529 反撃




 ゆっくり息を吐き、シウは空間庫からそれと知られないよう書類を取り出した。ポーチ程度なら魔法袋の機能が付いていても驚かれまい。

「証拠の書類があります。シュタイバーンでの登録証明、冒険者ギルドと神殿による証明書、誓言魔法で作られた書類もです。蛇足かもしれませんが、ラトリシアの冒険者ギルドでも所有者登録を、神殿で誓言魔法を使った申請もしています。念のため、ヴィンセント殿下より問題がない旨を記された署名付き書類も戴いております」

「なんですって?」

「また、異例なことですが、この子たちは聖獣の王から祝福を与えられました。複雑な状況であったのと、前回の事件について憂慮されたシュヴィークザーム様の温情で」

 ざわりと空気が揺れる。聞こえていた生徒らまでも驚いたようだ。

「ポエニクスから直々に認めてもらったのです。この子たちは間違いなく、僕の子です」

 通常は「もの」として扱うが、シウはそうは言いたくなかった。だから「子」だと言う。

 生徒の半数は我に返り「ポエニクスってあの?」と確認し合っている。

 ところが、ヒルデガルドは違うところに引っかかったようだ。

「なんて失敬な……。あなた、ポエニクス様の名を騙るだなんて、騎獣を国から奪うよりも重罪なのよ? 同じシュタイバーン出身者として、これほど情けない思いをしたことはないわ。なんて怖い子なの」

 信じられないといった表情に嘘はない。ヒルデガルドは本気でそう思っているのだ。そのことに、シウの方が怖いと感じた。

「あなたは、最初から僕の話を聞くつもりがないんですね。そもそも大前提が間違っているのかな」

「話を聞かないのはあなたよ。さあ、今度こそよくお聞きなさい。今ならば、なんとか死罪だけは免れるよう庇ってさしあげます」

「姫、この無礼な流民の子には過ぎた温情でございます」

「いいえ、カミラ。これはカサンドラ公爵家の娘として生まれた、わたくしの義務ですわ。たとえこの身に傷が付こうとも、自国の民は守らねばなりません」

 唖然とするシウの近くで、誰かが噴き出した。彼女の言い分がおかしいと思ったらしかった。シウの事情を知らずとも、一連の流れを聞いて変だと気付いたのだろう。

「……ヒルデガルドさん、そもそも大前提が間違っています」

「貴様ぁ、姫の名を口にするとは何事だ!」

 カミラが柄の部分に手を置いた。一瞬で周囲に緊張が走った。彼女は騎士だ、佩刀を許されている。つまり真剣を持っているということだ。

 そのピリピリした空気の中、ヒルデガルドが柔らかさえ感じる声でカミラを制した。

「おやめ」

 それから、シウに優しく諭すように告げた。

「あなたもよ。これ以上はいけないわ。さあ、わたくしと共に王宮へ参りましょう」

「ですから……。ああ、もう。あのですね、あなたが先ほどから話している内容は、間違っているんです」

 シウは早口で続けた。止められたくなかったからだ。

「あなたは僕を流民と仰った。そう、認めているわけですよね。それなのに、どうして僕がシュタイバーンの国民であるという大前提で話を進めるのでしょうか。あなたならご存じのはずだ。流民が国に守ってもらえないことを。もちろん、その代わりに僕らは自由を得ている。究極的な話をすれば、先ほどの騎獣の件だってラトリシアの法律に従う必要はないんです。ただただ、人間として当たり前のことだから規則を守っているにすぎない」

 ヒルデガルドは何か言おうとして、言葉に詰まった。その隙にもう全部話してしまおうと、シウは益々早口になる。

「たとえば僕の場合は、冒険者ギルドに所属しています。依頼を受け、成功報酬を得る。自動的に税は引かれています。基本的に冒険者の税金は高いです。流民なので国の定める減税などが使えないからです。副業で冒険者をやっている場合は、本職の方で精算されて還付されるようですね。ただ、ほとんどの方は冒険者登録をしない。流民だと言われるからです。国に寄与しないと思われるのを恐れて、です」

 冒険者は魔獣を倒すなど、それなりに貢献はしているはずだ。しかし、金銭を受け取ることで兵士や自警団ほど敬われない。彼等だとて賃金を得て働いているわけだが、そこには気付かないようだ。

 冒険者が下に見られがちなのは「他に就ける職がなかったから冒険者を選んだ」という人が多いせいでもある。それしか選べなかった理由には誰も思い至らない。確かに、中には享楽的な性質で冒険者になる者もいる。だが、ごくごく少数だ。

「義務と責任を放棄した代わりに国は流民を守らない。にも拘らず、魔獣が現れると問答無用で徴用されます。それは冒険者だからです。もちろん良いこともある。たとえば、貴族に頭を下げなくてもいい。荒唐無稽な我が儘にも付き合わなくていいんです。けれど、挨拶はします。それが人として当たり前のことだからです。普通は、尊敬できる相手には何を言われずとも自ら頭を下げます。我が儘を受け入れるとしたら、そうしてもいいと思える関係性があったからですよ」

 にこやかに挨拶されれば誰だって笑顔で返す。嫌な顔で見下されたら、挨拶なんてしたくない。それが普通のことで、もしも頭を下げて我が儘を受け入れるのだとしたら、そうせざるを得ない関係性だからだ。従うしかない関係。

 その時にきっぱりと断れるのが、シウの立場である。

「僕があなたに命令されても従う理由はないんです。本当はこうしてお話に付き合う必要なんてない。そうしないのは、それが礼儀だと思っているからです」

 冒険者の中でだって礼儀がある。敬語は使えない人が多いけれど、後輩は先輩を立てるし、先輩に教えを請う。先輩も後輩を導いてあげるものだ。

 しかし、カミラにはそれが伝わらなかった。

「何が礼儀だ、もう我慢ならぬ!」

 彼女は近くにあった椅子を邪魔だとばかりに蹴り倒し、その場で抜剣した。

「学校内での抜剣は基本、許されていません。相手が無法者の場合のみです」

「お前こそが無法者だ!」

 それはどうだろう。シウは「どちらかと言えば、それはあなたでは」と呟いた。カミラに聞こえたかどうかは不明だ。ちょうどタイミング良く、学校の職員らがやってきた。

「そこまでだ!」

「剣を下ろせ!」

 このやり取りまでの間、フェレスはきちんと待機していた。シウの命令をよく聞いてジッと耐えていたのだ。訓練の賜物である。ただ、その目は爛々としているし、いつだって「敵」を狙えるという構えになっていたが。

 シウが結局、立ち止まって相手をしていたのは職員らが来ると《感覚転移》で知ったからだ。それなら、タイミングを合わせた方がいいと思った。

 わざとカミラを唆したわけではない。けれど、彼女の様子から、次にどこで爆発するのか分からなかった。シウ以外の人に絡む可能性だってある。ならば、ここで引き付けておいて、職員に「喧嘩は止めなさい」とでも注意をもらえばいいと思ったのだ。

 まさか抜剣までするとはシウも読んでいなかった。

 それよりもまさか、振り抜くとは誰も考えなかったのではないか。カミラは、職員の声が聞こえた後に剣を振り切った。

 幸い、冒険者でもあり戦術戦士の授業を受けて日々訓練を続けるシウだ、スッと忍者のごとく避けてみせた。ヴェネリオと悪ノリして考えた技だった。そのため、男子生徒の中には「なんだあれ」と驚いたり「冒険者すげー」と喜ばれたりした。

 しかし、職員と共に食堂へ駆け付けた衛兵は顔を真っ赤にして怒った。

「貴様、声を聞いてから、わざと振り下ろしたな! 捕縛しろ!」

 彼等の言葉からも「カミラを捕縛する」とシウは考えたし、見ていた生徒らも同じだったはずだ。ところが、何故かカミラは「してやったり」の表情でシウを笑う。もちろん、衛兵が取り囲んだのはカミラだ。彼女は本気で驚いたようだった。

「は? 待て、わたしの剣に触るな。お前たちは間違えているぞ。わたしではなく、あの流民を捕まえるんだ」

「授業以外で剣を抜くなど断じてあってはならない。入学した際、全員に伝えたはずだ。生徒だけではない。護衛や騎士もだ」

 職員が仁王立ちで説明する横で、衛兵が数人がかりでカミラを取り押さえた。

「捕縛完了、連れて参ります」

 カミラは結界の魔道具によって叫び声が遮断された。慌てたのはヒルデガルドだ。

「お、お待ちください。その者はわたくしの騎士です」

「ではあなた様もお越しください。事情を伺います」

 ヒルデガルドはひどく驚いた顔で衛兵長を見た。それから職員に目を向け、更に周囲へと視線を走らせる。その時、皆の視線が彼女の思っていたものではないと知ったようだ。

 二度、三度と瞬きを繰り返し、彼女はゆっくりと視線をシウに向けた。

「あなた、ここでも自分に都合の良い言葉を使って皆に根回しをしていたのね。あの時も噂を広めたわね? わたくしは結局、学校にいられなくなった。全部あなたのせいよ」

 その言葉でようやく、シウは彼女の心の中がどうなっているのかを悟った。

 ヒルデガルドは以前、魔獣スタンピード事件での勇み足を反省していた。たぶん、その気持ちに変わりはないのだ。けれど、彼女は学校を辞めてしまったことで大変な思いをしただろう。それは貴族社会の噂を耳にしただけのシウでも理解できる。

 それでもなんとかシーカーに留学できた。過去も払拭できただろうに、シウと再会したことが原因なのかどうか、鬱屈した思いが再燃した。そして、シウが悪いと思い込むことで心の中の辻褄を合わせたのだろう。

 シウは眉がへにょっと下がるのを自分でも感じた。

「あなたは最初、僕を守ってくれたじゃないですか。なのに、どうして?」

「ええ、そうでしたわね。わたくし、あなたを卑怯な生徒たちから守って差し上げました。それなのに、わたくしを裏切った。しかも、あなたは――」

 拳を握って詰め寄ってくる。それまで唖然として傍観していた職員や衛兵が急いで間に入った。しかし、ヒルデガルドは構わずに続けた。

「わたくしの夫となるべき人を奪ったわ」

「へ?」

 周りの人以上に、シウはぽかんとしていただろう。それぐらい驚いた。

「わたくしはシュタイバーンの社交界を追われたも同然だったわ。そのわたくしに、まともな婿が得られると思って? 諦めて他家へ嫁ぐと決めたけれど、そこでも躓いたわ。事実ではない噂話ばかりを持ち出すの。そして最後には決まって『持参金があるなら貰ってやってもいい』と言うのよ」

 それは相手が悪い。シウが眉を顰めていると、彼女は興奮したのか早口で続けた。

「そんな時だったわ。キリク様が『か弱い女性を苛めるものではない』と諌めてくださった」

 ヒルデガルドの顔に少女らしい恥じらいのような笑みが浮かんだ。

「あの方こそが、わたくしの夫になる方だと思いましたわ。でも、彼は難しい領を治めているでしょう? とても婿には来てもらえない。かといって嫁がせるのも難しいと父上は反対されたわ。わたくしが心配だったのでしょう。まだまだ社交界では噂話が広がっていた頃ですもの。時間が必要だったの。だから、わたくしはシーカーで実績を積むことにしたのよ。彼もきっと心を配ってくださる、シーカーでの実績があれば尚のこと! そう思って勉学に励んでいたところに、彼は様子を見に来てくださった」

 夢を見ているかのような、そんな姿だ。これが本当に夢の話だったなら、シウはヒルデガルドを美しいと思っただろう。けれど、どこか薄ら寒く感じるのだ。

「――あの子が邪魔しなければ、もっとお話ができましたのに」

 恋する女性の姿が突如変貌してしまった。


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