279 授業中の内職と新たな火種? 




 翌、木の日は朝からアラリコの授業だ。

 カスパルのお目付け役となる日でもあった。

 午前の古代語解析については、どうもこれ以上習うべきことがなさそうな気がしてきて、アラリコからも邪魔をしさえしなければ何をやっていてもいいと言われてしまった。

 大図書館にある古代語関連の辞書などはもう全て制覇していたし、あとは古代語で書かれた書物などが残っているだけだ。その書物も、個人日記の域を出ないものだから、これ以上読み進める気がなかった。

 つまり、ほとんど知識としては得てしまっていた。

 とはいえ、アラリコも薄々気付いているようではあったが、そのことには触れてこなかった。飛び級試験を受けるには異例すぎるし、それ以上にたぶんカスパルのお目付け役が欲しいのだろうと思う。シウも特に否やはないので、引き受けていた。

 その授業の間、シウはこっそりと漢字を使って術式を書いていた。

 漢字だけで書くと、ほぼ古代語レベルで簡素化できる。しかも誰も解析できない。ブラックボックス化しなくとも読めないのだから便利だ。

 もっとも、マニアな研究者というのは世の中にたくさんいるから、いずれは暗号解析のごとくに漢字の意味までも解析されてしまうだろうが。

 事実、古代語だって解析されてきた。

「【漢字】じゃなくて、新しく作っても良いのか」

 文字を新たに造るというのは、考えただけでドキドキした。楽しそうだ。

 とはいえ、そこに思いを載せるには時間がかかる。その文字で魔法が使えるようになるには、時間がかかりそうだ。

 やはり魔道具に術式を書きこむのは現代語が一番楽かな、という結論に至った。


 昼ご飯はいつも通り、ディーノたちと摂った。

「知ってるか? ヒルデガルド嬢が、この学校のボスに喧嘩を売ったそうだ」

「ボスって」

 苦笑しつつディーノを見ると、おにぎりを頬張りながら肩を竦めていた。

「正確にはボスの婚約者かな」

「もしかして、上流階級の人たち?」

「そう」

 頷いて、唐揚げに手を伸ばす。ディーノはおにぎりを手掴みで食べた時から、もうナイフとフォークは使わないことにしたらしい。

 いくら下級貴族の出とはいえ、庶民の暮らしに慣れ過ぎだ。

 寮に入っているし、揉まれたのだろうか。

「僕たち、同じロワル出身者は肩身が狭いったらないよ。寮でも目の敵にされるし」

「……彼女は屋敷を借りてるんだよね?」

「そう。本人は安全圏にいる。で、僕等のような下級貴族以下で寮住まいがやられるって寸法だ」

「大丈夫なの」

「今のところはね。最初は理由が分からなくて、どうして差別されるんだろうって思ってたけど。クレールが教えてくれたんだ」

 コルネリオも唐揚げばかり食べるので、シウは二人にブロッコリーのチーズ揚げを渡した。ちょっと嫌そうな顔をしたものの、手に取って食べる。

「あれ、美味しいな!」

「本当だ。揚げてるから? チーズ味が良いのかな」

 気を良くしているところに、野菜スープの入ったカップを差し出した。つられて二人ともが飲む。

「は~あったまるなあ」

「うん。こっちの冬はきついって聞いていたけど、これほどとは思わなかったよね」

 二人が女の子のようにカップを両手で抱え持って飲んでいるので、シウは笑みを零した。

「なんだよ。シウは寒くないのか?」

「寒くないんだよ、ディーノ。見てよ、シウの格好。相変わらず薄着なんだから」

「その色のローブも見慣れたなあ」

 呆れたような顔をされたので、シウは弁当を取り上げようとした。

「わ、わ、ごめん!」

 慌てて取り返しに来たので、笑って元に戻す。

「あ、そうだ。そろそろ売り出されるよ。新しく、冬の必需品を作ってみたんだ。この間、商人ギルドに特許申請して通ったから、様子を見るためにも先行発売してくれるって」

「冬の必需品?」

「うん。懐炉っていうの。空気に触れると熱くなるから、寒い時に便利だよ」

「……お前、最高だな!」

「冬の間に商品化されて良かったよ」

「すぐ買いに行くよ」

「試作品で良かったら、少しあるけど、使ってみる?」

「使う使う」

 二人に渡したところで、昼休みが終了した。


 午後、魔術式解析の授業で相変わらずカスパルが飛ばしているのを宥めていたら、ダンと世間話になった。

「そういえばコルネリオから聞いたんだが、ヒルデガルド嬢が何かやらかしたそうだな」

「僕もさっき聞いたけど、詳しくは知らないんだ。ボスの婚約者に喧嘩を売ったとか、言ってたよ」

「ボスって」

 同じところに引っかかったらしく、ダンが苦笑した。

「寮という逃げ場のないところで、ロワル出身者が差別されてるのって大変だろうね」

「成長してないよなあ、お嬢様は」

「クレールが大変そう」

「面倒見が良いのか、要領が悪いのか」

 二人で話していてもカスパルは全く気にせず、魔術式の解析を行っている。ちなみに先生から出された課題ではない。全く別の、古代語のものだ。

 カスパルは一旦自分の仲間というのか、同じグループだと決めた者に対しては優しいし守ってくれるのだが、クレールのような対等に接してくる人間を相手にしない。

 シウのことは同じ研究科だったこともあって、いまだに庇護下に入れてくれている。

 言葉にはしないが、そういう人なのだ。

 良く言えば大らか、悪く言えばマイペースなところがあって、ようするに変わっていた。

「……君らは相変わらず、勝手気儘にやってくれてるね」

 ジェルヴェが生徒たちを見て回りながら、シウたちのところまで来て溜息を零していた。

「え、僕もひとくくりにされちゃうんですか!?」

 シウが心底驚いて抗議の意味の声を上げたら、ジェルヴェは半眼になってシウを見た。

「だって、シウ。君、授業で全く関係ないことやっていたよね?」

「……見てたんですか」

「教師にバレないと思っている生徒が意外に多くて、困るよ」

「あはは」

「笑って誤魔化さない。ま、君はもうほとんど飛び級扱いだからね、良いんだけど」

 と言っている間もカスパルは顔を上げなかった。

 夢中になると周りが見えなくなるのだ。

 去年の温水便座を思い出す。結局あれは完成させて、本宅に設置したと言っていた。

「……この集中力が羨ましいよ。さて、今は何をやっているのかな」

 覗き込んで、少し考えてから、ふうと溜息を吐いていた。

「なんだろうね、この術式は」

「あ、温水便座自動洗浄装置です」

 カスパルはトイレと相性が良いらしく、手に入れた古書本がまたしても便座関係だった。運命を感じたのか、解析してから作る予定だそうだ。

「……トイレ、ね」

「故郷では葉っぱで処理してましたけど、王都の中流以上の人たちは浄化を使うんですよね。しかも貴族になると専用の人を雇っているとか」

「ああ、あれにはわたしも驚いたね」

「でも人をそんなことに使うのって勿体無いですよね」

 カスパルのやっていることはかなり画期的なことだと思う。

 シウの作った簡易トイレは単体だし、快適かと言われると決してそんなことはない。

 もっと魔力を節約した、水洗トイレ全体のシステムを考えるのは良いことだと思う。

 ただ、お坊ちゃまでのんびり暮らしてきたカスパルには、自分がやっている研究が世の中にどれほど役立つかまでは考えていないようだった。

 ぜひともこれを生かしてほしいので、シウはダンと一緒になってカスパルを唆していた。幸いにして見付けた古書が、下水道設備に関する企画書のようなものだったので、上手くいきそうな気がしている。

 というわけで、午後はカスパルを焚き付けるのに時間を費やしたのだった。



 翌日は午前だけの授業となり、戦術戦士科だからドーム体育館へ真っ直ぐ向かった。

 ドーム体育館の、前回と同じ小部屋に入ると生徒たちはもう集まっていた。

 やる気満々だ。

 今回から上級生たちと合流して授業が始まる。

 シウには目立つ武器らしい武器がなく、相変わらず旋棍警棒一筋だ。だからというわけではないが、的係も請け負うことになっていた。

 逃げ足だけは早いのでそれは構わないのだが、微妙な気持ちだ。

 フェレスは鬼ごっこみたいで楽しかろうが。

「まずは、基礎練習を行って、それから乱取りに入る」

 レイナルドの指示の元、各自で体を温める。剣士は素振りなどをしていた。

 シウはストレッチを行った。

 レイナルドが面白そうな顔をしてやってくるので、ストレッチをしつつ視線を向けた。

「それはなんだ?」

「筋肉をほぐしてるんです。体を動かす前と後、必ずやります。特に寒いと筋肉が固まっているので、柔軟にしないといけません」

「ほお」

「あと、体が柔らかいと、怪我の予防にも良いです」

「それは分かるな。良い戦士は関節が柔らかい」

 うんうん、と頷いている。

「関節が柔らかいのは、そいつの資質だと思っていたが」

「訓練によって幾らかは変えられますよ」

「そうか。面白いな」

「体力を付けるのにも、走ったりするでしょう? あれと同じで、毎日毎日柔軟体操をすると良いんです」

 レイナルドは、ふむふむと頷いて考え込んでいた。

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