386 ヴァルムの港街と海苔とワサビ




 午後はゆっくりと馬車で市場まで戻り、店主とはそこで別れた。

 事務所へ寄って契約書を作ったり、手付金などを預けると、シウはサロモネに頭を下げた。

「本当はサロモネさんの仕事じゃないでしょう? 付き合わせてしまってすみません」

「いえ、面白い情報も仕入れられましたし、市場としても新しい食材の使い方は知っておいて損はありません」

 馬車の中では蕎麦の食べ方について幾つか話していたので、サロモネは帰ってきてから猛然とメモに書き込んでいた。

 香辛料の店主とも話し合いをして、ターメリックの栽培をお願いすることにした。

 こちらは初期投資も必要だろうと、手付金をその場で払う。

「上手くいけば、次回からの香辛料の支払いをそこから引いてくれたら良いです。ダメでも投資なので、構いません」

「そりゃまた、豪気なことでやすが、ほんとによろしいんで?」

 ホスエと名乗った店主がサロモネを見た。彼が頷いたので、ホスエはホッとして、受け取ってくれた。

「坊ちゃんは、お若いのにいろんなことを知ってなさるんですね」

「いえ、本職の方には負けます。それに僕のはただのアレが欲しいコレが欲しいという我儘から来てますから」

「ほぇー、そんなもんですかい」

 その後、効能について詳しく説明したり、いずれは香辛料を組み合わせた料理を作るのだと話し彼を驚かせて終わった。


 サロモネには申し訳ないので、貴族の子でないことだけ伝えた。

「事情があって名乗れないんですけど、問題を起こす気はないので許していただけますか?」

「もちろんですとも。いや、人品卑しからずといった方ですから安心はしておりましたが、そうして明かそうと考えてくださるだけでもこちらとしては信用できます。そもそも、市場へ来る人それぞれを確認したりはしません。ご安心ください」

 どのみち騎獣を持ち、仕立て服を着ている時点でそれなりの家の子だと思うのだろう。それ以上は言わずに、サロモネと握手して別れた。



 次に転移したのは、シャイターン国の王都シャワネに近い、海沿いの港街だった。

 近いと言っても馬車で3日はかかる距離だが、シャイターンの全体地図からすればひょいと行けそうなほど近く見えるのだ。

 シウは、この国でも一応偽装することにした。

 冒険者で魔法使い、はそのままだが、更に黒いローブを頭から被って、顔などは隠すことにした。偽装するのは獣人族の子供辺りで良いだろう。

 フェレスにもティグリスの偽装を掛けて、港街へ入った。

 まずは宿を取るべく、門兵に話を聞いてみる。ちなみに、身分証明書は提出していない。この港街は出入りが激しく、一々止めていられないのだそうだ。

 ただし、街の中での警備は万全で、警邏隊の数も多い。

「騎獣がいるなら、少々高くなるが『白カモメ亭』が良いぜ。あそこは安全だし、清潔だ。獣舎もきちんとしているしな。なにより飯が美味い」

「じゃあ、そこにします。ありがとう」

「いいってことよ。おっと、そうだ、ヴァルムへようこそ!」

 にこやかに挨拶された。

 この港街も良いところのようだった。


 この港街は王都に近いこともあってかなり大きく、あらゆる食材が集まると言われている。

 しかも王都近辺は温泉が多くて、王都にも温泉水が張り巡らされているのだが、その余分な温水が流れ込んでくるせいで港付近も暖かい。

 ヴァルムという名も温かいという意味がある。

 そのため、人も生き物も集まってくるのだ。港近辺は魚の宝庫だし、漁は外海に出ずともよく獲れるそうだ。

 畑も肥えており、大陸の北に位置する割には農耕にも恵まれている。

 脳内書庫の本をおさらいしつつ、シウは教えてもらった白カモメ亭へ到着した。

 子供だけの旅行でも特に訝しんだりはせず、にこやかに受け付けてもらえた。

「あの、できたらこの子も一緒の部屋に泊まりたいんですが」

「ティグリスの、まだ成獣前のようですね。構いませんよ」

「ありがとう。躾けてるけど、念のため出る時に浄化を掛けていきます」

「まあ。偉いわね、君。そうしてもらえると、清掃も楽だわ。お願いします」

 冒険者が泊まるには高めの宿だが、その分、受付の人もしっかりしていた。

 部屋も綺麗に整えられており、晩ご飯も本当に美味しくて、門番がお勧めするだけあった。

 その夜はわくわくしながら、フェレスと共に眠りについた。


 翌朝早くに宿を出ると、市場まで歩いて向かった。

 街並みはやはり石造りが多く、全体的にヨーロッパ調だ。石造りと言ってもデルフ国のような堅苦しさはなく、丸みを帯びた造りにしているせいか柔らかく見える。木枠の窓なども温かみを感じさせてくれた。

 それも海が近付くにつれ、景色は変わっていく。

 やはり木材は使われず、屋根も潮に強い瓦が使われていた。瓦と言っても日本のような黒や灰色ではなく、オレンジ色などの明るいものが多かった。丸みを帯びて可愛らしい。

 また、海際の家々は石造りではなく壁になっており、白い塗料が塗られている。鑑定してみると貝殻から作られているようだ。港街らしさが表れていて美しかった。

 市場は活気に溢れており、小売店の人たちが大声でセリに加わっている。邪魔になってはいけないので、終わるのを待つことにした。

 その間に目当ての物を探しておこうと市場を練り歩くと、欲しいものが沢山見つかった。

「マグロかな、カツオと、青魚系が多いのか」

 ウンエントリヒの市場では鯛などの白身系が多かった。青魚もあるにはあったが、数が少なかったのだ。海流などで獲れるものが違うのだろう。

「あ、魔物系のも売ってるんだ」

 魔獣と呼べば良いのか、いまだに研究者の間でも論争が続いているらしいが、魚類にも実は魔獣と同じ性質のものがいる。陸より種類が少ないのは餌として好む「人間」が海に住んでいないからだろう。その代わり、魚類を餌とするので人間にとっては困る。

 だから港街の冒険者ギルドでは魔海獣討伐の依頼が多くなるようだ。

 討伐されたもので食べられるものがこうして市場で売られる。

 珍味として愛されているらしく、意外と買っていく人が多い。

 魔獣の肉なら食べられるシウだが、なんとなくこのへんは気持ちの問題で、普通の魚類を中心に購入リストを組んだ。


 セリもそろそろ終わりそうな頃を見計らい、各店で仕入れを始めた。

 ポッと出のシウを訝しそうに見るものもいたが、手付金を出すと態度が変わった。

 このへんはどこも同じだ。

「お使いかい、坊主」

「はい」

「気を付けなよ。大量に買ってたら目を付けられる。そんな高価なものを持ってるしな」

 と、品を入れている魔法袋をチラッとみた。

「ありがとう。騎獣がいるし、僕自身も冒険者で魔法使いだから、大丈夫だと思う」

「お、そうかい。ま、この市場の人間におかしな奴はいねえ。何かあったら、警邏も巡回しているから、相談しな」

「はい」

 店主の言葉通り、市場の中にも警邏隊が多く見回っていた。

 シウにも何度か視線を向けてきたので、情報網に入っているのだろう。


 魚関係をあちこちで購入すると、次は海草類のコーナーに来た。

 ワカメや昆布なども売っている。もちろん、まとめ買いだ。

「あ、海苔だ」

 生海苔だったので、板状にした海苔はないか聞いたら首を傾げられた。

「あの、乾燥させて味付けをしたものとか」

「聞かないねえ」

「そうなんだ。あの、この生海苔はこれだけですか?」

「……ポルピュラのことかい? これは、今あるだけだね。もっと欲しいのかい?」

 あまりメジャーではないようだった。

 聞けば地元民しか食べないようだ。シウは、できれば沢山欲しいと頼んだ。

「だったら、明日、また用意するけどどうだい?」

「お願いします。あればあるだけ、買います」

 女性店主が目を丸くした。

「あるだけって、こんなもの沢山あるよ?」

「はい。欲しいです」

「……これ、何かに使えるのかい?」

 興味津々の顔になったので、シウは明日の朝に作って見せることを約束した。彼女はそれが楽しみらしくて、手付は要らないと断った。


 他にも見て回ったが、意外と日本らしい食べ物が揃っていて、面白い。

 どこかちぐはぐなのは、転生した先輩方の知識が偏っていたせいだろう。

 ワサビもちゃんと見つけた。ちょうど旬らしく、葉ワサビも売っていたので喜んで買う。こちらも店にあるだけのものを、もちろん買い占めない程度に購入した。

「ほぇー、珍しいねえ。他国の人がワサビを食べるのかい」

「昔、食べたことがあるんです」

「……あんた、まだ小さいのに、面白いこと言うねえ。でも大丈夫だったかい? 獣人族はワサビが苦手だって言うけれどさ」

「あ、えっと、はい」

 そういう設定だったことを思い出して、シウは曖昧に笑った。

「まあ、この独特のツンとするのが良いのさ。分かってくれる人がいて嬉しいよ」

「鼻に来る爽快な辛みも良いけれど、独特の風味というか苦味と、清々しい匂いのようなものが良いんですよね」

「……あんた、ツウだねえ」

「えーと、まあ、はい」

 頭を掻いた。

 なんにしても、これで刺身が美味しく食べられる。そして、蕎麦だ。

 蕎麦にワサビは邪道と言う人もいたけれど、シウは断然ワサビ派だった。

 自然とウキウキして、歩く姿もフェレスと同じ、軽い調子となっていた。

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