528 直接対決




 生産の授業がある水の日は、シウは食堂で食事を済ませてから帰ることが多い。飛び級で受講する科目が少ないシウにとって、友人たちと過ごせる時間が食堂だけだからだ。

 ところがこの日、その食堂でヒルデガルドとかち合った。

 確かにぼんやりしていた。《全方位探索》で彼女の存在には気付いていたけれど、てっきり二階のサロンにいるのだと思い込んでいた。そもそも、上位貴族の令嬢が一階の食堂にいるとは思わない。

 ともあれ、シウは彼女と出会ってしまった。

 ヒルデガルドは、まるで仁王立ちという言葉がぴったり合うかのような堂々たる姿で、シウの前に進み出た。

「ようやく捕まりましたわ」

「はあ」

「あなた、わたくしを避けているのではなくて? それほどまで恐れているのかしら」

 確かに、シウは面倒事に巻き込まれたくなくてヒルデガルドには近付かなかった。彼女にはマーカーを付けているから、廊下の先にいると分かれば回れ右で通路を変えた。

 怖いのも本当だ。だからヒルデガルドの言い分は間違っていない。しかし、食堂内にいた男子生徒の一部はムッとしたようだ。「なんだあの言い方」という声が小さく聞こえる。だからといってシウを助けるわけではない。相手が上位貴族だからだ。

「やはり、あなたは卑怯な人間ですわね。こそこそと逃げ回り、堂々と向き合わない。所詮は庶民、いいえ流民でしたわね」

 矢継ぎ早に出てくる言葉に、シウは戸惑いを隠せなかった。あまりに攻撃的だ。以前の彼女はここまでではなかった。

 そもそも、ヒルデガルドはここが「庶民もいる」食堂だと気付いていないのだろうか。下位貴族の子息の中には庶民と親しくする者も多い。将来、貴族になれない第二子以降の子は人脈作りも庶民に広げる。つまり、庶民の友人が多い。ヒルデガルドにとって、ここはアウェーだ。せめて、貴族の多いサロンでなら、彼女の言い草も通用したろうに。

 そう考えるのも、周囲の様子が徐々に変化していっているからだ。シウと直接関わりのない生徒でも、ヒルデガルドの物言いに眉を顰めている。そして、シウには食堂仲間がいた。名前を知らなくても、食堂に来れば仲良く話す友人らだ。

「あなたは以前からそうだったわね。人の話を聞かず、先達に敬意も見せない。鈍感で自分本位な子。わたくし、それではいけないとあなたに注意したはずです」

 シウが答えあぐねて黙っていると、ヒルデガルドの騎士カミラが表情を険しくした。

「なんとか答えたらどうなんだ! 姫がお話しくださっているのだぞ!」

「カミラ、おやめ」

「ですが――」

「カミラ、姫の仰る通りだ。流民ごときが姫に直答するなど、許されないことだ」

「ユーリア殿」

 カミラが悔しそうな表情で同僚の騎士に目を向ける。シウは初めて見る人だった。サロンで見かけたかもしれないが、少なくともロワル時代には会っていない。新しく付いた騎士だろう。態度や服装から、ユーリアも貴族のようだ。

「そう、でしたね。わたしが浅はかでした。このような流民ごときに弁論の機会を与えるなど、有り得ないことでございました」

「そうだね。とはいえ、このままでは埒が明かない。姫、ここはわたしに任せていただくというのはいかがでしょうか。わたしが彼と話をいたしましょう」

「わたくしも、話の通じない相手と会話をするのは大変だと思っていたの。ユーリア、お前に任せましょう」

「はっ」

 シウは目の前の茶番劇にぽかんとした。そして、我に返った。何故おとなしく見ていたのだろうか。シウは急いで笑顔を作った。

「そう、大変ですね。では、僕は食事を摂りたいので失礼いたします」

 フェレスを促し、シウはいつもの席へ行こうとした。フェレスは機嫌悪そうに鼻に皺を寄せていたが、唸ることもなく静かだった。ところが、そのフェレスにユーリアが近付こうとした。それだけではない。「待て! そこの騎獣!」と声を荒げる。

 シウは急いで「《結界》」と声に出して魔法を放った。

 敢えて口にしたのは、シウがそうしなければいけなかったと知らせたかったからだ。周囲にはまだ多くの生徒がいて、チラチラと様子を見守っている。せめて彼等には、シウの正当防衛を知っておいてほしい。たとえ証言してもらえなくとも。

「なっ!」

 透明の膜に阻まれ、ユーリアが手を引いた。何をされたのか気付いた彼は顔を赤くする。そして息を吸って何か言おうとした。先に制したのはシウだ。

「礼儀知らずでしょう! 他人の騎獣に手を出すなど、言語道断です!」

 シウは脳内でテオドロに感謝した。咄嗟の対応を教わっていたのだ。

 ユーリアは「なっ、何を」と怯んだ様子で、一歩後退った。

「許可も得ず、他人の騎獣に手を出そうとしたでしょう?」

「ち、違う。それはお前が――」

 食堂の空気が一気に変わった。皆の視線が突き刺さる。シウにではない。ユーリアに向けてだ。彼等はフェレスの存在を、シウが思う以上に受け入れていた。騎獣に手を出すなんてと、ヒソヒソ言い始めている。

 戸惑ったユーリアがまた一歩下がる。すると、ヒルデガルドが前に出た。彼女は溜息を吐いて首を横に振った。

「礼儀知らずは、あなたの方ですわ。ユーリア、下がりなさい。やはりわたくしでないといけないようね」

 部下の失態に呆れ、この場を取り仕切れるのは自分だけ、という態度だ。その表情に悪意はない。頑是ない子供に言い聞かせなければ、といった使命感さえ見える。


 シウはその時、ヒルデガルドが何故こんなところにいるのか、それに気付いた。

 彼女は唆されたのだ。シウの《全方位探索》にハッキリと映るマーカーがある。唆したと思われる相手、ベニグドが、食堂の二階のサロンにいた。先ほどはいなかった。渡り廊下から急いでやってきたらしい。彼はわざわざ見に来たのだ。

 焚き付けたヒルデガルドのやらかしを楽しむために。

 シウがそう断言してしまいたくなるも仕方ない。《感覚転移》で視るベニグドの表情がニヤニヤと楽しそうに見えるからだ。その顔でヒルデガルドを覗き見ている。

 ベニグドの掌で踊るヒルデガルドは憐れにも思うが、シウがそれに付き合わされる理由はない。シウは彼女の次の言葉を待たずに歩き出した。しかし、そう簡単にはいかない。

「お待ちなさい。人の話を最後まで聞かないなんて、それこそ礼儀知らずですわ」

「あなたは僕の前に突然現れ、いきなり話し始めました」

 ヒルデガルドが怪訝そうな顔になる。構わず、シウは続けた。

「何のお約束もしていませんでした。それなのに、あなた方は一方的に持論を展開し始めました。僕が戸惑うのは当たり前だと思います。まして、ご自身の騎士が失礼な物言いをされたのに窘めもしない。続けて、僕の時間を奪おうとする。でもどうして、僕が従わねばならないのでしょうか。僕はあなたの部下ではありませんし、領民でもない。もちろん、部下や領民が一も二もなく貴族に従う謂われもありませんけど」

 更に言うならば、ここでは同じ学生だ。少なくとも表向きは「対等」の存在であるべきなのだ。なにしろ、シーカー魔法学院自体がそう謳っている。

 わなわなと震えるヒルデガルドを、ベニグドは益々楽しげに見ている。他の生徒たちとは違う。食堂にいる多くは眉を顰め、あるいは憤り、また心配そうだ。

「そう、そうね。あなたは以前もそうだった。カサンドラ公爵家の娘であるわたくしを敬いもせず、蔑ろにしたわ」

「……僕は、自分の食事時間を削ってまでお話をしたくありません」

「あなたが謝れば許してさしあげようとしましたのに」

 ヒルデガルドが、可哀想な生き物を見るような視線を向ける。何かがあるのだろうが、シウは彼女の背後が気になった。カミラだ。あれほどシウを毛嫌いしている彼女が出てこないのは、騎士や護衛らが止めているからだった。しかしもちろん、シウを射殺さんばかりに睨んでいる。

「こうなっては許してあげられそうにありませんわね。まずは、あなたの礼儀知らずを指摘してあげます」

 自分のペースを取り戻したヒルデガルドが、冷たい顔を作ってシウを見下ろした。実は彼女の方がまだまだ背が高い。年下で成長の遅いシウは少し悲しい気持ちになった。

「いいこと? よく聞きなさい。学校内に騎獣を入れることは禁止されているのよ。ましてや食堂に連れ歩くなど、許されないことだわ」

 ふふんと勝ち誇ったように言い放ち、ヒルデガルドはフェレスを指差した。

「しかも神聖な学校にあのように悪趣味なものを付けさせて来るなど、許されなくてよ」

 悪趣味というのは猫の鞄らしい。フェレスのお気に入りだ。彼は貶されたのが分かって、ふんっと荒い鼻息を漏らす。

「それに、ラトリシアで孵った卵石を所有することも許されないわ。この国にいる以上、この国の法律が適用されるのよ。そんなことも分からずに希少獣を囲い込むなんて、知らなかったでは済まされないわ。あなたが未成年であっても罪は罪よ」

「そもそも、それは騎獣の子だろう? 騎獣は国に献上するものと決まっている!」

 ユーリアが横から口を挟む。彼の指差した先にはブランカがいて、またタイミングが悪く目を覚ましてしまった。シンとした中に、ブランカの「みゃぁ」と鳴く声が響く。

 一瞬、時間が止まったように感じた。しかし止まったままではいけない。シウは頭を抱えたくなった。どう返すべきか、どんな茶番なのかと考えてしまう。この流れもベニグドが仕込んだのだろうか。シウは思わず、二階に顔を向けた。《感覚転移》はそのままだったため、ベニグドの驚く様子が分かった。彼は驚いたものの、にやりと笑って手を振った。楽しんでいるのが分かる。本当に悪趣味な人だと、シウは溜息を噛み殺した。

「以前からも規則を守らない人でしたわね。けれど、もう成人となるのです。同じシュタイバーンの出身者として、わたくしはこれ以上恥ずかしい思いをしたくないの。そろそろ大人になりなさい、シウ」

 教え諭すような口調だった。まるで聖女のような微笑みだ。しかし、どこか上滑りしている。それはきっと、ヒルデガルドの言葉に重みがないからだ。中身が伴っていない。

 彼女自身の言葉ではない。シウはそんな気がした。

「……ヒルデガルドさん。シーカーでは大型種でなければ、騎獣を校内に入れても構いません。もちろん届け出が必要です。僕も許可を取りました。それに、常に傍に置くのは理由があるんです。先の、宮廷魔術師と貴族の方々の陰謀による接収事件が発端です。僕たちは危険な目に遭い、学校はそれを憂慮した。いまもなお、あなたのようなご意見が出るぐらいです。学校が配慮するのも当然ですね」

 それは勝手な言い分だ、妄想も大概にしろ。そんなカミラの声が聞こえてくるが、シウは無視して続けた。

「それと、こちらの幼獣二頭は、シュタイバーンで拾われた卵石です。知人より譲り受け、登録もシュタイバーンで済ませています。ラトリシアで孵ったからラトリシアのもの、そんな法律はありませんよ」

「いいえ、ラトリシアのものですわ!」

「それは『孵った時にラトリシア人がいれば権利の分割について考慮する』という、別紙参照の規則でしょう? ラトリシア国が冒険者から希少獣を奪うため、後に付け加えられた苦肉の策です。悪法とも言われている――」

 驚く顔があちこちに見える。知らないのも無理はない。当時は悪法として有名になり、結果、誰も教えなくなった。シウが知っているのは進んで調べたからである。

「大図書館をご利用なさるといいです。ラトリシアの法律についての本が多く並んでいますから」

 これはもちろん嫌味だったが、正しくヒルデガルドに伝わったようだ。彼女は顔を赤くし、持っていた扇を床に落とした。その音がまたも食堂内に響く。

 その様子からも、そして元々のヒルデガルドの性格からも、彼女はやはり利用されたのではないか。あるいはカミラやユーリアといった部下の話を鵜呑みにしたか。どうであれ、事実確認を怠ったのはヒルデガルドのミスだ。


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