225 お爺ちゃんのローマの休日
少し前にオスカリウス家経由でシウの元に手紙が届いた。
送り主はトマーゾ=バウマン準男爵。封蝋を切って中身を見ると、ベルヘルト第一級宮廷魔術師が王都を視察したいと申されている、と書かれてあった。
ようするに街に降りて遊びたいと我が儘を言っている、ということだ。
で、森の中で生徒を避難させて守った実績がありつつ、ここからが重要なのだが、ベルヘルトとまともな会話ができて対応もできるシウに、護衛という名の子守りを依頼したいというような、懇願に近い内容が書かれてあった。
老い先短い者の頼みを聞けないのかと当たり散らされるので、可哀想なの半分、うるさいからなんとかしたいのが半分で、周囲の人たちが話し合った結果シウに白羽の矢が立ったというわけだ。
考えれば子供の頃から外を知らずに生きてきた可哀想な人だし、それぐらいいいかと気楽に引き受けたのだが、先が思いやられるなあと苦笑した。
お付きとして一緒に出掛ける彼等の格好も、おかしいからだ。
「あのー。視察と銘打ってますけど、お忍びなんですよね? だったら、その格好はいくらなんでも」
シウが指摘するのも当然で、貴族も多い宮廷魔術師たちは、煌びやかな格好をしているのだ。
立襟のジャケットの縁取りが銀糸とか、庶民を舐めている。いや、王都の庶民街を舐めている。
「貴族街に行くんじゃないんですよ……ですよね?」
「これでもまだダメなんですか」
「どれだけ【ローマの休日】なんだ」
「え?」
「あ、独り言です。ええと、もう少し庶民街にも馴染む格好でお願いします。あー、ないなら、どこか、途中で服屋に入りましょうか?」
提案すると、皆が一斉に頷いた。
幸い、今回も護衛騎士としてダニエルが付いていたので、彼に声を掛ける。
「ダニエルさんはマントを外すんですね?」
騎士のマントはしているが、その下に着ている服は庶民風だった。とはいえ見るからに高価な仕立てでできていることは分かるけれど。
「馬車の中で脱ぐつもりだったんだが、これでもまだ目立つだろうか?」
「あー、まあ、西中地区まで行かないので、なんとかなると思います。たぶん」
「悪いね。いや、この話が出てから、皆、乗り気で」
「他の騎士さんもやたらと、わざとらしい格好してますもんね」
さすがに宮廷魔術師たちが外出するのに、騎士の護衛がいないのは難しく、五人が護衛として付いてくることになっていた。
「でも、冒険者の格好はいくらなんでも、おかしいですよ……」
どこの何を参考にしたのか分からないが、革鎧を付けて、シャツの胸元を大きく開けた騎士がいた。リアリティを出すためにか、わざと炭で汚した跡もあるが、何故そこにという場所で、おかしい。
面白いので黙っておくが。
シウの視線を読んで、ダニエルが目だけで訴えてくる。あれはおかしいの? と。
シウは黙って首を縦と横に、つまり曖昧に振った。
「ああ……なんと……」
「いいんじゃないでしょうか。あれはあれで。僕も王都に出てきて、毛皮の胴着を着ていたら、どこの山奥の猟師かと笑われましたから。そうした経験も必要ですよ」
「……君は本物の冒険者としてだろう? こっちは逆なんだけどな。ま、本人が楽しそうだから、いいか」
二人で小声で話をしていたら、とりあえず、不要過ぎるものを置いてきた人たちが集まった。
「じゃあ、一度お店に寄って、服を買って着替えてから、王都めぐりですね」
声を掛けると、皆がわくわくした顔をして笑う。
こういう顔をされるとシウも何も言えない。彼等のことは子供だと思って、接することに決めた。
用意された馬車にダメ出ししつつ、時間もないので貴族街を抜けてすぐの貸し馬車屋で馬車を交換したり、服屋では古着なんて着られないと騒ぐ大人を説教したりと、いろいろありはしたが、なんとか最初の目的地に到着した。
「おお! これが噂のコメを扱う店か」
「小さい店じゃのう」
「わたしたちでいっぱいになったが、良いのだろうか?」
口々に騒ぐ人たちを押し込んで、騎士たちには外を見張ってもらう。
「店は貸し切りにしました。でもお昼には忙しくなるから、早めに切り上げますよ! さ、メニューから選んでください」
ドランの店に連れてきたのだが、彼には誰が来るとは言っていなかったが大体のところは予想がついたらしく夫婦揃って顔が青い。
しかし、奥さんのリエーラの方が度胸があって、ふっと我に返ると、声を張り上げた。
「いらっしゃい! なんにしましょうか!」
「ああ、この、テンプラドンというのはなんだろうか」
質問されると詳しく説明していく。
店員たちもリエーラにつられて、動き始めた。そして次々と注文が入り、
「あんた、しっかりしなよ! さあ、作るよ!」
と背中を叩かれて、ドランもいつも通りになった。
ベルヘルトは説明を聞いて、年寄りでも食べられるものと聞いて天ぷら丼を頼んでいた。さくさくとした食感と、甘辛いタレに驚き、美味しい美味しいと全部平らげていた。
トマーゾはとんかつ定食で、パン粉の食感やカツの美味しさ、そしてソースに驚いていた。
クラフルは若いのに玉子焼きと魚の煮つけ定食にしていた。これはお年を召した人や女性向けだと思っていたのだが、本人は胃が弱いのでと言って、説明をちゃんと聞いてから選んでいた。こちらも好評だった。
トビアは竜田揚げ定食だ。唐揚げもあるが、こちらは片栗粉を使用しているので食感が違い、タルタルソースと甘酢タレの両方が添えられていてどっちも捨てがたいと悩みながら食べ比べていた。
護衛の人たちは基本的に交替で簡単に済ませるしかなく、可哀想なので天ムスを用意してもらってそれを配った。こちらも大変好評だった。
「ベルヘルト爺さん、野菜も食べないとダメですよ」
「む……」
「ここのは美味しいから。新鮮なものを使っているし、サラダのドレッシングも美味しいんだよ。それを食べるつもりで、野菜を食べてみようよ」
「……そこまで言うなら、食べてやらんでもない」
偉そうな言い方をしているが、その目には涙が滲んでいる。
良い歳をしたお爺さんが野菜を嫌々口に入れて咀嚼しているのは、如何なものかと思うのだが、このへんシウも頑固なので強引に食べさせた。
「……む? 青臭く、ない」
「でしょ。あと、この野菜ジュースを飲んでみて」
「……ん。何故じゃ。まずくない」
「まずくないっていうか、美味しいですね。何故、美味しいんだろう」
クラフルが不思議そうな顔をしてサービスで出てきた野菜ジュースを飲み干した。
ドランが真面目な顔で説明を始めてくれた。
「シウが考えたんです。野菜嫌いの人にも食べさせる方法ってやつで、果物を混ぜてるんですよ。もちろん、全部旬のもの、美味しいものばかりでね。ただ苦味の美味しさに慣れてない人は、美味しいとは思えない。だから打ち消すためにハーブを入れたり、果物を入れて緩和させるんですな」
「へえ」
「野菜や果物の持つ栄養素を壊さないためにも、飲む直前に作ってます。その新鮮さも美味しさの秘訣だと思いますよ」
なるほど、と皆が頷いた。
「サラダもドレッシングが美味しいので食べやすいのかと思ったが、確かに普段食べている野菜とは違う味がした。なんというのか、甘いな」
トビアが言うと、ドランは嬉しそうに破顔した。
「野菜でも肉でもそうですが、食べ頃っていうのがあるんですよ。野菜は鮮度が大事だし、処理の仕方でも変わってくる。甘いのは、野菜本来の味が出せたってことで、そう言ってもらえると嬉しいです」
「そうか。……今まで何も考えずに食べていたが、美味しいものを食べると良い気持ちになる。面白いものだ」
「庶民は贅沢なのだな。こんな美味しいものを普通に食べられているのだから」
羨ましそうな顔をしてトマーゾが言い、ベルヘルトも頷いていた。
時間も迫ってきていたので、話はそこで終わりにし、シウはドランたちに謝って店を出た。
外には開店待ちの人が少し並んでいたので、シウは頭を下げた。
何故かベルヘルトたちも頭を下げて馬車まで戻っていた。
その後、馬車を王都の正門前広場に向かわせてぐるりと一周させたり、近くの騎獣屋へ連れて行ったりした。
フェレスを見て可愛いと騒ぐぐらいだから騎獣が好きなのだと思ったからだ。
案の定、ベルヘルトとクラフルが大騒ぎだった。
特にドラコエクウスが人気で、追いかけまわそうとしてリコラに怒られていた。
ここに来るとフェレスも大騒ぎするので、騎獣屋はてんやわんやになっていた。
後でお詫びの品を持って行こうと、今は心の中で謝るだけに留めた。
更に、冒険者ギルドを見てみたいと言い出したので、連れて行く。
これは騎士の一人が言い出したことで、それに乗ったのはベルヘルトだ。他の面々はさすがに引いていたけれど、ベルヘルトが言い出したら止まらないのは周知の事実で、仕方なく連れて行った。
シウが引率して中に入り、掲示板の説明などをしていたらクロエがやってきた。
「あの、これは?」
と困惑げに聞くのでシウも素直に答えた。
「世間知らずの、あー、上の世界の人たちを、案内して回ってます」
「まあ……」
驚きを隠しつつ、事情を悟ってクロエは同情めいた視線を送ってくる。
「良ければ、お手伝いしましょうか? 少し、説明したら納得されるのではないかしら」
「……クロエさんが神様に見えます。お願いします」
「いやあね、大袈裟な。じゃ、皆さん、こちらへどうぞ」
と奥にある喫茶コーナーに連れて行ってくれた。
そこで即席の、冒険者ギルドについての講習会をしてくれたのだ。昼を過ぎていたので他に人があまりいなかったことも幸いして、大人たちの臨時講習会は問題もなく過ぎて行った。
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