333 父と母の名
うーん、と寝返りを打ったリュカの毛布を直してやっていると、ククールスが静かに話し始めた。
「……狩人の里に行ったのも、その関連だった。俺達エルフ族は、遠い昔に楽園を失った。ハイエルフの下で幸福に生きていた楽園を。そんな夢みたいな話を聞いて育ってきた。だからか、今でも厳格な上下関係がある。人族のことは笑ってられないな。俺達も、ハイエルフには逆らえない。エルフ族にだって順位がある。俺はノウェムだ。9番目の氏族。だから、命令されれば、その通りに動くしかない」
背もたれにだらしなく体を預けて、天井を眺めながら彼は続けた。
「ハイエルフの中でも、楽園を出てから袂を分かつ者はいた。そのはぐれが、人と交わって小さな里を作った。俺の知っているハイエルフは特に純血種を望む。だから、人と交わった者が許せなかったんだろう。ずっと探し回って、見付けては潰すの繰り返しだ。……俺の知り合いも、それを察して逃げたんじゃないかと思ってる。先祖返りで能力の高い者が出れば、無理やり連れ帰っていたそうだから。そりゃ、返り討ちにあったり戦闘にもなったようだけど」
それは不幸な結果しか生まなかったようだ。
ククールスの飲み込んだ言葉でそれを知った。
「ある日、狩人の里に仁義を通さねばならないことがあると言って、送り出された。俺はただの護衛で、どんな話があったのか分からない。とにかく狩人の了解を得てから、森の奥に進んだ。でもあまりに険しい道行だったからか、結局は断念した。後から、別働隊の話を聞いたが、あれは獣の追い込み猟そのものだったそうだ。シャイターンから逃げる若い2人を、追い詰めていたんだ。でなければあんな山奥に、たった2人で若い人間が逃げ込むものか」
「その理由を聞いたの?」
「ああ。ハイエルフの裏切り者、人の血を入れた恥ずべき一族の子、それがまた悪しき血を作ろうとしている。サンクトゥスシルワに住むハイエルフ族へ仕えるウーヌスの長が、そんな風に話しているのを聞いた。悪い血は正さねばならないって。俺達は勢子だったわけだ」
爺様も不思議がっていた。あの山奥に何故若い2人が逃げ込んだのか。駆け落ちにしてもおかしかろうと。まして女性は臨月だった。彼女はシウを山中で産み落としたのだ。
「……だったら、尚更僕は、人として幸せに生きた方が良さそうだね」
「シウ」
「可哀想にね。そんなに血って大事なものなのかな。命が繋がれたことだけでも奇跡で、すごいことなのに」
リュカがまた寝返りを打った。それを見て、微笑む。
「生まれてきてくれただけで、幸せなことなのにね。神聖な森って名前が付けられているのに、そこに住む人達は全然神聖じゃないよね?」
サンクトゥスシルワとは神聖な森という意味がある。古代語だ。
「……ほんとだな」
ククールスはソファに座りなおしてから、シウの視線の先、リュカを見た。
「ハーフの獣人族か」
「そう。この国では忌む対象となるらしいから、ブラード家が引き取ってくれたんだ」
「いい、家だな」
「僕みたいなのを下宿人にしてくれるぐらいだからね」
「……後見人の、辺境伯は?」
「あー、あの人もいい人ではあるよ。うん、いい人かな」
「どっちなんだよ」
そう言って笑う。
「……なんか、すっきりした。気になっていたんだ。お前は聞きたくないことだったかもしれないけど、俺は肩の荷が下りた気分だ」
「良かったね」
「……不思議な奴だなあ。怒らないのか?」
「なんで。誰に、何を」
本気で分からずに首を傾げたら、ククールスはまた笑って、それからシウに抱き着いた。
「俺、お前好きだな!」
などと言っておちゃらけていたら、声がした。
「……エルフ好きだったのか?」
キリクが目を剥いて立っていた。
来ていたのは知っていたのだが、キリク相手に気負うことも腹に何か抱えているわけでもないので気にしていなかったのだが、タイミング的にまずかったようだ。
「えー、まず、こっちはククールス。エルフだけど、男性、です」
「こんちは」
「……俺は、キリク=オスカリウス、辺境伯、だ」
「よろしく!」
ソファに座ったままでククールスが答える。普通ならば喧嘩を売っているようにも見えるが、キリクが相手なので喧嘩にはならないだろう。
貴族らしからぬ貴族なのだ。
そのキリクも、向かいのソファに踏ん反り返って座っている。
「男か。どうりで、薄い胸すぎると思ったぜ。どんな趣味かと疑うところだ」
「というと、旦那は大きな胸がお好きで?」
「当然だ」
何の話だ。
この2人の組み合わせがおかしくて、シウは黙って見ていた。
「俺は女はやっぱり、うなじだな」
「……うなじか」
「普段は長い髪で隠しておいて、こう、掻き上げた時や、てっぺんで結んだ時なんかにちらっと見えるのが最高だ」
「……そうか」
「あとは、尻だ。でかくてもいけない。だが小さいのはもっとだめだ。ほどよく肉付きがあって、弾力のあるぷりんとしたものがいい」
「……君とは意見が合いそうだ」
「旦那もか。でもまあ、胸でかち合わないだけ、女の取り合いをしなくて済む。旦那相手じゃ俺に勝ち目はないから、良かったよ」
手を差し出しており、キリクも身を乗り出して握手していた。
大人の男同士の会話というのはよく分からないものがある。
シウにはまだ到達できない世界の話だった。
フェレスが、キリクの声を聞いて鬱陶しそうにリュカの眠るソファの後ろへ移動していた。それを眺めながら、シウは2人の会話に混ざった。
「キリク、暇になったの?」
「息抜きだ。明日の午後に王宮へ行くことになったから、これ以上はいいだろうと面会をやんわり断った」
「明日?」
「お前もだぞ」
「あ、うん、分かった。ようやく面倒くさいのが終わるのかと思うと、逆にホッとするね」
「俺もだ」
「……貴族でも嫌なのか」
ククールスが言うので、キリクがそりゃそうだと言って口火を切った後、どれだけ嫌か10分ぐらい喋り続けた。
落ち着いた頃、スサがお茶を持ってきてくれた。
逃げたキリクを探していて、見付け、場の空気を読んで用意してくれたようだった。
「俺、貴族への見方が変わりそうだ」
「俺もエルフ族への見方が変わりそうだ」
「俺は普通とは違うぞ。なにしろ、あの陰鬱な空気が嫌で逃げてきた口だし」
「俺もだな。貴族としては型破りだと言われている」
「2人とも、何自慢なんだよ」
「一番の型破りはコイツだな」
「あ、それはそうかも。冒険者としても、変わってる」
「えー、そうかな?」
「「そうだ」」
と返ってきた。
お茶を飲み終わる頃に、テオドロの秘書がキリクを迎えに来た。
それに連れられてキリクが去って行ったので、ククールスも丁度いいからと帰ろうとした。
「晩ご飯食べてかない?」
「いいのか?」
「別にいいよ。たぶん、用意されてるよ」
「そうなのか。だったら、お邪魔しようかな。この家のご飯、美味しいしなあ」
リュカが起き出してきて、フェレスと共にごそごそし始めていたのでシウは毛布を片付けたりしていると、ククールスが横に立った。
「さっきの話の続きなんだけどさ」
「うん?」
「名前だけは言っておくよ。あの時、気になって名前を調べてたんだ。なんとなく、そうしなきゃいけない気がして……」
シウが振り返ると、そっと手で目を隠された。
「父親の名はヴィルヘルム=アードラー、母親の名はニコラ=クローガーだ。年齢までは分からない。父親の出身地も分からないが、ハイエルフの血を引く一族であることは間違いないと思う。たぶん、彼は真正の先祖返りでかなり濃い血を持っていたんだと思う。だからこそ、執拗に追われたんだ」
「そう……」
「過去の俺の所業を許してくれとは言えない。だけど、謝るよ。悪かった」
「ククールスは、自分が悪いって思い過ぎだよ。でもそういう経験があったから、リュカにも謝ったのかな。気にしなくていいんだよ」
「シウ」
「僕が怒るとか泣くと思ったの? 目を隠さなくても、いいのに」
彼の手を退けて、笑って言った。
ククールスの方が泣きそうな顔をしていた。
「それとも、見られたくなかった? ごめんね。でも、気にしなくていいんだよ」
「……ばーか。なんなんだ、っての。ったく」
悪態をつきそっぽを向いて、誤魔化していた。
その格好のまま、ぼそぼそと続けた。
「お前にさ、今度、俺のとっておき魔法を見せてやるよ。お前なら基礎属性で使えるようになるかもな。別に謝罪のためじゃないぞ。これはあれだ、メープル代だ」
シウは素直に、ありがとうと答えた。
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