395 苛めへの宣戦布告




 従者や護衛の男女がそれぞれ唖然として、元通りになったカップを見ていた。シウはそれを風属性魔法で持ち上げると、トレイに乗せて注文受付所の店員に渡した。

「浄化もしたので綺麗です。どうぞ」

「あ、は、はい」

 受け取ってくれたので、エジディオと一緒に離れようとした。

 そこへ、我に返った1人がずいっと寄ってきた。結界を張っていたので何かされることはないのだが、知らなかったエジディオは反射的にびくっとした。その背中をシウは優しく押した。

「持って行って」

「え、しかし」

「大丈夫だから。ね?」

「……はい」

 さささっと足早にトレイを持って進む彼を見送り、何故かエジディオに近付けない護衛の男を見ながらシウは口を開いた。

「弱い者苛めして楽しーですか?」

「は?」

「ぶつかってカップを落とさせたり、珈琲をぶちまけたり。貴族の従者がやるようなこととは思えませんね。どこの田舎の貴族の人ですか? こんなマナーの悪い従者や護衛を雇っているなんて、きっと物知らずなんでしょうね。可哀想に」

「はぁっ!?」

「同情しちゃうなー。僕が直接お目にかかって、教えてあげたいぐらいです。従者や護衛が足を引っ張ってますよ、って。それとも、まさかこんな低レベルなことを、貴族の方が指示したわけじゃあ、ないですよね?」

「ぐっ……」

 目を吊り上げていた女性も、殴りかかろうとしていた男性も、途端に動きを止めた。

「もしかしてこれがラトリシアでは普通の事なんでしょうか? でも学校では苛めや嫌がらせは禁止されていると思いますけれど。どちらにしても僕には分からないことなので生徒会、あるいは学校に報告しないといけませんよね。僕は初年度生なので、どなたにお声をかけたら良いのか分かりませんが」

「……さっきのは、たまたまぶつかっただけだ。謝らなかったので、注意していただけのこと」

「そうなんですか」

「礼儀に疎い従者だったので、教えてあげていただけですわ」

「そうでしたか」

 シウはにっこり笑って、人差し指を上に向けた。

「ちなみに、僕は自動書記魔法が使えます」

「……?」

 首を傾げる彼等に、今度は小声で伝えた。

「誓言魔法に匹敵する魔術式も開発していますし、魔道具ならばそれこそ沢山持っているんです。それと、追跡機能もあって、証拠をつかむのは得意なんですよ」

「……っ!!」

 意味の分かった者から、真っ青になっていった。

「ところで、名乗っておりませんでしたね。僕はシウ=アクィラと申します。庶民ですが後見人はシュタイバーン国のオスカリウス家です。ああ、証明するのに丁度良いことがありました。先日、この国のヴィンセント王子殿下にお会いしましたので間違いありません。お疑いでしたら王子にお尋ねください。そういえば何か欲しいものはあるかと仰っていただけていたことを思い出しました。こうした場合には何をお願いすれば良いのでしょうね?」

「王子殿下に、だと? ……あ、シウ=アクィラというのは」

「あっ」

 従者や護衛よりも、周囲で聞き耳を立てていた下級貴族の子弟達が慌てふためいた。

「グラキエースギガスの時の?」

「討伐した冒険者だ!」

「殿下から褒賞を賜った奴じゃないか」

「まずい」

「おい! オスカリウス家って、やば」

 大騒ぎになった。それから、上階のサロンから顔を見せずに怒鳴る声がした。

「面倒を起こすな! 戻ってこい!」

 そのせいで、真っ青になった従者と護衛の男女は走るようにして階段を上って行った。

 周囲の貴族達もシウと顔を合わせないように、よそを向く。

 分かり易くて何よりだ。

 シウは独り言としては少々大きめの声で言い放った。

「弱い者いじめは、礼儀作法云々より以前の問題で、人間として品性を疑う行為だろうと思うのですが。今度、王子にお伺いしてみます。この国ではこれが『礼儀』なのですか、と」

 騒がしかった空気が一気に凍った。

 シンとして、静まり返る中、シウは今度は少し小さ目の声で続けた。

「きっと、王子からは馬鹿にされるだろうね。そんなものが礼儀であるものかと。そうしたら、僕は証拠を示さないと恥ずかしい目に遭う。ぜひ、証拠集めをしたいものです」

 食堂を見回すと、誰もシウとは目を合わさなかった。

 上階のサロンからも息遣いさえ殺すような、静けさが伝わってきた。

「僕が王子に馬鹿にされるよう、祈っていてください」

 そう言って、いつもの場所へと戻って行った。


 席に座ってもまだ、静寂が包んでいた。

 貴族達がそそくさと食堂を出ていく姿が見え、残った者達もどうしていいのか分からずといった態度で固まっている。

 それは元の席にいた、ディーノ達も同じだ。

「今後、いじめが起こったら困るので、これを携帯しておいてくれる? 聞こえたかもしれないけど、証拠集めの魔道具だから」

 可愛く彫り物をした、木のピンチだ。

 笑顔で渡すと、そこでようやくディーノが大きな息を吐いた。

「はーっ……っと、いや、もう、寿命縮んだよ」

「びっくりしたー!」

 コルネリオもいつもの剽軽な態度が鳴りを潜め、真剣な顔だった。

 それでもシウを見て、ふっと笑った。

「喧嘩を売るなんて、すごいね」

「ごめんね。皆を巻き込むことになるね」

「いや、それは良いんだ」

 ディーノが言うと、クレールが大きく頷いた。

「そもそも、喧嘩は売られたんだ。わたしが巻き込まれて、君たちが助けてくれた。それだけのことだ」

「そうだね。わたしも地方出身ということであれこれ言われていたが、正直うんざりしていたんだ。さっきの啖呵は気分が良かったよ」

 エドガールも背中を押してくれた。

「シモーネがこんなことをされても、喧嘩を売ることさえできなかった。僕の代わりに、ありがとう」

 シモーネも後ろで頭を下げていた。

 エジディオはずっと頭を下げていたが、クレールがそれを上げる。

「エジディオは悪くない。わたしのことで巻き込まれただけだ」

「ですが、わたしが上手く立ち回っていれば」

 蒼褪めた顔でエジディオが訴えたけれど、クレールは首を振った。

「機会を狙っていた彼等にとって、それが今だっただけだ。わたし達にとって幸いだったのは、シウがいたことだね。彼等にとってはそれが誤算だったと思う。戦略指揮的には、わたし達の勝ちだと思うよ?」

 いつものクレールが戻ってきた。ディーノもにやにやして見ている。

 宮廷魔術師のちょっかいに勝ち残ったシウには、色んな意味で注目が集まっている。

 その中にはヴィンセントもいて、彼とつながりがあることも僅かながら知られていた。シウが自ら証明してみせたので、これで余程の事がない限りは手出しできない。

 それでも念のためにと、ピンチを渡したのはシウの心配性からだ。

「ありがたく、皆にも使わせるよ」

 受け取ってくれて、それぞれが服の内側へと仕舞った。


 冷めた珈琲を温め直し、また話し合いに戻った。

「こうなると女子にも声を掛けた方が良いだろうね。バルバラさんとカンデラさんは寮から出た方が気楽なんだろうけどなあ」

「屋敷住まいがヒルデガルド嬢だけというのが、ね」

「本末転倒というか、彼女のせいでこじれてるんだよなあ」

「とりあえず、プルウィアに連絡役を頼んでみる」

「……シウって意外と女子の知り合いが多いもんね」

「そうかな? 生徒の比率と同じ割合だと思うんだけどなあ」

「そういう意味じゃないんだけど。はは。まあ、いっか。シウらしい」

 ディーノに笑われてしまった。エドガールも苦笑している。

「何が? あ、男子寮の人にも、これ」

「ピンチだな。渡しておくよ。今日中にはやっとかないとな。事情も話しておこう」

「あ、生徒会長にも報告しとこうっと」

 思い出してシウが呟くと、

「……全然萎縮しないあたりが、本当に羨ましいよ」

 エドガールに溜息を吐かれてしまった。

「うーん、萎縮する意味が分かんないんだよね。火竜にも追いかけられたことあるけど、怖いと思わなかったし」

 そう言うと絶句された。

「……改めて聞くとやっぱり、君ってどこかおかしいんだなって思うよ。いや、良い意味でだけど」

「おかしいに、良い意味があるの?」

「ははは」

 シウ達のテーブルに笑いが起こると、食堂も徐々に空気が変わっていった。

 数少ない残った生徒達はどこかホッとしたように、力を抜いているのが分かる。

 庶民の生徒も、貴族同士の派閥争いに巻き込まれているようで気になるのだろう。その後、何人かが様子を聞きに来たりもしていた。

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