝わっていないのだなあと、ちょっと心配したシウだ。
木の日は早朝から転移して市場へ顔を出し、フェレス達が起きる頃には爺様の小屋、午後からはコルディス湖へと転移して過ごした。
市場へ行くのはシウの楽しみのひとつだし、山の中での遊びや訓練はフェレスの楽しみだ。
ブランカにも調教とまではいかないものの、きちんと言うことを聞くようにと遊びながら伝えていると、お利口にできることも増えた。
クロはお願いせずともシウの顔色を窺っていて、あるいは言いたいことを理解しているからか、おとなしくしている。こちらはもうちょっと羽目を外しても良いのにと思うところだ。
角牛の世話があるため、泊まらずに戻ったが、フェレスはスッキリした顔をしていたので良い休暇となったようだった。
先週末の忙しさもこれでチャラになったかなと、安堵した。
ただ、人生はままならぬものだ。
忙しい日々がまたやってきた。
金の日、最初にミーティングルームへ向かったのだが、そこにはなんとカロリーナ=エメリヒが待っていたのだ。
クラスメイトでない女性が部屋にいることが事前に分かったため、シウは廊下で止まることができた。
なにしろ彼女は、お付きの女性一人しか連れずに佇んでいたのだ。
残りはどこだろうと全方位探索でそれらしき人を探すと、隣りの部屋や廊下の端などに隠れていることが分かった。
「シウ=アクィラ様ですわね。どうぞ、お入りになって」
穏やかそうな、優しい表情と口調で言うのだが、違和感しかない。
フェレスはシウの言うことをしっかり守って微動だにせず座っているし、クロもブランカもシウにへばりついているので問題なかった。
「何故、無関係の方が初年度生の集会室にいるのですか?」
「まあ。わたくしもこの学校の生徒ですのよ。さあ、どうぞ」
「……いえ。高貴な女性とお見受けします。そのような方と、たとえお付きの方がいらっしゃろうとも同室になるわけには参りません」
暗にお前の方が気を付けろと言ったわけだが、彼女はころころと笑っただけだった。
手で口元を隠すけれど、完全に見えており、やはり違和感は拭えない。
「あなたのような子供と共にいても、誰も疑いませんよ」
「そうでございます。お嬢様のお相手として見られるなど、ほんの少しでも考えにあるなど不敬も同然です」
そこまで言われるとハッキリしていていい。
そして、そうだからこそ入ってはいけないと脳の片隅で警鐘が鳴る。
「ふふふ。頑なに入ろうとはしませんのね。残念ですわ」
同時に、廊下の向こうからヒルデガルドが歩いてくるのを探知した。
「……ヒルデガルドさんを呼んでたんですね」
彼女とここでかち合ったことはない。避けていたこともあるが、彼女自身も来たことがないのだ。それでは連絡事項はどうしていたのかと言うと、代わりをしていた人間がいるということだ。
つまり、目の前の彼女、あるいはその関係者だ。
「あら、どうして? ヒルデガルド様はこちらの集会室をお使いでしょう? わたくし、だからこそここでお待ちしておりましたもの」
「ヒルデガルドさんはここに来たことがほとんどないはずです。おかしいな、そのことはあなたが一番知っているのでは?」
「……やはり、ベニグド様の仰る通り、あなたは簡単ではありませんね」
悪さをする小さな弟にどうやって説教しようか、そんな顔でシウに近付いてきた。
シウは廊下にいたけれど、後退って彼女との距離を稼いだ。
そうしているうちにヒルデガルドがやってきて、廊下の端からシウとカロリーナが対峙しているのを見付けた。
「何をなさっていますの! カロリーナ様、危険ですわ」
幸いにして廊下には幾人もの視線があって、シウと彼女が近付いていないことは分かっている。カロリーナが歩いてくるたびにシウが下がっているので、まるで襲われているのがシウのように見えたことだろう。
「残念ですわね。あなたがもう少し年相応の少年ならば、無造作に入って来たでしょうに」
「それで、僕を貶めるわけですね。痴漢行為でもされたと訴えますか」
「まあ。そんなことをしたら、わたくしお嫁に行けませんわ」
ならば、襲われそうになった瞬間をヒルデガルドに見つかって、という算段なのか。タイミングを図るのは大変なのに、勇気のある仕込みだ。
「ヒルデガルドさんなら、たとえどんな状況でも僕が悪いと思い込むだろうし、そう持っていくつもりだったんですね」
「うふふ」
優しく穏やかな笑顔を絶やさずに、その視線だけを見たらとても柔らかい。
しかしそれが怖かった。言質を与えないところも怖い。
「でも流民相手にそれは通用しないのでは?」
「冒険者資格は剥奪されますでしょうね。賢い子供ですこと」
カロリーナはそう言うと、急ぎ足で近付いてきたヒルデガルドになんでもないのよと微笑んだ。
「わたくしの従者が休んでしまったせいで、ヒルデガルド様にはご迷惑をおかけしました。せめてもとわたくしが参ったのですけれど」
「まあ、なんということでしょう。カロリーナ様がいらっしゃるとは思ってもみませんでした。教えていただいて急いで参りましたが、おかげでこの者の毒牙から救えましたようで安堵しました」
「ヒルデガルド様……ありがとうございます。けれど、どうかそのようなことは仰らないでくださいまし。この少年も、貴族の礼儀作法に疎いだけでございましょう。心広く接してあげねば、わたくし達貴族がそうすることで、知恵も付くのです」
「相変わらず、カロリーナ様はお優しい方ですわね」
二人の会話を聞いていると頭が痛くなってくるので、そろそろっと後ろ向きに逃げた。
階段にはプルウィアがいて、隠れていた。エドガール達もだ。
「みんなひどいよ」
「いや、一応、何があっても良いようにちゃんと聞いてはいたよ」
「そうよ。見ていたもの」
「だよねー」
シウは呆れつつ、近付きたくなかった理由も分かってうんざりした。
「これから集会室にも行けなくなったなあ」
「あたしが見ておいてあげるわよ」
「うん。ありがと。でもアラリコ先生に言っておくよ」
「あ、そうね。話は通していた方がいいわよね」
「僕もできるだけ手伝うよ」
「ありがとう、エド。でも君、貴族だから気を付けてね。あちら側に立ってても怒ったりしないよ」
「そういうところ、シウは合理的というのかそっけない人だね。怒ってくれよ、そういう時は」
「あはは。分かった。でも、冒険者ってこんなものだよ。一番大事なのは命。それを守るために動いていれば、誤解や立場なんてものの説明は後でもできるからね」
「含蓄があるなあ」
話しながら、闘技場へ向かった。
プルウィアとは一階で別れ、途中シルトを見付けて共に向かう。
その道すがらも、エドガールからは注意を受けた。
「シルトも気を付けてあげてくれるかい。さっき、シウが面倒事に巻き込まれそうになったんだ。こうしたことはね、常に第三者、誰かがいると良いんだ」
「あ、ああ、分かった。でも何があったんだ?」
気にするシルトに、それはもう恐ろしい話をしてあげた。
貴族の女性が使う、罠についてだ。
シルトが女性不信になりませんようにと、エドガールが後ろで笑っていた。
闘技場に着くと、シルトが呆然と立ち尽くしていたので皆が心配して何があったか聞くので、同じ話をした。
すると同性でもあるクラリーサは、非常に怒った。
「唾棄すべき行為ですわ! 同じ女性として許せません」
「でもこれで分かったな。やっぱりエメリヒ家はニーバリ家と懇意なんだ」
「最初の噂ではヒルデガルド嬢がカロリーナ嬢を助けようと間に入ったんだよね?」
「案外、カロリーナって女性は、ベニグドよりも上だったんじゃないのかな」
「男性優位でいろいろ言われているように見せて? それって怖い」
「だって、さっきの話も、冤罪を生もうとしたわけだから」
「……怖いなあ、貴族の世界」
ヴェネリオの発言に、シウも同感だと頷いた。
その後ろではシルトが「女性怖い」と呟いていた。可哀想なのでトラウマになりませんように、と祈った。
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