281 柔軟体操のススメと強制依頼



 戦術戦士科の授業が終わると、三時限目にあたる時間はレイナルドも空いているというので話をすることになった。

 ストレッチの有用性についてだ。

 改めて話を聞きたいというので説明していたら、三時限目が空いている生徒やその護衛たちもやってきて話を聞いていた。

「なるほど、怪我を予防する、か。その考え方は知らなかったな」

「冒険者や護衛などは、動く前に体を温めますよね?」

 シウが振り返って護衛たちに聞くと、何人かが頷いていた。騎士たちは誰も頷いていなかった。

「これほど系統立てた動きはなかったが、確かに屈伸したり、筋を伸ばすと言って先輩方がやっていた。何気なく自分でも動かしていたが」

「体が自然と欲しているんですよ。筋肉痛も軽減されますし、体には良いです」

「そうか。シウは他に日々の訓練をやっているのか」

「やってますよ。朝一番に、ゆっくりと柔軟体操して、温めた後に少し早めに歩きます。それから三十分ほど走って、終わったらまたゆっくり歩いて、最後に柔軟です。毎日必ずやります。時間があれば、昼間はフェレスと追いかけっこしたりしますね。お互いの訓練に良いですから」

「それだけでいいのか」

「それだけで体力を維持し、筋肉がほぐれるので、いざという時すぐに動けます。体の故障ほど怖いものはないので」

「なるほどなあ」

「あと、さっきも言いましたけど、関節が柔らかいのは絶対的にお得です。たとえば、こう」

 立ち上がって、仰け反って見せた。

「剣から逃れるために体を動かすにしても、範囲が広くなりますよね」

「おお!」

「柔らかいなあ」

「安定しているしな」

 皆が口々に感想を漏らした。

「普段、足腰を鍛えているので、踏ん張れますし。ここ、足首見てください」

「うん?」

「この角度でも踏ん張れるのは、走ったり柔軟したりで鍛えている証拠です」

 そう言うと、レイナルドや生徒に護衛たちが一斉に同じ角度で立とうとした。

 が、固い。

「うおっ、無理だ、倒れる!」

「痛たたた」

「あまり無理をすると本当に筋を痛めますよ」

 シウが注意すると、それぞれが無理な体勢を止めた。

「ふむ。これを、どれぐらいやればシウほどになるかな?」

「慣れてないので半年から一年はかかるでしょうね。それに少しでもサボると体は元に戻ります。元来、体と言うのは怠け者にできてるんです」

「ははっ、違いねえ!」

 レイナルドは楽しそうに笑った。

「でも、二人一組でやるともう少し早く身になるし、生徒だと若いのでもっと早くに実感できると思います」

「ほお」

 興味を持ったようなので、シウはその場にいたエドガールを手招きした。

「え、わたしか?」

「うん。若いから」

 おっかなびっくりやってきたエドガールに座ってもらい、背中をゆっくりと押して倒した。前屈だ。

「うっ……苦しい……っ」

「これを、自分でやるのには限界があるので、こう後ろから押してあげるんです。ただしゆっくりと優しく、ちょっと痛いなあというところで止めます。決して無理してはいけません。あと背中を押すのではなくて、腰から押します。いーち、にー」

 と数えていく。

「きりよく十ぐらい数えて、終了です。足を開いて、右側左側正面と、同じようにやります。こちらは股関節も鍛えられますので良いです」

「女性にはちょっと厳しいな」

「女性にこそやってもらった方が良いとは思いますけどね」

 うん? と全員がシウを見たので、苦笑しつつ説明した。

「男性も体が固いですけど、そもそもの持って生まれた質として筋肉量は多く、また女性よりも強いです。女性は反対です。柔らかい体を持つけれど、筋肉は少なくて弱い。筋肉量が少ないと平熱が低く免疫力も少なくなり、体も壊しやすいです。それに閉経してしまうと骨が脆くなります。そうしたことを防ぐためにも、普段から鍛えておくことが大事なんです。走るのは難しい人でも、柔軟はできるでしょう?」

「……お前さん、今ここに女子がいなかったから良かったものの、すごいこと言うな」

「え?」

「……自覚ないのかよ。あー、子供って怖い!」

 シウはさっきの発言を思い起こして、首を傾げた。

 そんなシウに、レイナルドは大きな声で言った。

「女性に向かって、柔らかい体を持つとか、へ、閉経なんて、言うなってことだよ!」

 閉経のところでは小声だった。

「まあ、健康やら考えたら、女子もやった方が良いってことだな!?」

「あ、はい」

「……自由参加でやってみるか。さすがに、クラリーサには無理だろうし」

「淑女って大変ですね」

「……お前、彼女の前で余計なこと言うなよ? へ、閉経とか、どうのとか」

「分かりました」

 素直に頷いたのに、何故かレイナルドのみならず周囲の人から半眼で見られてしまった。


 その後、ストレッチの形や順番などを話し合って、皆で試してからお開きとなった。

 昼ご飯はその流れでエドガールたちと食堂へ行くことになり、シウを待っていたディーノたちと合わせて大人数で食べることになった。

 シウが取り出したお弁当を興味津々で見るので、多めに作っていた分も取り出して一緒に食べた。

 一番食べたのは教師のレイナルドだった。大人げないのである。



 午後は図書館へ行った。

 図書館仲間と本について語り合い、地下の探知を続ける。

 のんびりと時間を費やすこの時間は、シウの一日でも至福の時だ。

 これで珈琲でも飲めたら最高なのだが、飲食は禁止なのだった。

 この日は天気が悪くなってきて、せっかくの明かり取り用の天窓ガラスも意味をなさないほど暗くなってきた。

 図書館内部の燈器具がポッポッと付き始めたので、早めに帰ることにした。

 外へ出ると雪が大量に降っており、夕方でもないのに真っ暗だった。

 少し考えて、ギルドに寄ることにした。

 明日からの予定を今のうちに組んでおこうと思ったのだ。

 降ってくる雪が嫌いなフェレスは、尻尾で何度も雪を払っていたが、そのうち諦めていた。濡れないように自動乾燥を掛けているのだが、嫌なものは嫌らしい。もしかしたら、雪が雨と同じようなものだと分かっていないのかもしれない。

 ふと、思い付いて話しかけてみた。

「フェレス、それ、虫じゃないよ?」

「にゃ?」

 え? と少々驚いたような顔だ。

「それ、雨と同じだよ。ええと、水。水と同じ」

「……にゃっ!?」

 ええっ、と獣のくせに人間臭い驚き方をして、それから、何かに気付いたようにハッとして、取り繕う。

 そう、平然と何事もなかったかのように歩き出したのだ。

 もしかしなくても、虫だと思っていたことを隠しているつもりなのかもしれない。

 おかしいやら可愛いやらで、シウは笑みを噛み殺して、ギルドまでを歩いた。



 冒険者ギルドに顔を出すと、少し慌ただしかった。

 午後の時間なのにどうしたのだろうと思っていたら、ルランドがシウを見付けてやってきた。

「シウ、どうしたんだ」

「明日からの依頼の予定を組んでおこうかと思ったんですが、何かありました?」

「ああ、そうなんだ。……そうか、シウがいるんだな」

 顎に手をやって、考え込み始めてしまった。

 その間にも、他の職員たちが、緊急依頼がどうのと言い合っている。

 クラルも顔を見せたが、使い走りのようであちこちに行かされていた。

「……シウ、君はまだ十級だったよな」

「はい」

「でも、年齢制限のせいであって、実力は少なくとも六級だ」

 うーんうーんとルランドは悩みつつも、ようやくといった様子で顔を上げてシウの肩に手を置いた。

「すまん! 手伝ってくれ!」

 とりあえず、事情を説明するからと、奥に連れられて行った。

 そこには幾人かの冒険者らしき男性たちも待っていた。

 シウを見て眉を上げたり胡乱げに見る者もいたが、誰も口を開くことはなかった。

 ちょうど皆の前にギルド本部長のアドラルが来たところでもあった。

 職員らもシウたちの後に続いて部屋に入ってきて、扉が閉じられたところでアドラルの話が始まった。

「シアーナ街道が雪崩によって閉ざされていることは皆も知っているだろう。上級ランクの冒険者や、建設作業員、奴隷を使って復旧活動をしていたが、上手くいっていなかった。その理由が判明した。ニクスルプスがかなり大きな群れを作って住みついている」

 ざわめきが広がった。

 ルプスとは狼型魔獣のことで、普通の狼よりもふた回り以上大きい。大体三~四メートルほどある。ニクスルプスは同じ狼型だが、冬山に多く生息し雪を降らしたりする厄介な魔法持ちだ。大きさも最大で五メートルほどになる。これが集団でいるならば雪深いのも当然だし、雪崩も起きやすいだろう。

「一旦引いてきたが、奴隷を数多く失った。今回、要請を出していたこともあってようやく宮廷魔術師が重い腰を上げてくれたが、ニクスルプスが出るのなら一気に倒したいので冒険者からも協力が必要ということになり、強制依頼となった。明日、正式に発表するつもりだが、その前にここにいる面々がメインとなるので、集まってもらったという次第だ」

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