437 新魔術式開発研究科の見学
金の日の午後、見学するために新魔術式開発研究科へ赴いた。
教室に入ると一斉に視線を感じて、久しぶりのアウェー感を覚える。それに、なんとなく嫌な感覚があった。なんだろうと思いつつもすぐさま収まったし、しかも思いがけない人物がいて、一瞬の違和感は飛んで行った。
「あれ、シウじゃないか。君、こっちに来たのか!」
しまった、ファビアンがいたのか、と慌てて記憶を辿った。そういえば彼はこのクラスへシウを誘っていた気がする。
頭を抱えたくなった。なにしろアラリコから彼の所業は聞いている。見た目に騙されてはいけないのだ。
爽やかな笑顔の人の良さそうな青年だけれど、彼は研究者肌なのだ。つまり変人なのだった。
「昨日はカスパルだけで君は来ないしさ。ところで複数属性術式の科目は飛び級したの? 君、変わった術式ばかり作るって聞いたけど、庶民のためのものだとか節約って話――」
「ストップ、止まれ、黙ってください」
慌てて止めた。彼の従者は小さく頭を下げてくれたが、主の方が分かっていないようだった。
「うん?」
「今日はトリスタン先生の顔を立てる格好で見学に来ただけなので、静かにひっそりとしていたいんです。ご挨拶もせずに申し訳ありませんが、後ろへ行ってますので捨て置いてください」
「……えー」
「ファビアン様」
「分かった分かった」
従者に窘められたファビアンは、あーあ、とぶーたれた顔をして席へ戻って行った。
そんな顔をしていても生まれながらの貴族だからか、優雅に見える。
そのへんはやはり貴族なのだなあと感心した。
後方にいるファビアンの騎士達と顔を合わせて会釈し、他の面々とも軽い会釈で席に座った。騎士や護衛は立っている者もいるが、従者などは座っている。
ファビアンの従者のうちゾーエという女性だけは彼の傍に付いているが、授業中も補佐をするのかと驚いた。
他にも鑑定していたら全員が従者らしき若者を傍に置いている。
変なクラスだなあと思っていたら先生がやってきた。
「さて、それでは授業を始めようか。前回の浄化魔法の応用については……」
言いかけて止まった。
暫く思案げに在らぬ方を見ていたが、突然歩き出して後方にやってきた。
「君、遮蔽かけてるね?」
シウの前に立ってにこにこと笑いながら言い放ったので、唖然としつつも頷いた。
「あ、はい」
「すごいね! 僕のとっておきの魔術式を弾いたのか!」
「あ、あれがそうですか」
教室に入った時の違和感が、そうだったらしい。
「でも術式とは思いませんでした。ものすごく高度な術式を掛けてるんですね。全く気付きませんでした」
デルフでもラトリシアでも感じたことのないものだった。
自動で魔術式をキャンセルしたことにも気付かなかったのだ。思わず興奮してしまって、先生を相手に「すごい」と言ってしまった。
言ってしまって、慌てて口を押さえた。
「あ、えと、すみません……」
「何をだい? いやあ、それにしても君、すごいなあ!」
肩を叩いて笑いながらハグしてこようとしたので思わず避けたら、悲しそうな顔をされてしまった。
「あ、その、小さい子がいるので」
抱っこひもの中を指差すと、慌てて謝ってくれた。そして首を傾げた。
「ところで、君、どこの子? 誰かの従者?」
ダメだ、この人。
トリスタンから連絡が入ってるはずなのにと、困惑しつつ告げようとしたら彼の秘書か従者らしき男性がさっと近付いてきて耳打ちした。
「トリスタン教授から本日、見学の生徒がいらっしゃるとのお話がございました。ヴァルネリ様もお受けしたはずです」
「あ、そうだったっけ」
天井に視線を向けて、でもたぶん思い出していないだろう顔をして、またシウを見降ろした。
「でも、この子、子供だよ?」
お付きの男性が辛抱強く、しかし目が据わった状態で告げた。
「未成年ではあるがとても優秀な子だと、仰って、おられました、ね?」
最後の方は一語ずつ区切って言うので、ちょっと怖かった。
先生は何度か頷いて、それから、まあいいかと小声で呟いた。
思い出していないんだなと思ったら、お付きの男性も同じように思ったらしくて、シウに向き直り頭を下げた。
「このような方ですが、トリスタン教授の弟弟子でもあり、能力も高いのです。どうぞお許しください。名乗りが遅れましたが、わたくしはラステアと申します。こちらの、ヴァルネリ=クレーデル様の秘書兼従者として務めておりますので、通訳が必要でしたらどうぞわたくしまでお声掛けください」
通訳かあ、とその言葉に苦笑しつつ、シウも頭を下げた。
「ご丁寧にありがとうございます。シウ=アクィラと申します。今日は見学に参りました。よろしくお願いします」
「ふうん」
ヴァルネリは傍で突っ立ったまま興味深そうにシウを見降ろしており、早く授業に戻ってほしくて、視線で檀上を示したのだが彼は全く気付こうともせずにシウを見ている。
今度は鑑定していることがはっきりと分かった。
「やっぱり、ダメだ。すごいなあ」
「先生、どうぞ僕のことは景色だと思ってください。授業をお願いします」
この手の人にははっきり言った方が良いだろうと手で示したら、案の定「あ、そうだね」と思い出したかのように振り返り、壇上へ戻って行った。
ホッとしてたら、ラステアが頭を下げて小声で謝罪すると急いで主の下へと向かった。苦労しそうだなあと同情してしまった。
ヴァルネリの授業は正直言えば面白かった。
ただし、ものすごく早口で、かつ話題があちこちに飛ぶ「天才」らしい会話の仕方で、ついていくのが大変だろうなと生徒達を見て思った。
だからだろう、従者達が真剣な表情でヴァルネリの発言を記している。
生徒達はただただ先生の話を聞いて頭の中で咀嚼し、理解しようとすることに集中し、とてもではないがノートを取るどころの話ではなかった。
あのファビアンでさえ、真剣な顔をして聞いている。
4時限目が終わると一旦休憩時間になるのだが、その間にラステアが補講のように生徒や従者達に説明して回っており、この授業がいかに大変かが分かる。
まるで全力疾走のマラソン授業みたいだなと思いつつ、ちょうど休憩中に起きてしまったブランカに授乳を始めた。
気になるのか騎士や護衛達がこそこそっと見ていたが、近付いては来なかった。
ファビアンの従者のオリオはシウの顔を覚えていたらしくてチラチラ見て来るから、見る? と聞いたら喜んで飛んできた。
「可愛いですね……」
クロが起きないようにか、それともブランカのためか、オリオは小声で話しかけてきた。
「あまり鳴かないんですね」
「授業の妨げになったらいけないから、結界を張っているんだ」
「わあ、すごいですね」
純粋に褒めてくれるので気恥ずかしくなった。
げっぷが出たブランカをそのままフェレスに渡し、匂いに気付いたのかクロも目が覚めたのでついでとばかりに授乳した。
「オリオ君は僕と同じぐらいの年齢だよね」
「僕は14歳だから、君よりずっと上だよ?」
「……僕、13歳なんだよね。秋には14歳になるんだ」
「えっ」
「きゅぃ」
「あ、もう終わり? フェレスに綺麗にしてもらう?」
「きゅいー」
「じゃあ、フェレスお願いね。ブランカおいで」
抱っこひもの中に入れていると、オリオが頭を下げていた。
「え?」
「申し訳ありません。その、失礼なことを」
「あ? ああ、いや、別に。小さいってよく言われてるし。ただ、同年代なんだから敬語は要らないって言おうと思っただけなんだ」
「いえ、それは」
「そういうのが厳しいの、オデル家って」
聞くと、目が斜め上を向いてから、首を傾げて横に振られた。どっちなんだと思って笑ったら、オリオも笑った。
「ファビアン様はそのへんは緩いです。ただ、ゾーエがとても厳しくてですね」
「彼女、怖そうだもんね」
「はい」
「じゃあ、彼女のいないところでは気楽にして、言葉は好きにしてね」
「はい」
にっこり笑って頷いてくれた。傍で聞いていたファビアンの騎士達も笑っていたので、構わないということだろう。彼等もまたブランカとクロの授乳を見て目尻が下がっていたし、こうしたことには大らかに受け止めてくれるようだ。
彼等以外の、後方にいる者の中には視線の厳しい騎士達もいたので、この授業を受けるのはやめておこうと思った。
鑑定の結果でも、王族の名前を見付けたので厄介ごとの匂いしかせず、逃げるが勝ちだなと内心で結論付けていた。
そんな風に自己完結していたのだが、5時限目の討論時間になると覆されてしまった。
ヴァルネリがシウを呼んだのだ。
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