227 一世一代の




 ベルヘルトがやったことに快哉を叫んだのはシウぐらいで、他の面々は慌てて駆け寄り、ベルヘルトを叱っていた。と言っても相手は上司であり第一級宮廷魔術師なので口調は柔らかいが。

「ダメです、すぐに解除してください」

「問題を起こしたら、外出禁止になりますよ!」

 ダニエルも苦笑しながら、ベルヘルトを説得にかかる。

「ベルヘルト様、もっと別の方法に変えましょう。同じ伯爵家ですので、わたしから話を通してみますから」

「む、そうか」

 その間にシウはエドラに駆け寄って、よろめく彼女の手を支えた。荷物もさっと受け取る。

「すみません、僕が余計なことをしたばっかりに。大丈夫ですか」

「ええ、ええ、それはもう。……ごめんなさいね、わたくしのことで」

「いいえ。僕こそ、ごめんなさい」

 二人して謝っていると、ベルヘルトが近付いてきた。杖がないので、足で床を踏み鳴らしている。

「ご婦人をいつまで立たせておく気じゃ! さあ、早くどこか座れる場所へ案内せい」

「あ、はい。すみません、気が利かなくて」

 そうすると遠巻きに見ていた市場の人たちがやってきて、すぐに近くの店へ案内してくれた。

 ロダルは硝子壁から出されたもののその場に座り込んでいたので、護衛の一人が立たせているところだった。


 紅茶の茶葉を売る店の奥に、小さな喫茶スペースがあって、そこを借りることになった。

「お恥ずかしい話ですけれど、わたくし、実家からは疎まれておりまして」

「だからと言って、仕える立場の者にあのような物言いを許すなど、シュターデン家は一体何を考えているのでしょう」

 同じ伯爵位を持つクラフルが顔を顰める。

「ええ、同じ貴族として大変恥ずかしい」

 トビアも同調した。トマーゾは頷いていたが口には出さない。彼は準男爵なのでいろいろと憚りがあるのだろう。

「いえ、皆様、わたくしが悪いのでございます」

 エドラが困ったような顔をして笑う。

「シウ殿にも以前お話ししましたね。わたくし、出戻りですのよ。それも夫に三度も死なれてしまって……そのような女では実家も大変であったろうと思いますから」

「ふん!」

 ベルヘルトが鼻息荒く、足を踏み鳴らした。

「そんなことぐらいで、厄介者扱いされるなんぞ、有り得ん。貴族なぞ、だからわしは嫌いなのじゃ!」

「ベルヘルト爺さんだって、一応男爵でしょう?」

「押し付けられたもんじゃ! わしは、なりたくてなったわけではない」

「はあ」

 呆れていると、エドラが微笑んだ。

「まあまあ。もしかして、ベルヘルト様ではございませんか」

「む……覚えておられたのか」

「もちろんでございます。いつぞやもお助けいただきました」

 丁寧に頭を下げるエドラに、ベルヘルトはどこかしら不審者のような妙な態度で視線をあちこちに彷徨わせる。

「幼い頃に、助けていただいたことがあるのよ。馬車に乗っていたら、突然馬が暴れましてね。馬車ごと横転するところを、空間魔法で守っていただいたの」

「む」

「ろくにお礼も申し上げられないまま、父上に連れ戻されてしまいました。でも、その後、お噂だけ聞いておりました。ご出世なされたと聞いて喜んでおりましたのよ」

 エドラは懐かしそうに微笑んで、それからベルヘルトに頭を下げた。ようやくお礼が言えると。

「今もまたこうして助けていただきました。ありがとうございます」

「……じゃが、このままではあなたは、その、また大変であろう」

「いいのです。これがわたくしの運命ですから」

「む。それは、いかん」

「そうですよ、エドラさん。僕、前から言いたかったんですけど、貴族の娘として政治に利用されたのだから、その結果がどうあれ、利用した分最後まで面倒を見るべきだと思うんです」

「まあ。……でも、だからこそ、今も面倒を見ていただいているのよ」

「高位貴族の女性を、あのような屋敷に閉じ込めてですか? 家僕もメイドも全然足りてないじゃないですか」

「……シウ殿、あなた」

「僕、知ってますよ。エドラさんが、お金がないならないなりの生活をしようと、独立してひっそり暮らそうとご実家に何度も掛け合ったこと。執事さんが仰ってました。エドラさんは貴族の女性たちに礼儀作法や詩吟など、教えられることはいくらでもできたって。それを生業にすれば、執事さんやメイドさん数人を抱えてもやっていけると。それを阻止したのはご実家でしょう? みっともないからせめて屋敷に住むようにと言われて、それなのにその屋敷に応じた家僕たちは雇ってくれなかった。庭も、近所の庭師の方のご厚意で綺麗にしてあったぐらいで。エドラさんの決意や努力を、ご実家はちっとも理解していないじゃないですか」

「……そんな風に言わないで、シウ殿」

「そうじゃぞ! シウ、おぬしはご婦人に対して、失礼である!」

「うん、言い過ぎだよ。もうちょっと、こう、柔らかくね?」

 周りに諭されてしまった。

 確かに言い過ぎた。ずっと、言いたいのを我慢していたのに。

「ごめんなさい」

 シウこそが、辱めてしまったのだ。申し訳なくて心底から頭を下げた。

「……いいえ。そうね。わたくしの実家は確かに、ひどいかもしれませんね。でもその実家に頼って生きていることも確かなのよ」

 しんみりしたところで、ベルヘルトが足をドンと踏み鳴らした。

「では、わし、わしがっ!」

「え?」

 皆がベルヘルトに視線を向けた。

「わっ、わ、わしが! ……その、わしに、頼って下さらんか!」

「え?」

「は?」

「……つまり、そのう」

 顔を赤くして、今にも倒れるのではないかというような態度で、手を震わせている。

 病気かも、と慌てて近寄ろうとしたところで、後ろからダニエルに引っ張られた。

「え、あの」

 驚いて振り返りつつ見上げると、にっこり微笑んで、しっと人差し指を口にあてる。

 そのままシウは後ろに連れ出されてしまった。

 他の人たちも、顔を見合わせてから慌てて店の外に出はじめる。

 シウが見た最後のシーンは、ベルヘルトがその場にしゃがみこんで、いや、騎士のように片足を地面につけて、エドラに手を差し出しているところだった。


 他人のプロポーズというのを初めて見てしまった。

 店の中からは「とんでもないことです、わたしのようなものなど」とか「わしはあの頃から」とか色々聞こえてくる。

 暫くやりとりが続いて、押しの一手が効いたのか、ベルヘルトに手を引かれてエドラが出てきた。

 ベルヘルトは顔は赤いが、どこか男らしく輝いて見え、エドラは俯きながらも恥ずかしそうに微笑んでいた。

「こんな、おばあさんを」

 と呟く彼女に、ベルヘルトは言葉をかぶせるように宣言した。

「あなたほど美しい女性はおらん!」

 周りからは、おおーっというどよめきが聞こえた。

 市場の中で繰り広げた騒ぎと、老人たちの恋模様にやんやの喝采が送られる。

「禍を転じて福となす、かあ」

「うん? 何か言ったかい?」

 ダニエルに聞かれたので、シウは言い直した。古代語ではないが、あまり使わない言葉らしいと最近知ったので。

「悪いことでもひっくり返したら幸福になるんだなって思って」

「ああ、なるほど。本当にね」

 それにしても、すごいなあと見回す。市場の人たちがどんどん集まってくる。

「これ、宴会になりそうな勢いですね……」

「そうだね」

 二人で顔を見合わせて、肩を竦めた。もう諦めることにしよう。今日は、たぶん、これで事件は終わりだ。

 護衛の人たちには大変だろうが、頑張って乗り切るしかない。

 幸いにしてシウは市場の人とも顔馴染みで、知り合いも多い。声を掛けたら、すぐさま場所を提供してくれた。



 結局その後、晩ご飯を兼ねての宴会が始まり、シウはエドラの屋敷に使いを出して執事たちにも来てもらった。

 なんだかもう、完全に結婚することが決まったような雰囲気になっており、それなら屋敷で帰りを待っている彼等も呼んだ方がいいだろうということになったのだ。

 ダニエルは人を使って、家人を呼び、更にそこからあちこちへと使いを出していた。

「こうしたことはね、事前に手を回しておかねばならないんだよ」

 ということらしい。

 クラフルも伯爵としてできることがあると、市場の見習いの子たちに小遣いを渡して家人を呼びに行かせたりしていた。子供たちは貴族から大金を渡されて、お祭り騒ぎだ。もちろん、きちんと仕事をこなしていた。

「反対されることもあるんですか?」

「そりゃあね。貴族同士の婚姻は難しいんだよ。家格もあるからね」

「えー。お互いに良い大人なのに」

「確かに。ご高齢だからね、今更自由にさせてほしいと、思うよね」

 だからこその手回しだよ、とダニエルが茶目っ気たっぷりにウインクした。

 では、シウもできることはしておこうかなと、伯爵家よりも上の立場は誰だろうと考えた。

「あ、そだ、いつでも遊びにきなさいって言ってた」

 思い付いたので、すぐに実行へ移すことにした。

 通信魔法を使うと、相手はびっくりしていたし不審そうではあったものの、シウの来訪を待っていると言ってくれた。

 明日はいろいろと忙しくなりそうだった。

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