473 オリヴェルとの会話、聖獣の慈悲
貴族は信用がならない生き物だからと、オリヴェルは警戒して誰にも相談できなかったそうだ。
で、アマリアと仲が良くて貴族でもない、しかも意外と背後に強い後ろ盾を持っているシウに目を付けたらしい。
「兄上と何度かお会いしているという噂は聞いていたのだけれど、先日は聖獣様へ直に面会していると知ってね。それはもう驚いたし、羨ましくも思ったが、これはもしかしたら良い機会ではないかと考えたんだ」
そして、シウの手を握って、心底から謝ってくれた。
「君を利用してごめん。でも、ファビアン殿から、君は信用に値する人物だと聞いてね」
「ファビアンが?」
すでに呼び捨てになっているが、これももちろん本人の了解済のことだ。
カスパルとの会話が羨ましいと駄々をこねられて、仕方なく承知した。
「彼はもしかしたら事情をうっすら知っているのかもしれないね。あるいは、わたしが君のことを気にしていたのを知ったのか。飄々としているが、ファビアン殿は意外と情報通だよ」
「そうなんですか。カスパルと同じで、研究バカの変人だと思ってました」
「……君、本当にすごいことを言うね」
「あ、すみません」
謝ると、不意に噴き出して笑われた。
「あはは。いや、うん、なんだか気持ちが良いね。……ヴァルネリ先生が君を気に入っているのも分かる気がするなあ」
それは分かってもらいたくない、というか、気に入られたくない。
そう思って渋い顔にでもなったのか、オリヴェルがまた笑った。
「そ、そんなに、嫌がらなくても! ははは」
「だって、あの先生、確実に変ですよね?」
「うん。わたしも、ちょっと苦手だ。授業の内容はとても面白いんだけどね」
「そうなんですよねー、あの発想はさすが天才だと尊敬できるんですが」
空気を読まないからなあと思って、すぐ近くに座る、同じような性質の聖獣を見た。
「天才となんとかは紙一重ですかね」
「……ぷっ、く、くくく、ダメだよ。シウ、君、それは」
笑いながら、やがて机に突っ伏してしまった。その姿は王子には全く見えない、普通の青年の姿だった。
目を覚まさないシュヴィークザームは置いて、その後は生徒らしく授業の話をしたりと楽しく過ごした。
気が楽になったのか、オリヴェルも屈託のない笑顔となって学校のあれこれや、王宮内での面白い話をしてくれた。
友人になってほしいと言われたので気軽にいいよと答えた時に、シュヴィークザームが目を覚まし、偉そうなことを言いだした。
「うむ。これが我の望んでおったことよ」
「へー」
「そうなんですか、聖獣様」
この頃にはオリヴェルも半信半疑であった。シウがあることあること言ったので。
「む、信じておらぬのか。よし、良いことを教えてやろう」
「はい」
「おぬしの侍女の、あの年嵩の女よ。あれはちと心を病んでおる。しばし王城から離れさせよ」
「……あ」
話を聞いていたんじゃないのと思ったが、オリヴェルはそれだけでまた「聖獣教信者」になってしまったようだ。
「そう、したいのは山々なのですが、聞かないのです。いまだに母の死は暗殺であったとか、妄想めいたことばかり申しまして」
「それもまた、心の病気であろう。そもそもはヴィンちゃんが悪いのだ。貴族どもから腹黒い女どもを送り込まれて心休まることがないと鬱屈しておってな。その癒しを、年端もいかぬ子に求めてしまったのだ。確か、子を産んで数年で死んでしまったのだったな。あれがおぬしの母か。憐れなことだ」
オリヴェルは聖獣から聞かされる当時の話に、聞き入っていた。初めて身内以外からの客観的な様子を聞いたのか、驚いているようだ。
「あの、母はやはり、その、望んではいなかったのでしょうか」
そちらの心配もしていたようで、こうして聞くとオリヴェルが可哀想だった。自分の存在意義について、幼い頃から苦しんでいたのだろう。
それが分かったからか、シュヴィークザームが憐れむ目でオリヴェルを見た。表情は変わらないが、その目は雄弁だった。
「最初はよう分からぬうちに、訳も分からぬ様子であったがな。しかし、女は強い。腹をくくった後の、あの顔ときたら。我が一言叱ってやろうとヴィンちゃんの部屋へ向かったら、啖呵を切っておったぞ」
「……なんと、ですか?」
「もう二度とこのような目に遭う女を作るな、とな。貴族の悪しき習慣が、王族から出たのかと思いました、とも言うておったな。あれはなかなか面白かった。ヴィンちゃんが土下座をしていたのも、良かったな」
ブッと吹き出したら、オリヴェルが困った顔をしてシウを見た。彼もどう反応していいのか分からなかったのだろう。
シュヴィークザームは最後に、好々爺のような慈愛のある眼差しでオリヴェルに教え諭すよう告げた。
「『宿った命は必ず産んでみせます、だからあなたも慈しんでください』。そう言うておったぞ、おぬしの母は。その後立派に産んでみせた。命が儚くなったのは寿命よ。ヴィンちゃんも嘆いておった。それとな、正妻の、名はなんといったか、あのおなごもヴィンちゃんを叱っておった。他の女狐どもは知らぬが、あの正妻がいて、暗殺というのはなかろう。良いな、おぬしももう、過去の事で思い煩うでない。先ほどの女も早う安らかにさせてやれ。おぬしが囚われなければ、あれもゆるりと治っていくであろう」
「……はい」
「あの女に加護を与えてやろう。少しは楽になるであろうからな」
オリヴェルが深く頭を下げた。
聖獣から加護を授かるのは栄誉であり、恐れ多いことなのだと、その姿を見て実感した。
オリヴェルの従者イクセルは、ルサナの息子でオリヴェルとは乳兄弟として共に育ったそうだ。
ルサナに加護を与えたシュヴィークザームを、その姿が見えなくなるまで、いや廊下を曲がった後までも、ずっと頭を下げているのが分かった。
「シュヴィ、優しいね」
「ふん」
「優しいから、貴族に会うのが嫌なんだ」
今度は返事もせず、スタスタと歩いて行った。
面白い聖獣だ。
「シュヴィ、待って」
「遅いぞ。早く来い」
「はいはい」
そのまま彼の部屋へ戻るのかと思ったが、シュヴィークザームは政務が行われている王城へと足を運んだ。
近衛は隣りを歩いている。行先を告げないので先導にならないのだ。
どこへ行くのかなーと思っていたら、人とすれ違うのが多くなり、その全部にギョッとした顔をされた。シュヴィークザームを見てもだが、シウとその横のフェレスを見ても。まあ、フェレスは相変わらず猫のぬいぐるみ鞄を背負っているので、致し方ない。
「あ、ここって」
部屋の前に立つ煌びやかな近衛兵の数々に、シウは顔を顰めた。
立ち止まって待っていると、何故だかシュヴィークザームに手を取られる。
「え、いくらなんでも、まずいよ。置いていって。お願い、ほんと、ダメだって」
「おぬしが一緒だと、格好を付けるからちょうど良いのだ」
「てことは、怒らせる気満々なんだ」
思わず口にしたら、シュヴィークザームは片眉を器用にひょいと動かし、それから口角を上げた。無表情でそれをやられたら怖いのだが、真っ白い青年は愛嬌があるとでも思っているようだ。その目がニンマリしている。
そのまま執務室に乱入すると、秘書官達が一瞬慌てたものの、その姿を認めてホッとしていた。慈悲なる聖獣ポエニクスが相手では恐れることなどないのだろう。その横の子供に対しては眉を顰めていたけれど。
「……どうしたのだ、いきなり。それに、その子供は」
「これは我の友人だ。ただの記憶係だ、気にするでない。それよりも、我はおぬしを叱りに来たのだ」
シュヴィークザームがそう口にするや否や、筆頭秘書官らしき男性が急いで人払いをした。
中にいた大臣、付添いの秘書官に従者、それに国王の護衛と思われる男性達も含めて一斉に飛び出すよう、出て行ってしまった。
シウもついていきたかったのだが、手を握られたままだ。
「国王という仕事が忙しいのは分からぬでもない。だが、親ならば、子のことをきちんと見ておれ。我は子を大事にせぬ親は嫌いだ。ヴィンちゃんと言えども、許さぬぞ」
「……一体どういう」
チラッとシウを見るので、慌ててぶんぶんと頭を横に振った。違う関係ないと意思表示したのだが、筆頭秘書官の男性が訝しそうにシウを見ている。
「ヴィン二世はもはや大人であり、親であるから、ま、良いだろう。養育に失敗したとは思うが。あれはもう矯正できん。が、4番目あたりからはまだ子供である。もう少し可愛がってやれ」
「ふむ」
「ヴィン二世も可愛がってやると、面白かろうが」
そうだろうね、とシウも思った。ものすごく嫌がる顔のヴィンセントを想像して、笑いかけたが、もちろん我慢した。筆頭秘書官の視線が怖い。
「我は、貴族のあれやこれやのやりとりが嫌いだ」
「そうであろうな」
「そのような場に出すのであれば、せめて親の愛情を注いでおけ。我のように、嫌だからと言って避けられる立場でないのだろう?」
「そうだな」
「獣など、もっと簡単なものを。何故、人間はこうも分からぬのか。我には理解できぬが、それが種族の違いよな。それでも、我にも分かることはある。親の愛は何にも勝るのだとな。良いな、子を大事にするのだぞ。間違っていたら叱れ。それ以外は、羽で温めてやれば良いのだ」
人型なのに、何故かシュヴィークザームが顕現した不死鳥に見えた。その大きな羽が、とても暖かく過ごしやすい場所のように感じる。
同じことを、筆頭秘書官も感じたのだろう。険のある目付きだったものが、穏やかになっていた。
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