385 リュカの将来と蕎麦の実




 ウンエントリヒの市場へ行く日は、いつもよりゆっくりと過ごした。リュカの弁当も作る。普段の食事だって美味しいと食べているけれど「お弁当」には特別感があるらしい。喜ぶリュカと朝の一時を過ごした後、のんびりと歩いて王都を出る。

 王都の外壁を出てすぐ《転移》し、前回と同様にウンエントリヒの市場まで行く。サロモネに教えられた事務所へ顔を出すと、すでに案内役の店主と共に待っていた。彼には蕎麦農家を紹介してもらう予定だ。

 農家までは馬車を使う。フェレスも馬車に乗った。彼が偽装しているティグリスなら併走するのが当然だろうが、まだ成獣前後なのでと言えば乗せてもらえた。実際はフェーレースで、騎獣の中でも小さい方だから窮屈になることもない。一緒になって窓の外の景色を楽しむ。

 馬車は街を出ると一面畑ばかりの中を進んだ。長閑な風景が続いていたけれど、やがて山々が見えてきた。道の端には雪が残っている。海沿いでは見かけなかった景色だ。ようよう溶けてきた頃らしい。もう少し早いと来るのは大変だったろう。シウは良い時期に来られたようだ。


 小さな村に到着すると、村長の家へ案内してもらった。村長はシウを見て少し驚いたようだったが、歓待してくれた。店主はシウがどういう人間かは話していないそうだが、村長は大商人の関係者だと思ったらしい。直に買い付けに来るのだから勘違いするのも分かる。その割にはシウが小さいため「この子供が大商人?」と不思議なのだろう。緊張した様子ながらも、少し首を傾げている。

 とはいえ、店主の紹介だ。頼んでいた蕎麦の実はすでに用意されていた。まずは品質を確認してもらいたいと、実が乗った皿を差し出される。

「……とても良い状態ですね」

「よ、良かった、でございます」

 村長がホッと胸を撫で下ろした。それを見て店主が笑う。

「ここの質がいいのはわしが保証するよ。だからこそ、坊ちゃんをお連れしたんだ」

「いや~でも、わしらにとったら大事じゃ」

 シウが想像する以上に緊張させてしまったようだ。申し訳ないことをした。

「すみません。急な話で大変でしたよね」

「いえいえ、とんでもないこってす!」

 二人が慌てて頭を下げた。シウは偉くもなんともないので、そんな風にされるとむず痒い。居心地悪い思いでいたらサロモネが間に入ってくれた。

「タローさんは気さくな方ですからね。大丈夫ですよ。さて。こちらの品質で問題ないようでしたら、あとは売買となりますが――」

「はい。金額はお任せします。それより、こんなに貰ってしまったら困りませんか?」

 彼等の主食ではないのかと心配すれば、いやいやと手を振られた。

「わしらはパンが食べたいんじゃけど、どうもこのへんは小麦の出来が悪うて不作も多いでなぁ。蕎麦なら育つもんで、かなりようけ植えたんじゃが、そしたら一昨年から小麦の出来が良うなってなぁ。蕎麦も育っておってから、このまんまじゃ余ってしまうで困っておったです。ようけ買うてくれて有り難いくらいじゃぁ」

「それなら大丈夫ですね。良かった。じゃあ、先にお支払いしておきます」

 サロモネが金額も計算してくれたので、その場で金貨を取り出して渡す。が、ふと、銀貨の方がいいかもしれないと思い直した。「銀貨の方がいいですか?」と問いながら、魔法袋にもなっているポシェットから銀貨の入った袋を取り出した。それを見て、村長が驚いた。

「あ、そうでしたな。言うておくのを忘れておった。村長さんや、坊ちゃんがアイテムボックスを持ってるのは秘密だでな。話したらいかんぞ」

 店主が注意すると村長は慌てて「もちろんじゃ」と何度も頷いた。その横でサロモネが苦笑している。ウンエントリヒでも珍しがられたのだから、街から離れた場所ではなおのこと魔法袋の存在が珍しいのだろう。村長も初めて見たらしい。シウも最初に存在を知った時はひどく驚いたので気持ちは分かる。結局「同じお金なのでどちらでも構わない」とのことで、出してしまった銀貨を渡した。


 話が一段落したため、シウはお願い事を口にした。

「あのー、ちょっとだけこの場で挽いてもいいですか?」

「蕎麦の実をかい? そりゃまあ、いいが。水車まで運ぶかね」

 店主が袋を持ち上げようとするのを急いで止め、魔法袋から石臼を取り出す。村長はやっぱり目をぱちくりしていたが、どうぞどうぞと場所を空けてくれた。早速、蕎麦の実を挽いてみると、ふわぁっと香りが漂った。

「そらまた、面白い道具じゃのう。力が要りそうじゃが」

「そうですね。でも個人で使うのには勝手がいいんです。石臼挽きだと熱が溜まりにくいので、風味や香りを損ないませんしね。ところで、たとえばこの小さな実や、こっちの黒っぽい方の実を別々に育てるというのは可能ですか?」

「そりゃまあ、できるがのう」

「もちろん、手付けは払います。万が一、不作になっても構いません。保証金として受け取ってください。蕎麦が出来上がったら買い取ります。どうでしょうか」

「そりゃぁ願ったりじゃが……」

 村長が不安そうに店主を伺う。シウの見た目で心配なのか、あるいは話がいきなりすぎたのかもしれない。すると、話を聞いていたサロモネが間に入ってくれた。

「大丈夫だと思いますよ。ですが不安でしょうから、市場管理官のわたしが契約を行いましょうか」

 それを聞いて、村長は安心したようだった。

「それじゃぁ、お頼みしますでな」

 シウにも頭を下げるので、慌てて会釈する。

「こちらこそ、よろしくお願いします。それで、この品種は夏頃に種を蒔くんですよね?」

「へえ」

「ではそれまでに品種改良するかどうかなどを決めて、サロモネさんにお願いしておきますね。頻繁に来られないので。あ、今のうちに手付けも払っておきます」

 先に渡しておけば村長も安心するだろうと思ったが、サロモネに止められた。

「そういうことでしたら、タローさんから連絡がなければいつも通りに植えておく、という取り決めでどうでしょうか。手付けを渡されてしまうと、万が一連絡が来なかった場合ヤキモキするでしょうしね」

 先払いされても困る、という意味だ。蕎麦の実を自分好みに育ててもらえると思ったら、つい興奮してしまった。シウは先走ったことを謝った。


 落ち着くと、村長が昼食に招いてくれた。蕎麦粉を使った料理が多いのは、蕎麦の実を買い付けにきたシウのためだろう。クレープのように焼いた生地の中に野菜や肉などの料理を挟んで食べる料理が美味しかった。他にも、スープの中に蕎麦団子を入れるなど、どれも洋風である。もちろんどれも美味しい。けれど、シウの中では、蕎麦と言えばやっぱり麺だと思ってしまう。醤油味のつゆにつけて食べたい。

 それにお茶にして飲むのも美味しいが、出されたのは白湯だった。

「蕎麦の実を使ってお茶にはしないんですか?」

「ええっ? しませんよ?」

 と、驚かれる。シウは試しにと、その場でお茶を作らせてもらった。蕎麦の実を脱皮し、鉄鍋を借りて焙煎すると良い匂いが広がった。《鑑定》しても問題なさそうだ。お湯を入れて蒸す。白いカップに注げば綺麗な黄色だ。飲むと、香ばしくて美味しい。

 興味津々だった皆にも注ぐと、おそるおそる受け取って飲み始めた。

「おおっ、こりゃ美味しい」

「煎るとこんなにいい匂いになるんじゃなぁ」

「苦味と甘みがあって独特の風味だが、なるほど、食事にも合う」

 店主と村長、サロモネがそれぞれ感想を口にした。シウはにっこり笑った。

「蕎麦茶は体にいいんですよ。利尿作用があるのでトイレに行く回数は増えますけど」

「へぇ、そりゃあ、知らなかった」

「実に栄養があるんです。一緒に飲むといいですよ」

 ついでに《鑑定》して分かった事実も付け加える。

「もしも、蕎麦を食べて喉がイガイガしたり痒みを感じたりしたら絶対に食べてはいけません。食物アレルギーといって、その人には合わない食材になるんです」

 これは前世の記憶があったからこそ鑑定に出てきた情報だ。店主や村長が「そんなことが?」と驚いて目を丸くする。サロモネは思い当たるのか、小さく頷いた。

「漆にかぶれるのと同じです。平気な人も、稀にいますよね。体質は人それぞれです」

 蜂に何度も刺されると危険になるのも同じだ。アレルギーは恐い。

「埃まみれの場所でクシャミ鼻水が止まらない人、いるでしょう? 全く平気な人だっている。蕎麦の拒絶反応は命に関わることもあるから気を付けてくださいね。蕎麦殻に触れるのもダメです。何も問題なければ、味も健康にも良い食材ですよ」

 村長と店主は「なるほどのう」と何度も頷いていた。二人からは蕎麦の品種について教えてもらい、シウにとって楽しい時間となった。


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