206 国と国との事情




 幸い、キリクの後ろから走って追いついてきたイェルドが、慌ててキリクを止めてくれた。

 そのまま連れて行ったのでホッとしていたら、シリルとレベッカが代わりとしてやってきた。良かった、一番まともな人たちだ、と安心していたのだが。

「昨夜、すでにスルスト殿下とはお話が付いております。大会中に飛竜を王城から飛ばすと騒ぎになるということで、我がオスカリウス家から私用で繰り出す、その代わりに当家の客分であるシウ=アクィラ様には手出し無用と。お聞きしておりませんか」

「あ、いえ、それは伺っております。しかしながら全体像を把握するためにも、シウ殿の客観的なご意見が頂戴したかったのです」

「そのような態度には見えませんでしたが?」

 じっとりとした視線でヘルネを見下ろしている。

 そう、シリルはその身分にないからといって立ったままなのだ。しかしそれは、相手を見下せる位置ともなる。

 イェルドよりも怖かった。

「ヘルネは、まだ隊長になって日も浅く、事情をよく、分かっておりません。ご気分を害されたこと、誠に申し訳ありません」

「わたくしではなく、シウ様にお願いいたします」

「あ、いえ、あの、ゲーラさんに謝ってもらうことでは、ないので……」

 そのやりとりの最中もヘルネは謝るどころか、態度を硬化させたままだった。

 拳を握って太腿の上で震わせている。顔が、どう見ても怒りを堪えてる風だ。

「……このようにまで仰ってくださっておりますのに、どうやら御同輩の方は違うご意見のようでございます。本日はお引き取りを。後日、当家から報告書を上げさせていただきます。また明日、王城のパーティーに主が参りますので、その際にお話もありましょう。それまでお待ちください」

「では、どうぞ、皆様」

 お帰りはこちらですと、レベッカが手で示す。この二人はどこかで打ち合わせでもしたのか、阿吽の呼吸だ。

 すごいなあと感心していたら、ゲーラが慌てて立ち上がり、また頭を下げて謝ると、補佐官たちを連れて出て行った。

 遅れてヘルネも出ていく。謝ることはしなかったけれど、もう理不尽に怒っているような態度ではなかった。まあ、単純にさっさとこんなところから出て行きたい、という風には見えたけれど。

 呆気なく終わったのでホッとしていたら、シウはシリルにこってりと絞られた。

「まず、一人で応対するとは何事ですか。待たせておけば良いのです」

「はあ」

「こちらが上だということをはっきり示さなければなりません。あのような態度ですから、舐められるのです」

「はい……」

「ましてや、シウ殿は此度の王子救出の功労者なのですよ! 分かっているのですか」

「はあ……は?」

「なんですか、その気の抜けた顔は。シウ殿、あなたはしっかりしているかと思えば、どこか抜けておりますね。研究者に多い性質です。そういった者には秘書が必要なのですが、どなたか支えてくださる方はいないのですか? なんでしたらレベッカを」

「いえ、いいえ! 要りません」

「そんな。そこまで否定しなくても……」

 レベッカが泣き真似をしたので、シウもようやく伸ばした背を、ふっと緩めた。

「シリル様の方がほんとは怖いのよ」

 と、レベッカが小声で囁く。

 本当だ。イェルドの嫌味なんて可愛い方だった。あと、キリクの豪放さもまだましだ。

「とにかく、功労者に対する態度ではございません。もう相手になさらずともよろしいですから、あとはこちらにお任せください」

「はい。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げたら、そこでようやくシリルは笑ったのだった。


 シリルとレベッカと共に、晩ご飯は宿で頂いた。そこで簡単な説明を受ける。

「もともとデルフの王族や貴族たちとの会合を含めた休暇でしたので、わたしとしては構いませんが、キリク様が拗ねておしまいになられて今日は困りました」

「あはは」

「笑いごとじゃないのよ。今日から本戦なので観戦したかったと、それはもう大騒ぎだったんだから」

 レベッカが肩を竦めた。それから、あら美味しい、と食事に目を向ける。

 シリルも、美味しいですねえと頷いた。

 厨房では早速、新たな試みをしているようだ。シウも、新メニューに舌鼓を打った。

「そうしたわけで、昨夜の騒ぎの後始末が長引いてしまったので、キリク様もあのような態度になったのでしょうね。イェルドが連れて行ってくれて助かりました。せっかく貸しを作った状態なのに、ここで問題を起こせば貸し借り無しとされてしまいます」

「はあ」

「いやあ、シウ殿の引きの強さには感心してしまいますが、おかげさまで一発逆転でした。昨夜、連絡があってからは本当に目まぐるしく動きましたが、なんとかなりそうです」

「ええと?」

「詳しくはご説明できないのですが、お忍びでハンス王子が参っております。昨年、国境付近で小競り合いがありまして、紛争後調整が難航していたのです。この度、最終的な合意に向けて会談が行われることになりましたが、その後ろ盾として休暇を利用してキリク様が付いてきたと、そういうわけです」

「あー。政治の話ですか」

 いろいろあったらしい。キリクとしては闘技大会がメインだったけれど、そうもいかない事情が待っていたというわけだ。

 鬱憤が溜まっているだろうなと同情してしまう。

「……でもそれじゃあ、逆に僕の行動が疑われることになりませんでしたか?」

「ええ、そういう話も少しは出ましたね。ですが、狙われる理由がはっきりとしていましたから」

「スヴェルダ王子に?」

「ええ。ただ、王子というよりは、彼の持つ聖獣に、ですが」

「プリュム? モノケロースの?」

「はい」

 頷いて、彼はフォークを置いた。シリルは喋りながらなのに、食べるのが早かった。秘書などやっていると早食いになるのだろうか。レベッカももう食べ終わりそうだ。

「有名な、盗賊団だったようです。希少獣の中でも、特に上位種ばかりを狙う盗賊団で、聖獣も独自のルートで売りさばいていたとか。今回はまだ生まれたばかりの聖獣を持った、しかも力のない第三子の王子ですからね。護衛として付いていた者も空挺団とは名ばかりの見習いが多かったようです」

「……もしかして内部に手引きした者がいたりして」

「さすがでございますね。キリク様もそのように仰っておりました」

「あ、だからか」

 食後のお酒入り紅茶を飲みながら、シリルが大きく頷いた。

「はい。ですから彼等はあのようにピリピリとしていたわけです。特にヘルネという男は第三隊隊長ですから、自身も取り調べを受けているでしょうしね」

「八つ当たりね、完全に」

 レベッカも香茶に手を伸ばした。シウはまだ食べている最中だったので、慌てて残りを平らげようとしたら、シリルが手で制した。

「ごゆっくり。わたくしどもは慣れておりますので、いえ、むしろ不調法でございました。申し訳ありません。シウ殿はそのままお楽しみになられてください。レベッカを残しておきますので、いかようにもお使いください。わたしはイェルドを助けに参るとしましょう。お食事中に失礼いたします」

 頭を下げて、さっと紳士らしく立ち去って行った。食事の際に同席している途中で抜け出すのはマナー違反なのだが、あまりにスマートすぎて気付きもしなかった。

 シリルの食べ方も、早食いだったのにとても美しかった。面白い特技だなあと思いつつ、シウは残りの料理に目をやった。

 ジャガイモを潰して生地にしたものに、とろとろになるまで薄味で煮込んだ玉ねぎを乗せて、その上にチーズを乗せてからオーブンで焼いたものは、最高に美味しかった。



 食後、レベッカに断ってキアヒたちと合流するべく宿を出た。

 付いて行くわよと言われたが、女性を夜に連れまわすのはよろしくないし、フェレスもいるから大丈夫だと言い張って出てきた。

 行きつけとなった居酒屋の個室では、すでにキアヒたちが出来上がっていた。

「おー、遅かったな! 何か頼むか」

「じゃあ飲み物を。食事は宿で摂ってきたから」

 言いつつ、皆を見回した。なんとも言い難い様相を呈していた。

「……グラディウスはあれは、酔ってるの?」

 アグリコラも合流しているのだが、二人の間にトニトルスがあって、お互いが剣に向かって喋っている。

「お前の力を引き出せずに申し訳なかった」

「わしがもうちっと、鍛えてやればよかっただす」

 と、剣に、喋っているのだ。

「すごい世界が出来上がってるだろ。リグやレオンは呆れて早々に離れてるよ」

「キルヒも、ちょっと酔ってるね?」

 顔色は全く変わらないのに、シウの肩にもたれかかってきている。

「重い重い」

 と文句を言っていたら、フェレスが前足でトンと押して退けてくれた。その空いたところにぐいぐい頭を押し込んで、とうとう椅子に座ってしまった。

「やだー、フェレスちゃん、可愛い!」

 アグリコラの隣に座っていたラエティティアが指を差してころころと笑った。こちらも顔色は変わっていないが、酔っている。きゃあきゃあと腕を上げ下げして小さな子供みたいな真似をしていた。普段の彼女ならやりそうにない行動だ。

 その横ではレオンが彼女の介抱をしている。

 養護施設で下の子の面倒も見ているからか、案外様になっていた。

 リグドールはキアヒと真剣な顔で話し合っていたが、内容はくだらなかった。

「いや、俺はやっぱり胸だと思うんだ。胸がこう形よくほどほどに大きくないと、いけない。男はそこにこだわりを見せないとな」

「そんなこと言うけど、好きになったら大きさは関係ないよ。それに俺は首の綺麗な人の方が良いと思うけど。母さんも、首の手入れはものすごく気を遣っていたし、兄にも女の子を見る時は首を見なさいって、言ってたよ」

「そりゃあ、年増を見分ける方法だっての。お前の母ちゃん、兄貴が年上の女に引っかからないよう注意してくれたんだよ」

「そうなんだ? でも、どこをどうやって見分けるんだろ」

「それはな」

 なかなかにカオスな状況だった。

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