370 襲撃と脱走兵と捕縛騒ぎ




 朝になり、領都へ戻るため出発の準備をしていると、ルシダタという歩兵部隊第一隊隊長がやってきた。

「おう、どうした?」

 キリクへ直接報告してくるというのは珍しいらしく、訝しんだ様子でルシダタに問いただすと彼は言い辛そうに報告した。

「出発前に申し訳ありません。うちの塊射機隊の隊員が1人、怪我を負いまして」

 わざわざ言うからには何かあるということだ。キリクの顔が厳しくなった。

「……どういうことだ?」

「ハリオ伍長だろうと思われます。独房から逃げたそうで、姿が見えないとデルス大尉から連絡を貰ったところだったんです。警戒はしていたんですがね」

「場所はどこだ。基地内か?」

「決戦場からの帰り道です。レッシラ大隊長がしんがりで交替中でした。大隊長は現在、現地にて指示を出してます」

「ていうか、レッシラの奴、まだ現場にいたのか」

「すみません」

「いや、お前が謝ることじゃないだろ。どうせお前のお小言も聞かなかったんだろうよ。ったく。だが、おかげで現場は混乱せずに済んだか」

「不幸中の幸いですが。怪我を負った隊員は、すぐに治療したので回復すると思われます。ただし、騎獣を1頭盗まれてます」

「何やってんだ、騎獣隊は」

 苦虫をかみつぶしたような顔だったが、ルシダタは慌てて手を振った。

「いえ、盗まれたのは国軍兵の方で」

「そりゃあ、また。……いや、逆に問題あるのか」

 今度は頭に手をやった。

「くそっ、借りを作ることになるじゃないか」

「国軍の独房から逃亡ですので、見張りを怠ったのはあちらですが」

「預けてる格好だからな。あー、面倒くさいことをしてくれるぜ。温情を示したらこれだ。後ろ足で砂掛けていくとはこのことだな!」

 仰る通りで、とルシダタが頷いた。

 どこぞの親分と子分みたいでついつい2人を眺めていたシウだが、いつまでも黙っていたってしようがないので口を挟むことにした。

「あの、その人見付けてきたら、いい?」

「あ?」

「探せると思うんだけど」

「なんだと? それは、本当か? いや、嘘はつかんだろうが」

 慌てて言い直し、シウを半眼になって見る。たぶんどうやってとか、聞きたいのだろう。だけど聞くに聞けないとぐるぐるしているに違いない。

 シウは苦笑しつつ、教えた。

「ラーシュに手を出した人だって聞いてたから、要注意人物なんだと思って、ある秘密の魔道具をくっつけていたんだ。それが探索するときの目安になるんだよ。あんまり離れると見付けられなくなるから、今から行っていい?」

「あー、よし、分かった。戻りは気にするな。俺もお前を待って領都へ戻るからな」

「いいの?」

「構わん。で、見付けたら呼べ。そいつに説教してやる」

「説教ではすみませんよ、キリク様」

 ルシダタが呆れたように忠告してきた。

「分かってるよ、シウの前だからな」

 言葉を選んでくれたようだ。シウも軍規については理解している。何も言うつもりはないのだが、子供相手に聞かせるにはと遠慮したのだろう。

 そんな優しいキリクにシウは手を振った。

「じゃあ、行ってきます。フェレス、行くよ」

「にゃ!」

 竜に乗るのではなく、自分に乗るのだと知ってフェレスは張り切って尻尾を振っていた。

 乗ってすぐに飛び上がるフェレスに、キリクが声を掛けていた。

「主を振り落すなよ! 気を付けてな」

「にゃにゃ!」

 あたりまえだ、といったような返事をして、フェレスは弾丸スタートを切ったのだった。後方で呆れたような声が聞こえたのだけれど、フェレスには聞こえなかったようだ。


 マップに示される点は一路、北へ向かっている。人間が逃げる時は何故か北が多いと言うが、あれは本当だなと場違いなことを考えた。

 ハリオ伍長はすぐさま見つかったが、乗っているブーバルスのことが気になって捕まえるのに躊躇した。カモシカ型の騎獣は怯えているようだった。

 何故だろうと思って感覚転移してみてみると、腹をしきりに気にしている。鑑定してみたら妊娠していた。

 子供に何かされると思ったのだろうか。人間に従うよう調教された軍の騎獣は、逆らえなかったのだ。

 可哀想にと同情していたら、ハリオがシウの存在に気付いたようで後ろを振り返った。

 目を見開いた後、何度かシウを振り返ってみてから、砦の上に降りた。

 シウもその近くに降りた。

 その間にもキリクへは通信を入れて知らせている。

 ここへ来るのも時間の問題だった。

「お前みたいなガキが何を、いや、待てよ、お前まさか」

 シウを見てから、隣りのフェレスに視線をやり、そして何かに気付いたようにハッとした顔をした。

「……そうか、お前が塊射機の発案者か!」

 そう言うなり、剣を抜いて振りかぶってきた。

「お前のせいで! お前がっ、くそっ」

 避けると、つんのめって転びそうになっている。兵士としてもどうやら未熟のようだ。

 何故、兵士になどなったのだろうか。

「お前が余計なことをしたから! あんなことしたら、誰だって試したくなるだろうが!」

 お粗末な剣技を見せながら、シウを罵る。フェレスは相手にもならないと思ったのか、大あくびして見ているし、シウもひらりひらりと躱すだけでまともに相手をしなかった。

 それにもう、キリク達が到着する。

「ちくしょうっ、せっかく、兵になって、強くなれると思ったのに!」

「……強くなりたかったの?」

「そうだっ、誰にも負けないようにな! 兵になりさえすれば、俺は、冒険者になったあいつらを見返せると」

 その後は、俺は悪くない、俺は間違ってないと叫ぶばかりで、躱す必要さえなくなった。疲れたのか体力がないせいか、その場で座り込む。

 こんな調子では長の逃亡は無理だっただろう。追いかけるまでもなくどこかで捕まったに違いない。

 もちろん、それに付き合わされるブーバルスが可哀想だから、追いかけて良かったのだと思うが。

 やがて、騎獣に乗ったキリク達が追いついて来て、降り立った。

 ハリオはデルスに捕まり、縄を打たれて連れて行かれた。兵士の逃亡は重罪だ。これから重い運命が彼を待っているだろう。

 最初、本人は気軽に人を撃ったのかもしれない。が、その後、周りの叱責を素直に聞き入れ、更生していればもっと違った道を歩めたかもしれないのに。

 彼がどうなるのか気になったが、聞いてもしようがない気もした。

 それよりはブーバルスの方が心配だった。

「早かったな。おかげで助かったよ。あいつもお前に感謝できる日が来ると良いんだがな」

「感謝?」

 恨まれこそすれ、感謝されるとは思えなかった。怪訝そうにキリクを見上げると、彼は穏やかな笑顔でシウを見下ろしていた。

「ここをどこだと思っているんだ。黒の森だぞ? 砦があるとはいえ、魔獣が跋扈する森のすぐ傍だ。1日に何度魔獣との戦闘があると思っている。砦を超えて入ってくる魔獣を追いかけるために国軍は常に砦の内側も巡回しているんだぞ」

「ああ、そういう」

「生きながらに食われていく恐怖を味わわずに済んだだけ、あいつはマシだよ」

「……そうだね」

「ま、そんな顔すんな。あいつもまだ若い。もう一度だけ機会を与えてみよう。さすがに奴隷落ちは可哀想だからな」

「普通は奴隷落ちだよね」

「厳しい領だと、処刑されるな」

「だよねえ」

 溜息を吐きつつ、ブーバルスに近寄った。彼女は警戒せず、シウの手に任せて目を瞑った。撫でられるのを待っているような姿に、思わず微笑んだ。

「よしよし。よく頑張ったね。子供は大丈夫だよ。きっと良い子が生まれるからね」

「キュン、キュッキュイキュイッ」

「いいんだよ。帰ったら、担当の人に言ってあげるから」

「どうした、何か抗議してるのか?」

「妊娠しているから、できたら戦闘には出たくないんだって。お腹を蹴られるのが怖いみたい。さっきも乗せている間に何度か蹴られたらしくて、怖がってる」

「……そうだったのか」

「まだ初期だから、厩舎の人も気付かなかったのかな。よしよし」

 撫でているとフェレスが近寄ってきた。

 拗ねるかなと思ったが、すんすんとブーバルスの匂いを嗅いでから、ぺろっと舐めていた。慰めているようだ。彼女もまたありがとうという感じで、返礼としてフェレスを舐めていた。


 基地へ戻ると、キリクは国軍側の大隊長達と話をすると言って行ってしまった。

 やることもなく、後方支援部隊のテント近くで佇んでいるとラーシュがやってきた。

 話を聞いて慌てて駆け付けたようだ。

「ハリオ伍長が――」

「うん、いろいろあって、今は捕まってるよ」

 ラーシュは今朝早くに交替要員の指導係として決戦場へ行き、その交替して戻る隊の1人が怪我をしたと聞いて教練所の生徒達を連れて戻って来たらしい。

 そこでハリオのことを聞いた。

「仲間と思ってる人に襲われたらどうしようもないね」

「……身内まで疑いたくないです」

 今回の事はしようがなかったとはいえ、やりきれなかった。しかも塊射機が原因だ。

 2人とも言葉には出さずとも、思うところはあった。それでも。

「やっぱり、あれは人を殺せない武器で良かったと思います。今回の事でも思い知りました。ハリオ伍長が悪い方へ振り切っていたら、今頃沢山の人が死んでいたでしょう」

 そうだねと答えつつ、それでも思うのだ。やっぱり武器は武器なんだよなあ、と。

 使う人の問題なのだが、どうしたって悩む。それが、正しい姿なのだろうということも、分かっているのだが。

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