346 生徒会長、アロンドラの謝罪
わなわな震えるヒルデガルドと、主を侮辱されたと思ったカミラが顔を赤くしてキリクを睨んだところで第三者の声が入った。
「また君か。ヒルデガルド嬢、お客人への無礼な振る舞いは遠慮してほしいな」
「……わたくし、無礼な振る舞いなど致しておりませんわ。ですが、齟齬が生じているのも事実です。お客人を立てるためにも、わたくしが引きましょう」
自分を立て直して、なんとかそこまで言い切ると、くるっと踵を返して行ってしまった。カミラは最後にシウを睨みつけて行ったが、ヒルデガルドは全く見もせずに去った。
「オスカリウス辺境伯様、生徒の無礼をお許しください」
「……手を焼いているようで、同じ国の者としては申し訳ない気分だ」
「そう仰っていただけると、これまでのことが綺麗さっぱり流れてしまう心地です」
どれだけ迷惑を被っているんだ、と心配になってしまった。
そうした視線に気付いたのか、助けてくれた青年がシウを見て微笑んだ。
「やあ、シウ=アクィラ君。もう少し違う形で会ってみたいと思っていたんだけど」
大変だったね、と労ってくれてから、青年はキリクとシウに向かって挨拶してくれた。
「ティベリオ=エストバルです。侯爵の第二子で、二十歳です。不甲斐なくて名乗るのも恥ずかしいのですが、生徒会長をやっております」
「アンヘル殿のご子息であったか。わたしはキリク=オスカリウスだ。よろしく」
相手が知っていることなどからも簡略化したようだ。こういうところはキリクらしい。イェルドが傍にいたら怒られるところだろうが、幸いにしてティベリオは良い人のようで、キリクの簡略した挨拶を気にもしていなかった。
「お会いできて光栄ですが、このような形で本当に申し訳ございません。彼女はどうも、突っ走る傾向にありまして、あちこちで問題を起こしているのです」
「今も見張っていて、駆け付けてくれたというわけか」
「キリク、様、言葉遣いが悪いですよー」
「イェルドみたいなこと言うなよ。大丈夫、この青年ならな」
な? と相手に向かってウィンクした。ティベリオは一瞬驚いて目を見開いたものの、すぐに破顔した。
「お噂は当てになりませんね。安心しました」
「おや、どういった噂でしょうかな。この国ではいろいろ言われているようですが」
茶化すような話し方だったため、ティベリオも冗談だと思って笑っていた。
ティベリオは簡単にヒルデガルドの行いの数々を説明してくれた。
そして、キリクが言葉ほどに怒っていないことを知ってホッとしていた。
「アマリア嬢も、以前揉め事に巻き込まれそうになっていて、あの時は申し訳なかったね」
「いいえ。あの時はすぐ生徒会の方が駆け付けてくださいましたし、助かりましたもの。それに最終的には勘違いだということを理解してくださいましたから……」
困ったように笑い、それから事情を知らないシウ達へ簡単に話してくれた。
「わたくしが、ゴーレムを作っていることを、少しからかわれていたのです。でも悪意があると言うよりは、心配なさってのことだったの。そうしたことはよくあるので、黙ってお伺いするようにしているのですが」
「聞き流してたんだね」
「ええ。ですが、通りがかりに耳にされたようで、相手の方にその」
「食って掛かったんだ?」
「そうとも、言いますわね」
困ったように頬に手をやり、首を傾げた。
「どちらもわたくしのことを心配してくださってのことですから、なんといって間に入れば良いのか分からなくておろおろしておりましたら、生徒会の方が事情を話してくださいましたの」
「彼女らしいなあ」
「まあ、そうなのですか?」
というのは、たぶん、こうした揉め事をシュタイバーンでも起こしていたのか、といった質問も入っていたのだろう。
シウはキリクを見て、考えつつ答えた。
「ここまで攻撃的じゃなかったですけどね。正義感が間違った方向に突っ走るタイプなんです。自分のやってることが正しいと思ってるだけに、変に行動力がある分、周りが大変なんですよね」
「ああ、そのものだね」
ティベリオが苦笑した。
それを見て、少し心配になったことを聞いた。
「あの、一緒にいたクレール先輩なんですが」
「ああ、クレール=レトリア殿だね。彼が何か?」
「見たところ、かなり精神的に参ってるみたいです。先生に同じ初年度生であることと国が同じだという理由で最初に面倒を見てあげるよう言われたらしいんだけど、その後もずっと従者のように扱われてるようです」
「え、じゃあ、自分の意思じゃなかったのかい?」
「彼はどちらかと言うと、彼女とは合わないですし。ただ面倒見が良くて、ロワルの魔法学院では生徒会長の経験もあるから、頼まれて断れなかったんだと思います」
「そうだったのか。てっきり取り巻きなのだとばかり思っていたよ」
アマリアも頷いていた。
「だったら、ちょっと離れさせた方がいいかもしれないね。彼自身のためにもならないだろう。今、彼女達は孤立気味になっているんだ」
シウはお願いしますと頭を下げた。
「いや、いいよいいよ。それこそ生徒会の出る幕だろうからね。彼の顔色が悪いのも気になっていたのに、ついつい彼女側での問題だろうと無意識に差別していたようだ。気を付けておくよ」
「同郷の人にも僕から声をかけておきます。かなり上の先輩なので、僕だとちょっとやせ我慢されるかもしれないから」
「ああ、それはそうだね。うん、君は気遣いのできる子だね。えらいえらい」
何故か頭を撫でられてしまった。
「あ、ごめんね。つい。弟達のことを思い出してしまって」
爽やかに笑って、謝られた。
それからアマリアと一言二言話して、キリクに挨拶してから去って行った。
ちょうど鐘の音もなり、そこで二人とは別れた。
二度目の本チャイムが鳴る前にギリギリで教室に滑り込むことができた。
四時限目の授業の後はいつも通り、自由討論だ。
始まってすぐにトリスタンへも報告を済ませた。無事、学校に残ることができて良かったと、先生も喜んでくれた。
それから授業の内容や、遮蔽に付いてなどをクラスメイト同士で話していると、アロンドラがやってきた。
オルセウスなどは警戒していたが、彼女はユリに連れられて謝りに来たのだった。
「ごめんなさい。あの、とても叱られました。父上からは、本来ならばお屋敷に出向いて謝罪しなくてはならないところを、あえて相手のご迷惑になるから行かないのだと、敢えてなのだと、何度も念を押されて、その」
それを説明しちゃうあたりがダメなのだが、素直に悪かったと謝ってきたので、シウはもういいよと笑って許した。元より怒ってはいなかったのだし。
「……辺境伯様は怒っていらっしゃいますか?」
「え、どうして?」
「だって、ひどいことを言ったもの。わたし、自分に置き換えて考えなさいと言われて、ようやく気付いて……」
「アロンドラさんは血塗れって言われても関係ないから分かんないと思うけど」
「ううん、その、わたしは昔から『考えなし』だとか『本の魔虫』って言われていたから。兄上にそう言われるととても嫌な気がしたわ。父上はそれ以上にひどい言葉なのだと仰っていたから、きっともっとつらい言葉だと思うの」
「……アロンドラさんの世界は本で埋め尽くされていたんだね」
言葉が記号になっているのかもしれないと思った。
彼女にとって、世界は全て同じで、平坦なのだ。本の中も現実も、同じ言葉でできている。
「人には感情があるからね。あなたの心はそのまま他人に当てはまらない。同じものを見ても、違って見えるんだよ。色さえ違うこともあるんだ」
「そう、なの?」
「そうだよ。それに受け止め方も違う。たとえば、あなたは人から綺麗だねと言われたらどう思う?」
「え、それは、そうね、その、恥ずかしいわ。そんなことないって否定したり、でも少し嬉しくなったり。でも、最後にはそんなの嘘だわって思う」
「それはあなたが慎み深くて、客観的に自分を見ていて、自分を綺麗なんだと傲慢な考えに陥っていないからだよ。僕はアロンドラさんは可愛いと思うけどね」
「……あ、ありがとう」
頬を赤くしてお礼を言う彼女に、シウは続けた。
「オルセウス、君は綺麗だね」
「えっ?」
話を聞いていたオルセウスがびっくりして、シウを見返した。まじまじと見て、それから真意に気付いたようだ。ふと、笑い出した。
「どう思った?」
「いや、びっくりした。それで、一番最初に、男に綺麗だと言われても嬉しくもなんともないと思ったな。あと、シウが男色趣味なのかと疑ったりもした。なにしろ、僕も客観的に自分を見ることができるからね。自慢ではないが僕は綺麗なんてお世辞にも言えない容姿だ」
「でも、誰かの目には綺麗に映ってることだってあるんだよ? たとえば、ご両親だとか」
「あ……そうか」
「人によって受け止め方も、見方も違うよね」
オルセウスから、アロンドラに視線を変えて、話した。
彼女は真剣な顔をして話を聞き、それから静かに頷いた。
「……兄上に考えなしだって言われて、腹が立っていたけれど、それは本当のことだからだわ。思ったことをすぐ口にしてしまうし、言われた人の気持ちを考えたことがなかった。ユリにもひどいことを言ってきたんだって、父上に怒られて気付いたの」
「お父さん、そんなに怒ったんだ?」
「この際だから全部まとめて聞きなさいって。でないと本は全部処分すると言われて」
これまで右から左へ聞き流していたのだろう。本を人質に取られてようやく頭の中に入ったというわけだ。
「ユリにもいっぱい謝って許してもらったけれど、その時も、今もとっても怖かった。もし許してもらえなかったらって思ったら、お腹がスッと冷たくなって」
「それぐらい酷いことを言ったんだってことに気付いたんだから、良かったんじゃない? これからは本の外の世界のことについても学んだら良いよ」
アロンドラはチラッとユリの手にある本を見て一瞬悩んだものの、はい、と素直に小さく頷いていた。どうやら道のりは長いようだった。
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