515 無断見学者と無能指揮官の演劇会




 昨夜の夕食で評判が良かった角牛料理をお弁当に詰め、シウは気分良く学校へ行った。

 つくづく、自分は料理が好きなのだと思う。食べるのも好きだが、料理を作っていると無心になれたし、美味しいものが出来上がって食べているときが幸せだ。

 そうしたわけで朝から機嫌も良く、先日までの事などすっかり忘れて学校に着いた。人目はあったものの特に気にせず、いつもの調子でドーム体育館へと向かう。

 授業も慣れたもので1時限目を過ごし、2時限目のパターン別対応をやろうという時に、それらはやってきた。


 邪魔が入ったのだ。

「やあやあ、レイナルド君」

 授業中だというのに堂々と入ってきたのはニルソンという教師だ。

 鑑定しているので誰が誰かははっきり分かっているが、分からなくても気付いただろうと思う。プルウィアの言った通りだったからだ。

 お腹がぽっこり出て、顔中が油に塗れたようなてかりがある、黒い剛毛の髪が特徴的だった。またその笑い方が厭らしいというのか、下品なのだ。

 イメージで大変申し訳ないのだが、時代劇の悪代官そのものである。

 自分で考えてちょっと笑いそうになってしまった。

「突然、なんですか。授業中ですよ、ニルソン先生」

「分かっているとも。こちらとて授業の一環だ。さて、諸君、これが君達が今後指揮する兵隊の練習風景だ。よく見ておきたまえ」

 振り返り、ぞろぞろ引き連れてきた生徒達に声を掛けていた。

 その中にはヒルデガルドもいるし、噂のベニグドという青年もいた。

 こう言ってはなんだが、戦略指揮を学ぶ生徒というのは多かれ少なかれ同じような顔付きや態度となるのだろう。

 ようするに、とても偉そうだった。人を人と見るような視線ではない。

 教師とて同じ、むしろその教師であるニルソンの方が大人である分、ひどいのかもしれなかった。

「我々の指揮する行動にそぐわない動きもあるだろう。それを正すのも、指揮官の務めだ。分かっているね」

「ですけどね、先生。反抗的な態度を取る者もいるでしょう? そうした場合にはやはりお仕置きが必要ですよね」

 にやりと笑っているのはベニグドで、取り巻きらしい生徒達が取り囲んでにやにや笑っていた。

 どういうわけかヒルデガルドもふんと鼻で息をしそうな顔で勝ち誇ったようにシウを見ている。

 よく分からないなあと、戦術戦士科の生徒一同がぽかんとして見ていたが、我に返ったレイナルドが声を張り上げたので皆ハッと背筋を伸ばした。

「お前たちは練習を続けておけ。俺は闖入者のバカ者どもに対応する」

 おお、先生らしいことを言った。

 感動していたら、レイナルドは通りすがりにシウに小声で注意してきた。

「あいつらの目的はお前だ。なんだったら、子供達を連れて早退しろ。勝手にやっていいからな」

「はい」

 とはいえ、何もされていないうちから逃げるのもどうかと思う。

 シウは警戒だけは怠らないようにして、授業の続きをしようとクラスメイト達に声を掛けた。


 シウが声を掛けると、クラリーサ達も平常心を取り戻したようだ。

「ああいう手合いは相手をすると余計に面倒くさいので、同じ場に立たず、ほっときましょう」

「え、ええ、そうですわね。皆さん、授業を続けましょう」

 気にする生徒もいたけれど、クラリーサが声を上げたことで視線を戻した。

「ですけれど、レイナルド先生はまだ詳細をお話しになりませんでしたから、今回はどういった内容にしましょう?」

 彼女が皆を見回すと、何人かが無難なことを言ったのだが、ヴェネリオが手を小さく挙げた。

「突然押しかけてきた高位貴族の護衛と揉め事になってしまったっていう想定、でどうでしょう?」

 誰かがぶはっと吹き出した。

 今もレイナルドがニルソンに非常識さを説いているところだが、のれんに腕押し状態で話を全く聞いていないのがシウの感覚転移で知れているところだ。

 シウも笑いながら手を挙げた。

「はい!」

「あら、なんですか」

「無能な指揮官に振り回されて対応に困る現場の訓練をしたいです!」

「ぶはっ」

 今度ははっきりと、クラリーサの騎士ルイジが噴き出してしまい、手で口を押さえながらも俯いてしまった。その肩が震えている。同じく騎士のダリラが肘で突いているが、彼女も口元が緩んでいた。

「そうだよなあ、そうした身内の足の引っ張り合いも現場で起こるものな」

「サリオ、そういう話、父上殿から聞くのかい?」

 ラニエロに聞かれて、騎士の子であるサリオが苦笑して頷いた。

「仕える人と、命令系統の違うところから、上位貴族が割り込んで命令されるなんてこと、しょっちゅうらしいよ」

「うわー」

「無能な上司に振り回されるのは官吏も同じさ」

 官吏の子供であるウベルトも同情めいた発言で同意した。

「敵は、目の前にある敵だけじゃないってことか」

 エドガールも頷き、シウの意見に賛同してくれた。

「よし、じゃあ、シウの言うとおりやってみないか。無能な上司役は」

「言いだしっぺだからというわけではないが、経験値の多そうなシウにお願いしたい」

 ラニエロがシウを指名したので、他の面々も頷いた。

「経験値が多いって、確かにあちこちで面倒くさいこと引っ掛けてきてるけどさ」

 そう言うと皆に笑われてしまった。


 まずは2つのグループに分け、クラリーサ達は護衛を受けて戦地から逃げ出す貴族と護衛に扮してもらった。

 シウは戦地で指揮を任されたものの、魔獣に追われて隊を置いて逃げ出す指揮官役だ。

「その馬車をわたしに供出しろ!」

「困ります、これはお嬢様の馬車でございます」

 皆、何故か台詞まで迫真の演技で、ちょっと笑ってしまいそうになるシウだ。生徒達は真剣な顔なので、余計に。

「わたしを誰だと思っている、まるまる伯爵であるぞ!」

「指揮官様ではございませんか! 戦地にいらっしゃるはずのお方が何故ここに」

「ええい黙れ黙れ!」

 シウの部下役のジェンマは何故かノリノリで鞭を振るっていた。女性なのに男性役を進んで引き受け、顔付きまであくどい。

「まるまる伯爵様の指揮なのだ、馬車を置いて去るがよい!」

「そ、そんな!」

「姫は残しておいてもよいぞ。伯爵様をお慰めするのだ」

 いよいよ悪代官である。

 そこで、馬車に付いていた騎士や護衛達が、敵対することになる。

 シウの手勢役も抜剣して向き合った。

 ワーワー言いながらやり合っていたら、感覚転移で観察していた戦略指揮科の生徒達がだんだと静かになってこちらを見ていることが分かった。

 最初は、何をやっているんだと馬鹿にした態度で見ていたらしいが、段々と訓練の内容に気付き始め、最後には台詞の意味を理解し始めた者も出て来たようだ。

 わなわな震える者もいれば、眉を顰めたり、馬鹿にした視線で見ている者もいた。

 が、ヒルデガルドは射殺せるほどの強い視線で見つめており、ベニグドはどこか面白そうな感心した様子で観察していた。


 結局、訓練ではシルトが張り切ってしまい、下級貴族の馬車側が勝ってしまった。

 終了すると反省会だ。

「この場合、指揮官のまるまる伯爵が生き残っていても、万が一殺してしまったとしても、後で問題になるので今回の対応はまずいよね?」

 シウが指摘するとシルトははっきり分かるほどにしょんぼりして肩を落としていた。

 エドガールがその肩をポンポン叩いて、慰めている。

「じゃあ、どうしたら良かったのかしら。供出していては、逃亡した無能な指揮官を助けたことになり、後々連座制で捕まってしまう恐れもありますわ」

「あるいはまるまる伯爵に罪をなすりつけられて、供出した者だけが割を食うこともあるのでは?」

「無能で逃げてきた伯爵にそれができるか?」

「逃げるということは卑怯だからだ。それだけ非常識なことをしでかすわけだから、可能性はある」

「では、どうしたら良かったんだろう。抜剣してきて向かってきたのは無能な指揮官側なのに」

 話をしながらも、生徒達は先程の戦い方をなぞっている。こうした方が良かったのではという組み方を互いに咀嚼しているのだ。

 シウは動きを止めて、手を挙げた。

「逃げるが勝ちだったんだよ」

「え」

「抜剣を待って、相手側に殺意があったことを確認したら、その剣を受けつつ下がるんだ」

「そ、それは」

「うん。高等だからまだ習ってないけど、でも本当は一番必要なことなんだよ」

「しかし、騎士が逃げるなど」

「いや、護衛は逃げることこそ覚える」

 生徒ではないものの訓練に混ざっている護衛達が手を挙げて発言してきた。

「守護する主を、どんな手を使っても守る。それが護衛の仕事だ。シウの言うことは冒険者ならではの発言で、この場合、生きて逃げ延びればいかようにもなるという意味だ」

「しかし、後々その無能な指揮官に仕返しされないでしょうか」

「何をやっても無能な指揮官にはやられることは、分かってるよね?」

 シウに言われて、皆がシンとした。

「だったら、まずは逃げ延びることだね。その上で、証拠を残す」

 どうやってと聞かれたので、シウはそこでようやく戦略指揮科の生徒達が集まっている箇所に視線を向けた。つられて、クラスメイト達もそちらを見る。

 シウは、まるで彼等に向かって言うように、口を開いた。

「そんなの、ここで話せるわけ、ないよ。秘密の方法なんだから」

 にんまり笑うと、クラスメイト達も次第に笑い出した。

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