301 雪解け




 樹氷の月、最後の週の火の日になった。

 来月には雪解けの月となるが、ラトリシアはまだまだ冬真っただ中だ。

 この日も朝から雪がこんこんと降っていた。

 シウが古代遺跡研究科の教室へ行くと、やはりミルトとクラフトがすでに来ていた。

「おはよう。いつも早いね」

「……おはよう。お前もな」

 声を掛けると、一瞬の間があったものの、いつものように返事をしてくれた。

 しばらく何か考えるような仕草をしていたものの、シウが座った席に二人してやってくる。

「……この間、シウが言ってた子供、どうなった?」

 根が優しい彼等は、気になっていたようだ。

 シウは週末に起こったことを説明した。

 相手が、酷い手を使って獣人族の父親を奴隷にしたくだりでは怒りのようなものを感じたが、口にはしなかった。

 小さな子供が娼館送りにさせられるところだったというところでも、二人は目をギラギラさせていた。放っておくと復讐しに行くのではないかと思わせるような、鋭い視線だった。

「憲兵に連れて行かれたから大丈夫だと思うよ。他にも捕えられていた人たちは一旦、神殿に引き取られてから書類を整えて解放してくれるそうだし」

「その中に獣人族はいたか?」

「いなかった、と聞いてるけど」

「そうか」

 ホッとしたような顔で頷く。

「リュカは正式にブラード家の書生として引き取られたから、本人の希望次第で学校へ行くのか職業訓練をさせるか決めるよ。ただ、八歳なんだけど見た目も喋り方も四、五歳程度だからゆっくり無理なく進めていくつもり」

「……何故、そこまでやるんだ?」

「ハーフなのに何故って意味? それとも、赤の他人にって意味?」

 少しだけ、意地悪く聞いてみた。

 ミルトはハッとした顔をして、唇を噛んだ。暫く俯いていたが、顔を上げた時にはさっぱりした表情となっていた。

「どっちの意味でもある。俺たちはハーフを忌み嫌う傾向にあるから、どうしても不思議だったんだ。それに、他人の不幸なんて関係ないと、思っていた。同じ一族ならともかく」

「うん、そういうのはしようがないよね。自分と違う姿のものに、最初から好意を抱くのって難しいことだと思う」

 魔獣が忌み嫌われているひとつに、彼等がどうかすると共食いするから、というのもあるだろう。人として、どうしても相容れない感覚がある。

 この、ミルトが言う「同じ一族なら許せる」という閉鎖的な考え方も、生き物としては当然ある部分だ。

「僕は、ちょっと変わってるんだって。小さい頃、魔獣の子供を飼おうとしたこともあるし」

 ミルトがギョッとした顔をしたので、シウは苦笑して手を振った。

「すぐに爺様が殺したよ。最初は、何故なにもしていない子まで殺すのかと不思議だったけど。それではまるで強い者が弱い者を嬲り殺すみたいだ、虐殺と同じだとさえ思った。でも、魔獣と人は相容れないんだよね。その魔獣の子にとっては僕が餌なわけで、実際に齧られかけたし」

「おい」

「だからその前に、爺様が殺したよ。それから、言うことを聞かない僕を、爺様はオークの群れがある洞穴まで連れて行った。ちょうど穴が開いててね、上から覗ける場所だったんだ。そこで見たのは、オークが女性を襲う姿だった」

 ミルトもクラフトも、汚物でも見るような嫌な視線を床に向けた。

「もう、死んでいたから助けようもなかったんだけど、死んでまで辱められて、他にも誘拐されてきた子供や女性たちが食われていた。腹を割って出てきたオークの子は、そのまま母である人間の体を食べてたよ」

「……そこまで、するのかよ。お前の爺様、頭がおかしいんじゃないのか」

「ううん。僕がおかしかったんだと思う。そこまでされて、ようやく、立場ってものを考えられたから。オークにすればそれが生きる術で、本能なんだ。そうするのが正しいんだ。そして僕はそれをみて、心底嫌だと思った。こいつらをこのまま生かしていたらダメなんだって悟った。そして初めて、自分が人間の立場なんだなって思った」

 そこまでされないと、魔獣がいるという世界を真に理解することはなかっただろう。動物が好きだからと言って、安っぽい平和論で魔獣とも共存できるのではと考えたに違いないし、大人になるまで生きていられなかっただろうと思う。なにしろ、十一歳まで魔法はごくごく初歩的なものしか使えない状態だったのだから。

「立場が違うことは分かってても、できれば殺すって行為は嫌なんだ。誰かが傷つくのも嫌だ。だから、魔獣のような忌避する相手じゃないなら、助ける対象になるかな。もちろん、目の前の人だけね。僕は神様じゃないから」

 そこまで驕ってはいないが、目の前だけの安寧を求めるのは利己的だと十分に理解しているつもりだ。

 ミルトは複雑そうな顔で黙って聞いていたが、絞り出すように声を出した。

「……その、オークの群れはどうなったんだ?」

「爺様がそのまま穴に下りて行って皆殺しにした。ちゃんと見ておけ、って言って。殺された人たちはなるべく整えてあげて、遺族の所まで連れて行ってあげてた」

「そうか」

「獣人族もいたよ。犬型の子。両親は泣いてた。山越えするんじゃなかったって、何度も叫んでいた」

 そこまで話すと、ミルトが顔色を変えた。

「……山越え、って。どこの何て名前のやつか、分かるか?」

「どこのっていうのは覚えていないけどテヒニクって名前だったと思う。子供の名前は、覚えてないね。お母さんがとにかく泣き叫んでいて聞こえなかったんだ。アガタ村に助けを求めて駆け込んできたのは、山越えするのに固まっていただけの寄せ集め集団だったみたいだし。代表になっていたのが獣人族の彼だったから。名前はその人しか覚えてない」

「……ヴォルケのテヒニクだ。一族から抜けたんだ。山越えして新天地を目指すと言って。小さかったが覚えてる。同じ、犬の血を引くから」

 ミルトが呟くように言った。やっぱり関係あったのかと、この話を持ちだした理由を思い出してシウは内心で納得した。山越えしてきた位置と、獣人族であるということから何かしら関係あると思ったのだ。

「その子供は、俺のいとこだ。俺より二つ下で、だったら、八歳?」

「年齢も覚えてないけど、十年ぐらい前の話だよ」

「……じゃあ、やっぱりそうだ。そうか、死んだのか」

 悲しいのに泣けないといった感じで、沈んでしまったミルトを見ていると、クラフトが教えてくれた。

「ミルトもハーフなんだ。人族ではなく犬族とのな。だから許されている。長の一人娘の子でもあるから、こうして留学もさせてくれた。俺も従者として付いて来ている。だけど、テヒニクのところは長が犬族の妻を娶ったことを快く思わなかったようでな。居づらくなって一族から抜け出したんだ。一族から無断で抜けた者に、俺たちは無の刑を与える。無関心だったり、無視というものだ。だから表立って悲しめない」

「……そういうのが、あるんだね。ハーフってそこまで嫌がられるものなんだ」

「犬族とならそうでもないんだが。近い種族だし、実際に隣り合って暮らしている。関係も良好だし、お互いに助け合っているぐらいだ。ただ、純血種にこだわる者も、未だにいるんだ。ヴォルケの長のように」

「そうかあ。難しいんだね」

 二人で話をしていたら、ミルトの心が落ち着いたようだった。

 改めてシウを見て、頭を下げた。

「仇を討ち、遺体を救い出してくれたということは恩人だ。ありがとう。たとえ、無の刑に処されていても、彼等は俺の一族の者だ」

「お礼は、死んだ爺様に」

「……人族を差別するつもりは、ないんだ。ハーフがどうのと聞いていて、それはないと思うだろうが」

「人族もハーフを差別するらしいから、お互い様だよね。そこまでするほどの感覚は僕にはないから理解できないけど」

 そう言うと、ミルトはふっと笑った。

「リュカと言ったか、そのハーフの子は」

「うん」

「八歳なんだな」

「そうだよ」

 死んだいとこのことを考えたのだろう。顔を歪ませて、手で覆った。

「……あのさ、会ってみたいんだけど、会えるかな?」

「いいと思うよ。同じ耳や尻尾を持った人と会えたら喜ぶかもしれないし」

「同じ、か」

「僕には全く同じようにしか見えないんだよねえ。何度説明されても、違いが分からないんだ。威圧感? 雰囲気? とか、よく分かんないよ」

「ははは」

 ミルトと、普段は寡黙で無表情に近いクラフトからも一緒になって、笑われてしまった。

 よく分からないが、笑顔になったのは良かった。



 その日の授業を終えると、二人を屋敷に招いた。

 緊張した様子のミルトだったが、フェレスに乗って客間までやってきたリュカを見ると、どこかホッとしたような気の抜けた顔になった。

「……おみみ!」

 リュカがびっくりして指を差して、慌ててそれを引っ込めた。人を指差してはいけませんと教えられているのだろう。一緒についてきたスサを見上げてから怒られないか確認している。

「さあ、お客様の前ですから降りましょうね」

 スサが抱っこしてフェレスから下ろすと、リュカはそろそろっと客人二人を気にしつつシウのところまで歩いて来て足にしがみついた。

 シウが抱えてソファに座らせると、ぴとっとシウにくっついているが、その目は興味津々に二人の耳と尻尾に向かっていた。それから小声でシウに囁いた。

「おとうと、いっしょだよ」

「そうなの? お父さんはあんなに綺麗なお耳と尻尾だった?」

「うん。あのね、おとうはね、黒いの。おおかみさんといぬさんの家の子で、黒いのは珍しいんだって」

「父親もハーフだったのか」

 そのせいで森から出て、街で暮らしていたのだろうとクラフトが教えてくれた。

「僕もおとうとおそろいが良かったのに、おばあと一緒なんだって」

「その茶色も可愛くて格好良いけどなあ」

「そう? シウ、お耳、好き?」

「好き。僕も欲しかった。いいなあ」

 本気で言っているのだが、ミルトから「そんな子供だましな」との声が聞こえた。

 失礼なと思っていたら、リュカがシウの方に頭を傾けて言った。

「触っても良いよ!」

 その時。ミルトとクラフトが慌てて立ち上がって、大声を上げた。

「ダメだ、触らせたら絶対にダメだぞ!!」

 びっくりして、リュカはぽかんとするし、のんびり寝そべっていたフェレスなどは飛び上がって驚いていた。

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