516 証拠の取り方、躱し逃げる術




 シウの台詞がしっかり届いたらしく、ヒルデガルドは挑発されたと感じたのだろう、ものすごい形相と視線でシウを睨みつけていた。いや、彼女の騎士カミラの視線の方が怖かったぐらいだ。

 シウの隣りにいたシルトが尻尾を膨らませていたので、目が合ったのかもしれない。可哀想に耳もぺたんと倒れていた。

 その反面、ベニグドは楽しげに口角を上げて笑顔だ。ただしその目は全く笑っておらず、目を細めてしっかりシウ達を観察している。

 他の生徒達は意味が分かった者は半分もなく、残りはよく分からなかったようだが、それは支配する側だと思い込んでるせいで、支配される側であると思い込んでいるシウ達の言動の意味を理解できないからだった。

 嫌味に気付いた敏い者達だけが、怒りを露わにしていた。

 シウはにっこり笑顔で会釈すると、スッと手を上げて結界を張った。透明の物ではなく、白い色付きの結界だ。これで彼等からの視線も感じなければ声さえ届かない。

 反対にこちらの声も届くことはなかった。

 感覚転移しているので彼等の罵倒は聞こえていたシウだが、クラスメイトには素知らぬ顔をして伝えた。

「証拠を取るのは意外と簡単なんだよ」

「え」

「たとえば、刀傷を軽く受けても良い。その刀を奪えたらもっと良いね」

「それは」

「傷の照合と、刀の持ち主を追うことはさほど難しくないし、魔法を使えば簡単なんだ。その代わり治癒してもらうのは神官だ」

「あ、成る程。つまり、逃げこむ先を神殿にすれば良いというわけだね?」

「他にも、誓言魔法を使えば良いから、神殿に駆け込むのは良いよね」

「その神官が賄賂を貰っていたら、どうなる?」

「誓言魔法で、先に誓ってもらうんだよ」

「あ」

 シウはにっこり笑って、皆に教えてあげた。

「だからこそ、普段から神殿には寄進をしておくべきだし、祈りを捧げた後も交流を持っておくべきだね。それはひとつだけではなく、領があればそちらにも、王都でなら各種あるのだから、そのどこにでも顔を出しておくことは良いよ」

「……だから、普段から父上は寄進をしているのか。なんだか嫌な仕組みだと思っていたのだけど」

「金目的の神官がいることも確かだからね。腐敗している神殿もあるとは言うけれど、誓言魔法は嘘はつけないから」

「でも、それだけで本当に大丈夫かしら」

 イゾッタが心配そうに口を挟んだ。クラリーサの従者である彼女は、伯爵家の大変さも重々承知しているだろう。

 シウは、他にも手はあると説明した。

「自動書記魔法もあるよ。これは魔道具としても売ってるからね。あ、宣伝じゃないよ」

 そこで皆が笑った。

「面白いもの作ってるなあ」

「騎士には証言力があるとも聞いたけど」

「確かに。我等は騎士学校を卒業する際に、神へと誓う。その発言力は大きく、証人としての威力は時に貴族よりも大きいと言われているな」

「だからこそ、常に品行方正にしておかなければならないと、口酸っぱく言われています」

「貴族は常に、騎士を従わせているし、そうした対策も兼ねているんだろうね」

「あとは第三者の目もあればいいのでは?」

「だとしたら、逃げる際に秘密裡にするのではなく、家の者や門兵などに伝えておくことも大事だな」

 最後にクラリーサが宣言した。

「そもそも、常日頃から品行方正に『貴族たるもの、その身分に相応しい振る舞いをしなければならぬ』ということですわね」

「そうですね、クラリーサ嬢」

 エドガールが何度も頷いた。2人とも父親が伯爵位なのでそうした教育は常に受けているのだろう。

「堅苦しいなど言わず、貴族としての務めを果たすことも大事なのだと改めて思いましたわ」

「わたしもです。人脈作りも、いざというときの布石になるわけでしょうね」

「結局、身を守るのはそうしたことなのですね」

 溜息のような息を吐いて、2人は苦笑していた。


「でも、庶民だとそういうわけにもいかないだろ。俺達は特に獣人族だからな」

 拗ねるわけではないが、どこかやけくそ気味にシルトが言った。

 そこに将来は軍隊へ入ると言っているウベルトも同意する。

「無能な指揮官には従わざるを得ない。結局、下の者は上の舵取り次第で変わるんだ」

「そうだよねー」

 シウもそこは同意だ。

「だから、僕はどこかに所属する気はないんだけどさ」

「うわ、言い切った」

「でもそれはシウだからだよね。自由にしてもやっていけるだけの工夫力があるっていうか、たとえば森の中で暮らしていけるだけの力があるだろ?」

「うん。普通の人には無理だよね。で、今の時間が大切なんだよ」

「今の時間?」

「いざと言う時に、襲ってくる相手を躱してなんとか生き残れるだけの逃亡術っていうのかな、避けるだけの力を身に着けるんだ」

「ああ……」

「戦術戦士って、何も前向きに戦うだけの授業じゃないと思う。戦術って、勝てない相手を見極めるものでもあるよね。レイナルド先生もよく相手の力を見極めろ、心眼を磨けって言ってるし」

「そういう意味だったんだ……」

 呟く声に被せるよう、クラリーサが手を挙げた。

「たとえば、護身術を覚えましたけれど、あれも逃げるのに役立ちますか?」

「もちろん。普段から走り込みもして体力を付けているのも良いと思うし、いつも訓練前にやっている柔軟体操は大事だよ」

「ええ、あれのおかげで、本当に体が楽になったのです」

 ジェンマとイゾッタも頷いている。遅れてダリラも頷いており、女性陣は特にその効果の恩恵を受けているようだ。

「シウ。この中だと誰が一番逃げるのに適している?」

「そうだなあ、さっきの訓練でなら、1人で逃げる場合はヴェネリオ、森へ逃げるならシルト、貴族令嬢を抱えて逃げるならコイレかなあ」

 その答えに、質問したエドガールも、名前を呼ばれた生徒達も驚いていた。

 クラリーサも興味津々で名指しされた生徒を見ている。

「それは何故?」

「逃げることに特化しているのはヴェネリオだよ。彼なら隠れてどこまでも逃げ続けられると思う。たとえば大事な伝令を頼む場合は彼向きだ。それは、個人行動が得意で、壁のぼりなどの技を幾つも持っているからだよ。反面、人を連れてはいけない。あくまでも個人の能力に特化しているから」

「成る程なあ」

 ヴェネリオも納得していた。

 次に赤い顔をして照れているシルトを見ながら説明した。

「シルトはこの中で一番森に慣れている。そうしたら他の2人にだって能力はあるだろうと思うかもしれないけど、度胸が一番あるのはシルトだ。いざって時はお姫様を守れるだけの度量もあるし、剣技にも優れている」

「そ、そうか?」

 照れ臭そうにシルトが自分の耳を引っ張っていた。その耳がピコピコ動いているのがまた可愛かった。

「ただし、お姫様への思いやりというのか、弱い立場になったことがない人特有の、鈍感さがあるからね」

「うっ」

「その点、コイレは下の立場から物を考えられるし、足は遅くなるかもしれないけれど順調に森を抜けるとするならば、総合的に言えば彼が一番だと思う」

 コイレは困ったような顔をしつつも、耳が自慢げに立っていた。褒められて嬉しくない人はいないようだった。

 シウは皆を見回して、付け加えた。

「だからって他の人がダメってわけじゃなくて、それぞれに持ち味があるんだと思う。その場面場面で、活躍できる人が違う」

「つまり、指揮官っていうのは、その場で最良の人選が出来なければならず、わたし達のような上に立つ者としては多かれ少なかれ、持っていなくてはならない能力というわけね」

「うん。騎士が必要な場面、護衛が頼みとなる場面、あるいは冒険者が危険を切り抜けるカギとなることだってある。それを選ぶのはその場にいる指揮官だ。さっきの場合は、貴族令嬢だね。あるいはその騎士」

 クラリーサのみならず、騎士達、それに他の面々も顔を引き締めていた。

「このクラスでの訓練で必要なのは、特化した能力を伸ばしながらも、お互いの能力の良いところを認めたり、吸収したりすることだよね」

「そうですわね。どうしたって、わたくしにはウベルトのような鎧を纏って長槍を振り回せるほどの力はありませんもの。でもその力はとても大事だわ」

「俺だって、ヴェネリオみたいな身軽さで塀は越えられない。だけど、俺の肩を使って上ってもらう土台となることはできるな」

 皆が互いの良いところを言い始めて、急遽恥ずかしい話になってしまった。

 全員が言い終えるまで待っているとシウも困るし、照れている数人のクラスメイトを守るために、話を止めた。

「ということで、さっきの動きを再現して、やり直してみようよ」

「お、おお、そうだな」

「そうしようそうしよう」

 慌てた数人が、シウに感謝の視線を向けてきた。同じ気持ちのシウも、笑って頷いたのだった。


 ちなみに褒められてしまったウベルトとヴェネリオは、暫く身悶えて訓練にならなかった。

 その前に褒められていたシルトは、上げて下げられたからか、案外落ち着いていた。

 そして、コイレは元から落ち着いているので、すぐさま復調していたのはさすがであった。

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