329 黒箱・世間知らず・精算




 午後は複数属性術式開発の授業で、昼に話し込んだせいでギリギリ滑り込んだ。

 先生がすでに来ていたので焦ったが、鐘の音は着席と同時だった。

 4時限目は先生の話を聞くだけで終わり、5時限目がまた自由討論の時間となった。

「先生、前にヒントをくれていた術式の隠蔽方法なんですけど、これでどうでしょう」

 冒険者仕様の飛行板には魔術式を書きこむ部分をブラックボックス化することにしていた。以前も塊射機に施していたが、それよりも強固になるよう試行錯誤していたのだ。

 トリスタンからアイディアをもらって、発展させたのだ。

「ヒントなどとはおこがましいが、君の役に立ったのならば幸いだ。どれ、見せてみなさい」

 隠蔽を掛ける部分だけを渡すと、彼はザッと読んでからもう一度じっくり眺めた。

「ふむ。妨害、結界、固定ときてから、ここで使ったわけだね?」

「はい」

 トリスタンは、隠せば隠すほど人は覗きたくなるものだと言った。暴いてやろうとするのは人の賤しい心理からだと言うので、まるで女性の肌を見たがる男性のようですね、と答えたらものすごく変な顔をされてしまった。シウが冗談を言うとは思わなかったようだ。

「トリックか。うん、それも、よくよく見てもこれが紛い物とは分かるまい」

「内容はところどころ違っていて、根本的な考え方が全く別物の術式を書いてみました」

「これをそのまま起動したら、ううむ、おや、そうか、ははは」

「自動的に発信するんです。一瞬だし、ここを、こう、暗号化してるので、よほど『何かあるんだ』と思って読まないと分からないように」

「こことここが繋がるんだね。ふふふ。面白い暗号を使う。これは思いもつかなかった」

「こういう暗号化によるブラックボックス、あー、遮蔽っていうのは、いくらでも数限りなく作れるものだから、解くのはほぼ数理学者ぐらいだと思うんですよね。で、そんな天才相手の対策を試みて膨大な術式を書きこむよりも、その他大勢を相手にした術式を圧縮して書いてみました」

「誰にも解けないものを作るよりは、か。合理的だね」

「はい」

 誰にも解けないものを作るなら、もっと簡単な方法がある。

 なので、突き詰めないことにしたのだ。

「これを、ぜひとも論文にして提出してほしいのだが」

「あ、はい。あー、落ち着いたら、そうします」

「……例の件か。まったく、我が国の宮廷魔術師は一体何をやっているのか」

 頭が痛そうに額に手をやって、唸った。

「余計なことばかりをして。こんな貴重な人材を失いたいのか? 馬鹿どもめが」

「せ、先生」

 トリスタンが怒ると怖いので、シウは慌てて宥めた。

「今のところ、まだ何も言って来てないし大丈夫です。グラキエースギガスも討伐できたし、後ろ盾、後見人も来てくれましたから」

 トリスタンは、おや? といった様子で片眉を上げた。

「討伐? それに、後見人がいらしたと?」

 興味深そうに聞かれたので、素直に週末あった出来事を話して聞かせた。

 話しているうちにオルセウスやエウル達も傍に来て聞いている。

「オスカリウス辺境伯が、後見人なのかね」

「すごい、隻眼の英雄が!?」

 わあわあと生徒達が騒ぎ出したので、トリスタンが落ち着きなさいと低い声で制した。

 皆、黙ってしまったが、1人だけまだ喋っている。

「血塗れ戦士がルシエラにいらっしゃるの!?」

 アロンドラだ。書物好きの、ちょっと思い込みの激しい少女だ。相変わらず従者のユリに本を持たせている。気になって視覚転移で覗いてみたら、英雄譚が多かった。術式本だと思っていたので意外な内容に驚く。

 ところで物騒な台詞を耳にした。

「血塗れ?」

 首を傾げると、トリスタンがアロンドラを睨みつけながら、ゴホンと咳をした。

「……我が国の書物などでは、そうした喩えで彼を称することもあるのだ」

「ふうん、そうなんですか」

「戦場で敵の血に塗れて、全身が真っ赤になったという話よ。ご存知ないの?」

「アロンドラ嬢」

 諭すようにトリスタンが注意したのだが、彼女の口は止まらなかった。

「巨人のように大柄な方なんですってね? それにとても怖いお顔をなさっているとか。鬼の血を引いているとも聞いたけれど、角はおありなの?」

「……えーと、どこから突っ込んでいいものやら」

 苦笑してしまった。

 そうだ、この女性は夢見る少女なのだ。無神経というよりは、書物にのめり込んだ、世間知らずなのだった。

「まず、人間の血を浴びても真っ赤になりません。魔獣達ほど真っ黒ではありませんが、人の血というのは体内から出てしまえば基本的には黒茶っぽくなります。それと、確かに背は高いですし厚みもありますが、筋肉質であって巨人というのとは違うと思います。怖い顔については、人によって感じ方が違うのでなんとも。ロワル王都での女性達の評判は概ね良かったように思います。鬼の血は、貴族家ですからどうでしょうね。ただ、謂れのないことを仰っていると、名誉棄損で訴えらえれる可能性もありますから、あまり気軽にお口にされない方がよろしいですよ」

 一気に話し終えると、にっこり笑ってみせた。

 アロンドラは少し気後れしたように、上半身を引いた。

「鬼というのは、オーガのことを指しておられるのですよね? つまり魔獣のことでは?」

「あ、う」

「お嬢様! いつも申し上げているではありませんか、ダメです、さあ」

 おどおどしていた従者のユリだが、主を守る時は強くなるようだ。シウ達に頭を下げて、アロンドラを引っ張って行った。

「……いや、あー、その、怒ってる?」

 オルセウスがおそるおそるシウに話しかけるので、シウは笑った。

「怒ってないよ。あれぐらいで。ただ、お灸を据えないと、あの人いつかやらかしそうだから。ちょっと大袈裟に言っただけだよ」

「そうなんだ……あー、びっくりした。それにしても」

「シウ、女子に対してあんな野蛮なこと言うなんて、びっくりしたよ」

 エウルも驚いたようだ。

 トリスタンも、目を見開いていたが、やがて苦笑して皆を見回した。

「アロンドラ嬢の言動には以前から問題があった。わたしがもう少し注意すべきだったね。皆も気を遣っていたのに、わたしの監督不行き届きだ」

「そんな、先生」

「オルセウス、特に君は普段から彼女のフォローをしてくれていた。ありがとう」

 先生に褒められて、オルセウスは恥ずかしげに下を見た。

「しかしながら、シウ。君はもう少しレディに対して言葉を選んだ方がよろしい」

 シウをジッと見て、苦笑しながらではあったがお叱りの言葉を口にした。

「レディに、人の血だのなんだのと、エウルではないが少々野蛮な言葉だったね」

「あ、すみません」

「まあ、鬼の血を引いてるなどと、大変失礼な物言いをしたのは彼女の方だ。しかも血塗れなどと言い出しては、君も気を悪くしただろう。どうか、彼女を許してやってくれるかね?」

「はい。元より怒ってませんし、僕も人のことは言えないですから。それにようは、アロンドラさんが年齢よりずっと幼いということですよね。そう考えたら怒る気にもなれません」

「……やっぱり君は、なんというか、怒らせると怖い人のようだね」

 トリスタンが最後を締めるようにそんなことを口にしていた。そんなことはないと思うのだが、何故か周囲のクラスメイト達は頷いていたのだった。




 翌日はまた課題だけで、午前も午後もお休みとなった。

 アラリコもジェルヴェも、シウとカスパルを教室から追い出してしまった。

 授業の邪魔をしないが、授業を真面目に受けないカスパルを置いておく理由もないのだろう。課題が出るだけましかもしれない。

 カスパルはこれ幸いと学校へも行かずに課題だけダンに受け取らせて屋敷に籠っている。

 シウは実質お休みになったものの、アラリコに報告したかったのもあって学校へ行った。午前中の早い時間には話も終わったので課題を受け取って帰ることにした。

 帰り、冒険者ギルドへ寄ってみたのだが、シウを見付けるとすぐギルド職員が本部長室へ連れて行った。

「リエトさん、ククールスも」

「よ! 元気か?」

 見た目は細面の、いかにもエルフといった美麗な人なのだが、口を開けば冒険者そのもののククールスが手を振った。

「精算できたそうだから、受け取りに来たんだ」

「ああ、そういえば」

「そんな気楽な感じでいいのか? シウの取り分すごいことになってるんだろ? 俺ならとっとと受け取りに来るけど」

「ククールス、お前はちょっと貯金とかしろよ」

「リエトさん、冒険者に向かって貯金なんて、禁句だろ」

「お前ほど冒険者らしい冒険者もいないよな……」

 リエトが呆れたように言い放った。

「他の人は?」

 この場にはギルド本部長のアドラルと、スキュイ、それからリエトとククールスしかいない。

「今回の現場リーダーであるリエトと、特殊任務のククールスだけ呼んだんだよ。君は学校があるだろうから後日と思っていたんだが、丁度良かった」

「特殊任務。格好良い響きですね」

「そうだろ? ただの、一番乗り要員だけどな」

「君が索敵してくれると失敗がないからね。それにミセリコルディアへの干渉を恙なく行うには、君ほど最適な人間もいない」

「エルフにそこまで気を遣ってくれてどうもありがとう」

 おどけた調子で返し、ククールスはシウに視線を向けた。

「あの森の奥に、ノウェム一族が住んでいるからな。ギルド長は仁義を通してくれたんだよ」

「そうだったんだ」

「まあ、そこまで気を遣わなくてもと思っていたけど、結果的には良かったのかもな。まさかグラキエースギガスが出て来るとは思いもしなかったし。進行方向が違えばエルフの森も被害を受けただろうから、討伐できたことも含めて良かったよ」

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