283 ミセリコルディアの森




 シアーナ街道はルシエラ王都から見て、ちょうど真北にある。

 街道沿いを進まずに上空を飛んでいくので真っ直ぐ突っ切れるのが良い。雪にも足止めされず、高低差にも悩まずに済むから想像以上に早く到達できた。

 王都の近辺には小さな森が幾つも点在しており、間を縫うように畑があって、それらを囲むような形で大きめの森が存在していた。そこを抜けると後は起伏のある平原といった様子の土地が続く。

 やがて、北に深い森が広がるのだ。

 平原のあちこちに小さな村などの集落が存在していたが、今は雪のせいで真っ白く、ククールスが指摘しないと分からないほど景色に同化していた。

 もちろん、全方位探索を使っているシウにはどこに人が住んでいるのかは分かっていたが。

「あの森を進むと、標高の高い山々が続く。右手の北東にずっと進むとアイスベルクという遺跡のある、その名の通りの山脈もあるんだが険しすぎてほとんど人は行かない。その手前の南に、俺たちの故郷ノウェムがある。それらを含めた、この全体の森をミセリコルディアの森と呼ぶんだ。シアーナ街道は、比較的ミセリコルディアの中でもましな山々を縫って作られた街道なんだが、厳しいことに変わりはない。大昔に切り開いたそうだが、奴隷が何万人も死んだそうだ」

「すごい逸話なのに、よく森に慈悲って名前を付けたよね」

「……意味を知っているのか?」

「だって、古代語だよね、それ」

「ハイエルフ語だって、言われてるんだが」

「ああ……ハイエルフの言葉は、古代語を引き継いできたものらしいよ。変遷史を読んだけど、発音や文字を筆者が間違えていない限り、それで正しいと僕も思ってるんだ。昔は今ほど明確に種族ごとの差もなく、皆が仲良く暮らしていたようだし、言葉を引き継げる能力がハイエルフは高かったんだろうね。長生きなのも言葉が残った理由のひとつかも。すごいよねえ」

「そ、そうなのか。知らなかったな」

「ククールスさんの氏族ではハイエルフ語を話せる人はいるの?」

「かろうじて、何人かな。あ、それより、呼び捨てでいいよ。俺も、シウって呼ぶ」

「うん。ありがと。でもいいねえ、知り合いにハイエルフ語が話せる人がいるのって。僕も覚えた言葉の発音が間違っていないか、教えてほしいぐらいだよ」

「……珍しいやつだな。あんな古臭い言葉覚えて楽しいか? 俺にはお祈りのフレーズだけで眠れる自信がある」

 今と違って、びっくりするぐらい多い文字数で、しかも流れるような韻なのでどうかすると確かに祝詞のようで眠くなる気持ちは分からないでもない。ククールスの言い分には笑えた。

「あはは。確かに。でも、文字を覚えるのは楽しいよ」

「へえ……。さすがシーカーに行くだけあって、変人だ」

「ひどい」

「あんなところに行くやつは絶対に被虐趣味のあるやつだって。俺は嫌だ」

 後ろでぶるっと震えていた。

 ククールスは勉強は嫌いな人らしい。喋り方も冒険者風だし、見た目はともかく中身はまるっきり冒険者だ。



 問題の場所はククールスがすぐ見付けてくれた。彼は目も良く、そもそも場所を知り抜いていたので助かった。

 上空から見ていると真っ白で、どれが街道なのか分からなかったのだ。雪崩だけを目印に飛ぶつもりだったので、ククールスがいないと焦るところだった。なにしろ、雪崩はあちこちで起きているのだ。

「一度降りてみるね」

「ああ、あのへんなら、土地も固い」

 フェレスに降りてもらうと、ククールスは早速あたりを探索してくると言って駆けて行った。足取りも軽く飛ぶように。重力魔法はいいなあと改めて思った。

 彼を待つ間、シウは雪を吹き飛ばしてから、地中を探知して安全を確認したあと、その場に土属性で簡易の建物を作った。運んできた荷を置いておく場所として、また人間の退避場所にもなるだろうと思ってのことだ。

 大規模雪崩の箇所からは少し離れており、かつ街道のすぐ近くの拓けた場所というのは後から来る人の前線基地にもなって良いだろう。

 しばらくは、そうして地面を均した。

 魔獣避けの薬玉も周囲に張り巡らす。凍らないよう、普通のものよりは手をかけて作ったものだ。また夜寝ている間に切れることがないよう、三日三晩は焚ける大きさにしていた。

 ククールスが戻ってくるまでの間に街道も整備した。

「こんなものかな」

 ふうと一息ついて休憩しようとしたところで、ククールスが戻ってきた。

 そして辺りを見回して、目を見開いていた。


 驚く彼を落ち着かせ、引っ張って行く。

「ちょうどいいから、お昼ご飯にしちゃおうよ」

 荷を置く倉庫や、屋根と壁だけの退避場所をすり抜け、竈まで連れて行った。

「これだけあれば煮炊きには困らないと思って。どうぞ」

 簡易四阿も作って、そこにクッションを敷き座ってもらった。

「俺は一体どこに来ているのか、分からなくなってきたぞ」

「寒いだろうから、暖かいのね。食べ物にダメなものってある?」

「……いや、エルフだからって草しか食わないってのは、ないぞ」

「良かった。知り合いのエルフの女性は肉大好きな人だったから」

「エルフの知り合い多いな!」

 そうでもないと思うのだが、一般人が遭う確率を考えたら高いのだろうか。

「俺を見ても驚かないと思ったぜ」

「あはは」

 ハイエルフにも会ったことがあると言ったら、なんと答えるだろうか考えて、含み笑いになった。もっとも、アウレアのことは絶対に言えないが。

「はい、まずは野菜スープからね。温まるし体にも良いから飲んでね」

「おう」

 魔法袋から直接取り出した鍋に、ククールスはもう驚かなかった。

 彼が食べている間に次々と食べ物を出した。フェレスにもここまで飛んできたご褒美としてまだ温かみのある鬼竜馬の内臓をあげた。

「肉はここで焼くね。あ、これ、野菜を煮たものなんだ。歯応えを楽しむものなんだけど、良かったらどうぞ」

「……初めて見るなあ」

 こわごわとだが口にしていた。冒険者はどこでだってどんなものだって食べられるよう、体が慣らされていく生き物だ。ククールスも同じようだった。

「美味しいな。変わった味がするけど、確かに歯触りが良い」

「筑前煮って言うんだよ。体に良いものばかり使ってるからね。はい、肉を焼くよ。中まで焼く? それとも表面だけ炙っていっちゃう?」

「表面だけだと、あたるんじゃないのか?」

「生きてるうちに血抜きして、その場で解体してすぐに魔法袋に入れたとっておきだよ? ちなみに鬼竜馬」

「食う食う食う! すぐ食う! さっと炙りでいいぞ!」

 受け答えが本当に冒険者らしい。シウは笑って、鉄板でサッと焼き、塩コショウをして皿に乗せて出した。

「ソースは要るならこれ、でもまずはそのまま」

「もちろんそのまま味わうとも! こんな上物、滅多に食べられない」

 その言葉通り、ステーキはあっという間に平らげられた。まだ食べられそうだったので二枚目も提供した。今度はゆっくり味わうようにソースを使って食べていた。

「悪い、俺、お前の分まで食ってないか?」

「ううん、まだあるから。あ、あと、パンが良いよね、やっぱり」

「なかったら、携帯食があるが」

「おにぎりもあるんだ。お米って知ってる?」

 取り出すと、目を輝かした。

「知ってる知ってる。シャイターンの主食だろう? 少しの間だけど、あっちで仕事したこともあるんだ」

 懐かしそうに答え、それからおにぎりを見て首を傾げた。

「こんな形にしてるのは初めて見たな。携帯食か?」

「ある意味そうかも。まって、それを焼きおにぎりにするから」

 取ろうとしたククールスを遮り、鉄板に乗せた。ごま油を引き、その上に乗せると香ばしい匂いが辺りに漂った。そこに刷毛で醤油を塗る。甘みとコクのある醤油だ。

 醤油はたくさんの種類を作ったが、今シウが嵌っているのはこれだった。

「はい、どうぞ」

 焼いて渡すと、熱い熱いと言いながらぺろっと食べきった。フェレスも同じく、にゃーにゃー言いながらはふはふと食べている。

 シウも給仕をしながら食べていたが、ククールスとフェレスのお代わりを作っていたら遅くなってしまった。


 満腹になって、それぞれ一息ついた。

 食後の珈琲をククールスに、フェレスはホットミルクを飲んで休憩する。

「こんな森の中で贅沢だなあ」

「喜んでもらえて良かった。ところで、この後、索敵を続けるんだよね。ここを中心にする?」

「ああ。ここをこれだけ整えてもらったら、やりやすい。今回は森で寝ずの番かと思っていたから助かるよ」

「念のため、この周辺に魔獣避けの薬玉を置いているけど、結界も張ろうか? 逃げ場を作っていた方が、安全じゃないかな」

「そりゃ有り難いが、どこに?」

「倉庫と退避場所と、この四阿あたりに」

「だが、掛けっぱなしで大丈夫か? 第一、魔力量だって食うだろう」

 心配そうなククールスに、魔道具を取り出してみせた。

「《四隅結界》っていう簡単に張れる魔道具なんだ。あんまり強い相手だと耐えられないけど、それでも襲われてから五分ぐらいは持つと思うよ」

 五分あれば、冒険者ならなんとか後のことを対処できるだろう。それにオーガあたりまでなら充分耐え切る。

「なんでも出てくるな、その袋!」

 ククールスはもう驚かず、ただ楽しそうに笑っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る