497 2人の辺境伯、先買い権、出立
ハヴェル=ヴァイスヴァッサー辺境伯は自ら名乗ってくれた。たまに庶民相手には名乗らずとも良いだろうと、秘書官が代わりに名乗ることもあるのだ。
しかも彼は先に名乗ってくれた。
挨拶を返すと、分かっていただろうが「本当に子供なのだな」と言われてしまった。
それで思い出したので慌てて付け足した。
「飛竜混戦レースでの優勝、おめでとうございました」
すると、ちょっと疑り深い目で見られてしまった。シウの言祝ぎを信じてないぞというような、雰囲気である。
「ハヴェル殿、シウはそうした貴族の嫌味は言わんよ。思い出して言ったに過ぎない」
キリクが助け船を出してくれ、ついで座るよう横のソファを勧めてくれた。そこに何の疑問も抱かずに座ると、フェレスが足元に鎮座した。ブランカはふにゃあと眠そうな顔でシウに抱っこして欲しそうにするので受け取る。クロは騒がずシウの胸の中にある移動用お布団に包まって寝ていた。
「……そうか、すまない。勘違いしたようだ」
「はあ」
ブランカを手であやしながら曖昧に返事をしたら、ハヴェルの秘書官の1人に睨まれてしまった。
「優勝したご褒美にと強請ったキリク殿との勝負では、コテンパンにのされてしまったのでな。つい、穿ったものの見方になっていたようだ」
悪かったと、軽い会釈程度であったが謝ってくれた。これは貴族としては破格の対応だ。びっくりしていたらやっぱり先程の秘書官が睨んでくる。これは同様に対峙していたらダメなパターンだなと判断した。
「いえ、わたしこそ不調法で申し訳ございません。大貴族の方を前にして緊張しておりました」
キリクの眉が片方ピクリと動いて、シウを見ていたが素知らぬふりをする。
確かに、緊張している割には普通にソファへ座ったけれども。
「ところで、シウと申したな。実はキリク殿から話には聞いていたのだが、先日のレースでまたも飛竜から落ちるという失態を犯した者が、その噂の魔道具によって助かった。実は、レースでの死亡事故を起こすことは避けたいと、フェデラル国では予てからルール作りを見直していたのだが」
どうやら彼が実行委員の1人でもあるらしい。
「かすり傷ひとつ負わなかったというのは素晴らしいことであった。正直そこまでのものと思ってなかったので、我が隊には用意していなかったのだ。そのせいで、あわや大惨事という事態にもなりかねなかった」
チラリと振り返った視線の先には秘書官がいて、ばつの悪い顔をしていた。彼が反対したのかなと当たりを付けていたら、ハヴェルが先を続けた。
「あれほどの素晴らしい品は、我等飛竜乗りにこそ必要だ。どうだろうか、我等に先買い権を与えてはくれないだろうか」
ギョッとしたのはキリク達だろう。だが、さすが顔には出さなかった。
シウは苦笑して、目の前の若い男性、といってももう29歳になるらしい辺境伯を見つめた。
「冗談でも、そのような発言は控えられた方がよろしいと思います」
「……冗談とな」
「もし本気でしたらおかしな人で済みますけれど。冗談だったら、こんな面倒くさい相手には付き合いたくないなと思わせるだけです」
キリクは悪そうな顔をしだしてニヤニヤしていたが、イェルドは少し慌てたような顔になった。
それから、ハヴェルの後ろに立つ、あの睨んでくる秘書官は憤怒の様相だ。
何も喧嘩を売るつもりはないのだが、これはどう見ても売られているに等しい話なので、仕方ない。
「ヴァイスヴァッサー辺境伯様は、今ここに僕を呼ばれて、商売の話をされているのですよね?」
「え、あ、ああ」
「商売でしたら、相応の手順を踏んで下さらないと。そもそも、僕はこの国の人間ではありませんし、先程名乗りましたように冒険者で魔法使いですから、厳密には流人扱いとされる者です。つまり、この国の法に従う謂れはなく、その代わりにこの国に助けていただく理由もない。そのような人間相手に商売を行うのですから、下調べなさらないとなりません。そして、きちんと調べていたならばご理解いただけるかと思います。先買い権は有り得ないということが。万が一、特例を設けるのならば、それは一番危険な立場に陥る冒険者などに対してです」
「なっ、なんという」
「無礼な!」
ハヴェルの後ろで秘書官達が声を上げたけれど、ハヴェル自身はぽかんとしていた。それをキリクは相変わらずニヤニヤと笑って見ている。人の悪いことだ。
「仲良くさせてもらっているキリク、様に対してだって、先買い権は発生させていないのです。しかも先日お会いしたアドリアン王弟殿下にも、良いものだから買わせてもらうとだけ、仰っていただきました。決して融通しろなどと、暗にも仰られませんでしたよ?」
「む……」
「お取引されたいと申し出てくださったことは大変有り難いことですが、僕は特許を取った後はある最低限のルールを設けて、各業者に任せています。そうしたお話は、今後は商人ギルドへお願い致します」
「……シウよ、おぬしは商会を立ち上げるつもりはないと、そういうことか?」
「はい。僕の本業はあくまでも冒険者ですから」
寝入ったブランカの背中を優しく撫でていると、ようやくキリクが口を開いた。
「どこの王族でさえ、こやつを操ることはできないのだ。気にすることはない」
「……どこの、と申されたか」
「ああ。俺が知っているだけで、シュタイバーン、デルフ、ラトリシア、それに、アドリアン王弟殿下を数に入れて良いのならばフェデラルもだが。まあ、アドリアン殿としか面会していないのなら、フェデラルは外すか?」
最後はシウへの質問のようだったが、シウは肩を竦めただけだった。
そもそも、どこの王族の事もシウは巻き込まれた感満載なのだ。
「それと、シウの言うことを後押しするわけではないがな。もう少し事前に調査しておかれることをお勧めする。貴殿はもっともやってはならない手を打ったのだ。もう少し身の回りには信用に足る人間を集めることだな」
「……確かに、そうかもしれぬ」
何か考えることでもあったのか、ぐっと拳を握ってからハヴェルは立ちあがった。
キリク、そしてシウを見て軽く会釈した。
「お騒がせしたようだ。また今度、機会があればぜひ会っていただきたい。その時には仕切り直しとさせてもらおう」
「楽しみにしているぞ、ハヴェル殿」
「ハヴェル様、失礼なことを申し上げました。お許しくださるのであれば、ぜひまた今度お会いできることをお待ちしております」
シウも殊勝に返事をして、彼等を送り出した。
ちなみに最後まで例の秘書官は態度が悪かった。彼が諸悪の根源のような気がして、全員出て言った後にイェルドを見たら、溜息まじりに叱られてしまった。
「ああいうタイプは根に持つのです。煽ってどうするのですか。シウ殿、あなたはもう少し分別を持たれなさい。そして、キリク様。ニヤニヤしすぎです!」
「だってなー」
ははは! と笑って背伸びをしている。長く座っていたのか、背中がボキボキと鳴っていた。
「ハヴェル殿も焦っているようだなあ。まだ若くで領主になったせいか、実力が伴わないと影口叩かれないよう四苦八苦だ」
「そうなんだ?」
「だから、俺との手合せを望んだり、お前の能力を買い取ろうとしたわけさ。どうせ、甘言ばかり言う部下を集めて、言われた通り焦っての行動だったのだろうよ。それにしても、残念だな。あいつの気性は気に入ってたんだが」
同じ辺境伯という血筋に生まれたことで、何度か話をしたことがあるらしく、以前はここまでではなかったと教えてくれた。
「何を焦っているのやら。もう少し鷹揚としていなければ、下の者がしんどいだけだ」
「キリク様は鷹揚としすぎでいらっしゃいますが」
イェルドにぶちぶち言われて、キリクはサーッと逃げて行ってしまった。
残された秘書官達に労われ、レベッカに付き添われて部屋に戻ったが、王都リアの最後の夜はこんな風に過ぎて行った。
翌日、フェデラル国を出立することになった。
行先はシュタイバーンの王都ロワルだ。
次々と発着場から飛竜が飛び上がる姿は圧巻で、こうした景色はこれから毎日連続で10日ほどかけて続くそうだ。
大会が終わって3日目に発着場を使えたのはキリクが有名な貴族だからであり、慌ただしく出発しないで済む一番良い頃合いなのだとか。
この日は、ほぼオスカリウス家が独占しているといっても良いほどの飛竜の数々が空を埋め尽くした。
シウとリグドール、カスパル達はサナエルの飛竜に乗せてもらった。
先発隊で、やや強行軍グループに属している。
キリクは本体を先導するということで、後方に位置し、アマリアやアリスなどの女性陣を守るグループとして遅れてくるそうだ。
王都でまた会うことを約束して、シウ達は先を急いだ。
なにしろ時間は有限だ。早く戻りたかった。
ちなみにリグドールは課題や勉強をしたいというのも理由のひとつ、お小遣い稼ぎに冒険者としての仕事もしたいということで同行していた。
カスパルは本が読みたいからだ。ゆっくり飛竜に乗っての移動よりも、多少疲れても早く落ち着きたいようだった。
帰路は距離と時間を短縮させる為に、シルラル湖上空を飛ぶルートが選ばれた。
「これなら国境に跨るウィリディスマリス山脈を大きく迂回することもないだろ?」
サナエルは自慢げに言ったものの、地図を思い描けばこのルートが大変なのは分かる。
山脈にぶち当たらないよう間を縫うように通り過ぎねばならないが、それこそヴァイスヴァッサー辺境伯領の上空などでは西にウィリディスマリス山脈の端、その北に険しいフルカ山脈、中央の平野部を除けば今度は東にグラオ山脈と北にフェアトライブング山脈がある、なかなかの気を抜けないコースなのだ。
しかも北部の山脈は中央側に迫ってくるので、飛竜が飛べるコースも限られてくる。
山脈が多いと気流に乱れが出るので、長距離を飛ぶ場合は敬遠されるのだが、サナエルは楽しそうだった。
「あの山脈の狭い場所を抜ける時の快感といったら、ないんだぜ」
その上、シルラル湖はシュタイバーン国の所有なので、山脈と湖の境目が国の境界線となっているため、険しいその部分に有名な関所がある。
そこをオスカリウス領の旗を掲げながら通るのがどうやら楽しいらしい。
主も主なら、部下も部下だ。変人というか、悪質な遊びに、シウ達も巻き込まれたようだった。
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