420 消臭飴、エルフの里追放、嫌われた獣人




 午後の授業でもブランカは静かなもので、トリスタン以外、誰も気にしていなかった。

 いや、抱っこひもを付けている時点で「何をやってるんだろう」とは思っているらしいが、卵石だと思っているのか誰も指摘はしなかった。

 いつものように授業を終えると、アロンドラと本の話を少しだけして学校を出た。

 その足で、しばらくは寄らないと言っていた商人ギルドへ行き、書類だけ提出して帰った。

 昼の男子生徒の様子で、匂い消しが意外と需要があるのではないかと気付いて追加したのだ。

 ついでに効能を高めたものも複数属性術式開発の授業中に考えてみた。

 名付けて≪消臭飴≫と≪強力消臭飴≫だ。そのまんまである。

 前者は胃の中や口臭を消すので普通にエチケット目的だが、後者の強力な方は、体全体の匂いも消す。冒険者に向いていると思う効能だ。

 ただ、体全体の方は舐めた直後ぐらいで長時間とは行かず、そこはなんちゃって機能である。本当に消臭したいなら、術式を付与した魔道具を使う方が遥かに良い。


 ところで、シェイラは早速薬師ギルドに話を通してくれたようで、特許と言うシステムはなかったもののそれに近いルールをとにかく作ってみると約束してくれたそうだ。どのみち利用料は取らないので、独占しなければ構わない。

 そのうち独自の配合のものも出てきて、庶民が気軽に手に取れる日が来るだろう。今から楽しみだった。



 翌日の木の日はどこにも出かけず、ずっと屋敷にいた。

 厨房で新しいレシピを皆で考えたり新作おやつに挑戦したりする以外は、ブランカとフェレスとでゆったりと過ごした。

 ブランカはまだまだ遊ぶという感じではないのだが、目を覚ましていられる時間が徐々に増えてきているようだった。目も完全に明いており、シウを見付けると嬉しそうな顔をする。必死で手を伸ばそうとするのも可愛かった。

 そして、その手はやっぱり太い。これは相当大きくなるなと思わせるものがあった。

 生まれた時のか細い時でさえ、体の比率からすれば猫とは思えない大きさだったのだ。フェレスの時とは比べ物にならない。

 成獣になったら、確実にフェレスより大きくなることは分かっているのだが、子分の子分と言っているので、フェレスがちょっと可哀想な気もした。

 もっとも、フェレスはそんなこと気にしないかもしれない。

 本当はフェレスが一番、自由な心を持っているのだろうと思う。



 金の日になり、いつものようにドーム体育館へ行く前にロッカーとミーティングルームへ寄ったのだが、そこでプルウィアと会った。

「おはよう。そういえばこの間、授業に来てなかったね」

「ああ、生態研究ね。午前中の授業が押してて、行くのが面倒くさくなったの」

 そういうのはアリなんだろうか。首を傾げていたらプルウィアが近付いてきて抱っこひもの中を覗いた。

「やっぱり。今度も騎獣なの? フェーレースかしら。いいわね」

 猫の子のように見えたのだろう、そんな風に言って笑った。

「生態研究の子達、みんな騒いだんじゃないの?」

「うーん、まだ生まれたばかりだからか遠慮してたね。チラッと見て、それぐらい」

「そっか。そうよね。成獣前は絶対に他の人に抱かせたりしないものね」

 自分の希少獣を見て、頷いている。レウィスが首を傾げてプルウィアを見つめていた。気持ちが通じ合っている者同士で語らっているようだ。

「あなたも絶対に誰にも触らせちゃダメよ」

「うん。あ、でも、フェレスには任せてるけどね」

「フェレスに? ……騎獣に騎獣を? 騎獣が騎獣を、かしら。うーん」

「お風呂の時とか、意外と頼りになるよ。ね、フェレス」

「にゃ」

 胸を張って(?)そうだと言われたので笑ってしまった。

「気楽ねえ。まあ、最初のフェレスで慣れてるんでしょうけど。あ、そうだわ」

 ずいっと身を寄せて、内緒話のように小声になった。

「ククールスと会えた? あの人、里から追い出されたかもしれないのよね」

「え、そうなの?」

「わたしも里を出る時に相当怒られたけど、まだ一応戻ると思われてるから許されてる状態なの。でも、彼は冒険者になったでしょう? 里の仕事も受けるからって話で渋々了解を貰っていたのに、最近ちゃんと仕事をしないんですって」

「そうなんだ」

 もう、あの仕事を受けるつもりはないのだ。

 今回の里帰りにはそうした決意もあったのかもしれない。

「里から縁切りされたエルフって放浪するしかないし、ちょっと気になってるのよね」

「心配なんだね」

「……まあ、将来の自分かもしれないから。彼を反面教師にして賢く生きないと、ね」

 彼女も思うところがあるようだ。

「仕送りが必要だし、今は従うわよ。でも、あの里だけに囚われる必要ないんだって気付いちゃったから」

「気を付けてね」

「ええ。あ、誰にも言わないでね? あなた、ククールスの友達だって言うし、精霊達もあなたが何故か好きみたいだから信じたのよ」

「プルウィアも精霊が見えるんだ? いいね。僕は全く全然これっぽっちも! 見えないんだよね」

「力説しないでよ。おかしな子ね。でもま、精霊は見えない人が多いわ。諦めなさい」

 ふふんと自慢げに言われてしまった。

「ハイエルフでも見えない人はいるのだから、仕方ないわよ」

 がっくり肩を落としたシウを慰めるように言うのだが、どこか声に笑みが混ざっていた。嬉しいらしい。

「どうせね。そのうち、精霊が見える魔道具でも作ろうっと」

「そんな俗物的なもの作っても見えないわよ。ていうか、やめなさいよね、無粋だから」

 やり合っていたら、エドガールが来た。

 プルウィアとはそこで別れ、エドガールと共にドーム体育館へ向かったのだが、

「彼女と仲良くなるなんて、やっぱりシウってすごいね」

 そんな風に感心されてしまった。

 どうやらプルウィアは高嶺の花のようだった。


 体育館に行くと、いつも以上に取り囲まれた。

 目当てはブランカだ。

「可愛いですわね……」

 クラリーサがうっとりと言えば、従者の女性達もうんうんと無言で頷いている。

 その横で、彼女の騎士ルイジがフェレスの頭を撫でていた。

「もちろん、お前も可愛いからな。嫉妬したりするなよ」

 あまりに親身になって言うものだから、過去に何かあったのだろうかと思ってしまった。

「口をぱかーっと開けて寝てる。可愛いなあ」

「また起きて乳を飲まないかな?」

「おい、起こすなよ」

「分かってます」

 小声で話していると、シルト達が体育館に入ってきて、シウに気付くとすたすたやってきた。周囲が警戒していると、シルトは憮然とした顔で頭を下げてきた。

「俺が悪かった。その、もう、突っかかったりしないから」

 本心からのようだったので、シウが皆にもういいよとお願いして場所を空けてもらった。するとシルトがおそるおそる近付いてきて、シウに視線を定めつつもチラチラと胸に抱いた布の中身を気にし始めた。

「その、偉そうな態度を取って申し訳なかった。まだ、どうすればいいのか分からないから、もし、間違っていたら指摘してくれ。それで、できれば、俺と、友人に、だな」

 どう見てもブランカ目当てなのは誰の目にも明らかだったが、あのシルトがここまで言えるのはすごいことだと思った。周囲を取り囲んでいたクラスメイト達からも力が抜けているようだった。

「友人に、その、なってもらえないか」

「クラスメイトから、だね」

「あ、う」

「とりあえず、レイナルド先生に扱かれて、礼儀作法を学んで、アラリコ先生の補講を受けてみたらいいんじゃないかなあ」

「……分かった」

 素直な返事にシウは笑った。それから腕の中のブランカが見えるようにしてあげた。

「まだ幼獣だから抱っこはさせてあげられないけど、見るのは自由だよ」

「あ、ああ」

 ごくっと喉を鳴らすのは止めてほしいが、獲物を見るような目ではなかったので警戒だけして見せてあげた。

 先週はぞくっとした悪寒を感じたものだが、ちょっと行き過ぎた変態なだけだろう。

「ち、小さいな……」

 目玉が落ちるぞというほどに目を見開いて、ジッと見るのでちょっと怖い。クラリーサも引いているのだが、シルトは一向に気にすることなく煩悩全開でブランカを見つめていた。

 その時、何の因果か、ブランカがパチッと目を覚ました。

「う、うお、可愛い……っ」

 それが通じたからか、あるいはその顔に驚いたのか。

 ブランカがすっと息を引き込んだかと思ったら急に鳴き始めた。それも、ぎゃん鳴きだ。

「ふみゅ、みっ、みゃっ、みぁっーっみぁーっ!!」

 みゃうみゃう鳴いてしまって、慌ててシルトから離れた。

 フェレスはその声を聞いて尻尾を膨らませ、敵はどこだ! 状態でぐるぐる回転してしまうし、シルトはブランカの態度に呆然自失で抜け殻になってしまうし、大変なことになってしまった。

 クライゼンも主を慰めるのにどうしたらいいのか分からずおろおろして、他のクラスメイト達はフェレスの動きに翻弄されて右往左往状態となってしまい、滅茶苦茶だ。

 その場が収拾したのはレイナルドが来てからだった。


 その後、シルトには厳しい宣告が下された。

 ブランカが起きている間は顔を見てはいけない、というものだ。

 本人にも自覚はあるのか、そのレイナルドの命令を渋々受け入れることにしたようだった。

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