285 雪洞の中の生き残り




 夜中に起き出すと、ククールスが手を振った。

「まだ寝ておけ」

「ううん、もう目が覚めたし」

「子供はたっぷり寝ないとダメだぞ」

「普段からこれぐらいの睡眠時間なんだ」

「……早死にするぞ、まったく」

 シウを寝かせておいて寝ずの番をするつもりだったようである。優しい青年だ。

「僕も冒険者で、寝ずの番は経験あるし、大丈夫だよ。寝てきて。今ならフェレスがいて暖かいよ」

「お、それは嬉しい誘い文句だな」

 シウがてこでも動かないのを悟ったのか、そうした言葉で受け止めてくれた。

 ククールスがテントに向かったので、シウは珈琲を煎れて飲んだ。


 朝になり、ご飯の用意をしているとククールスとフェレスが起き出してきた。

 ククールスはエルフらしく真っ白い肌だが、髪の色は白銀で初めて見る色だった。紫の瞳をしておりいかにも深窓の青年といった風情なのだが、口を開けば冒険者口調だ。

「お疲れー。おかげでよく眠れたよ。助かった。フェレスも暖かかったしな。ありがとよ」

 寝癖の付いたフェレスの毛を撫でている。ククールスも長い髪が寝癖でうねっていた。

 それを適当に手櫛で梳いて、紐で縛っている。

 綺麗な顔も、そうした仕草で台無しだったが、彼にはそれも似合っていた。

「朝ご飯食べるよね?」

「おう。食べる食べる。腹が減ってたんだ。なんでもいいぞ。お米でもパンでも、虫だって食べるからな、俺は」

 森に住む人は虫も食べるようだ。貴重なタンパク源だからだろう。シウが本当に? と視線を向けたら、ククールスは肩を竦めた。

「冗談だって。大昔ならともかく、今のエルフは虫なんて食わないよ。そりゃまあ、他に食べ物がない時はしようがないから、食べられる虫ってのを教わってきてるけどな」

「……そうだよねえ、食べるものがないと、人間ってなんだって食べるよね」

 ふと、昔、いや前世を思い出してしんみりしてしまった。

 空襲の後の恐怖の時代を思い出したのだ。食べるものなどない時代、大火傷を負ったシウ、いや愁太郎が生き延びれたのは奇跡だった。

 いつ死んだっておかしくない子供に、食べられるものをと用意してくれた周囲の人に感謝するしかない。

 人の情けが身に沁みる。

「おい、どうした?」

「ううん。なんでもない。じゃあ、食べようか」

 頭から過去を振り払い、笑って朝ご飯にした。



 先発隊が到着するのを待つ間、今度は受け持ちを反対にして索敵を始めた。

 ククールスの言う通り、北側にニクスルプスの群れを二つ発見した。他に魔獣の小さな群れもいたが、脅威となるような存在ではなかった。

 そうして探索を続けていると、雪崩が起きた地点で生物がいることに気付いた。魔獣ではない。魔核の存在を感じないのだ。大きさ的に人間のようだった。

 シウは慌てて地面に降り立った。ぎりぎりで雪崩を避けられた場所のようだが、大きな雪の固まり、いや氷と言っていいだろうそれに阻まれて進めない。

 探索すると、洞穴のようになった空洞に人がいるようだ。

 ただ、動きがなく、衰弱していることが窺えた。

 慌てて氷を退かせ、雪を掘って進んだ。崩れてこないよう固めておくのも忘れない。

「誰か、いますか?」

 明かりを付けて進むと、すぐに応えがあった。

「こ、ここに……」

 ひどく衰弱した声だった。

 自然の洞窟で藁が敷かれていた。外は雪洞だったので、雪崩避けに、あらかじめ作っていたのかもしれない。

 駆け寄ると、数人が筵に包まれていた。

「救助……?」

「はい、助けに来ました」

 朦朧としている男性は、立ち上がることすらできないようだった。

 怪我もしていた。

 鑑定すると、足を骨折している。それに栄養失調症だった。この数日の話ではない。

 筵に包まれた男性たちも同じような具合だ。凍傷になったのか、指先を欠損している者もいた。欠損せずとも黒く変色している者ならほとんどだ。

 シウは迷うことなく、上級ポーションを取り出した。

「あなたは骨折しているから、伸ばしてからです。我慢できますか? 痛みどめを打つほどの力があなたに残ってなさそうなんです」

「ああ……分かってる……死んでも、いい、から」

 もう本当に体力がなさそうなので、シウは舌を噛まないように布を噛ませて、骨折している側の太腿を土魔法で固定した。そして勢いよく足首を引っ張った。

「ぐっ……がぁっ」

 くぐもった叫び声の後、気を失ったようだった。その間に骨をもう一度鑑定して、今度は少し横に固定し直した。時間は立っていたが、本人に怪我を治すほどの体力や栄養がなかったことと単純骨折に近かったことが、逆に良かったのかもしれない。

 固定し終わると、男を抱えてポーションを飲ませた。なんとか嚥下してもらって、しばらくすると体がみるみる治っていくのが見た目にも分かった。

 落ちてしまった筋肉までは戻らないが、生きている人間の肌色になったのだ。

 同じように他の男たちにも飲ませた。

 欠損した部分は元には戻らないが、どす黒く変色した部分はかなりマシな色合いになっていた。治療が上手くいけば、使えるだろう。

 間に合わずに、死んでいた者もいた。よく見ると、奥に隠すように遺体が積み重なっていた。どれも凍死のようだった。

 痛ましくて少しの間眺めていたら、最初に声を掛けてきた男が気付いて目を覚ました。

「あ、俺、は、生きて?」

「生きてますよ」

 振り返って男に近付いた。

 男はシウを見て怪訝そうになり、それから自分を手を見た。グーパーとやってから、驚いて起き上がった。軽い眩暈を起こしたものの、そのまま立とうとする。

「完全に治ったわけじゃない。栄養失調はそのままだから」

「骨折が、それに、凍傷も」

「はい」

「あ、あんた、あんたは治癒師なのか?」

「いえ、冒険者で魔法使いです。直したのは薬で、僕が調合したものです」

「……薬、お、俺に? いや、もしかして」

 周囲を見渡して、男は驚いた。

「まさか、ここの奴等にも?」

「はい」

 頷くと、男はその場に土下座した。

「す、すまない!!」

「え?」

「騙すつもりはなかった、ただ、救助されるだけだと」

「はい、救助に来ました」

「違うんだ、俺たちは奴隷なんだ! なのに、そんな高い薬を」

 叫んでいたからか、寝ていた男たちも目を覚まし始めた。皆、驚いている。特に欠損間近だった凍傷患者は目を丸くして自分の指先を眺めていた。

「そんな高い薬、支払える金はないんだ」

「要りませんよ、そんなの」

「は?」

「僕が勝手に使ったのに、それじゃあ親切の押し売り? じゃないですか。勝手に飲ませて、薬代くれだなんて言いません」

「……あんた、あんた」

「僕はシウ=アクィラと言います。冒険者で魔法使いの十三歳です。あんたじゃないです。あなたは?」

 質問すると、男は答えかけて、それからその場に突っ伏して大泣きした。

 え、なに、と戸惑っていたら筵に寝ていた男たちもその場に土下座した。

 助けちゃまずいことでもあったのだろうかと、不安になりつつ男の泣きながらの説明を聞いた。


 最初に声を掛けた男がソロルと名乗り、奴隷として雪崩工事に連れてこられたと話してくれた。普段は城壁の補修などをやっており、雪崩現場は初めてだと言っていた。

 イーサクという男は冬山に慣れていたので、この退避場所を作っていたそうだ。たまたま近くにいた作業員たちをここへ誘導したそうだ。

 だが、ほとんどが初めの頃に死んでしまった。寒さに耐えられなかったのだ。

 今残っているのは十二人だった。

 中に小さな子供がいて、その子を中心に固まっていたらしい。

「リュカも奴隷なの?」

「こいつは親父が奴隷で、見ての通り獣人とのハーフだからどこにも引き取ってもらえず、捨て置けずに連れてきたんだ。奴隷の子として一緒になって働いていたんだが」

 リュカは元気になると泣き出した。

「こいつを守って死んでしまったんだ。泣くと体力使うから、皆で泣くなって言ってたんだ。だからすまない、煩くても我慢してやってくれ」

「煩くなんかないよ。親を亡くして悲しいのは、当然のことだ」

 しんみりしつつ、ソロルは先ほどのことを説明してくれた。

 普通、奴隷が怪我をしても治療など滅多に受けさせてもらえないし、薬など与えられることはないそうだ。虐待してはいけないといったルールはあるものの、ほぼ虐待に近い扱いをされている。完全に物扱いだ。

 ましてや名を名乗ったり、反対に名を聞かれることなど有り得ないので、驚いて嬉しいやら何やらで泣いてしまったそうだ。助けてもらったことも嬉しかったらしい。

「そんなに人間扱いされないものなの? シュタイバーンでは奴隷そのものを見たことがないから分からないんだけど」

「……シュタイバーン国はほとんどが犯罪奴隷だと聞いたことがある。だからもっとも過酷な労働現場に送られるから、普通は見ないんだと思う」

「この国では違うの?」

「ここや、デルフ国は、借金奴隷が多いんだ。軽微な犯罪でも奴隷に落とされたり、騙されて奴隷となる者もいるし」

 酷い話だった。

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