175 救出した二等兵
シウは腹が立っていた。自分自身に一番だ。ラーシュを選んだのはシウで、彼が小突かれていたところも見ていた。今回のきっかけを作ったのはシウでもある。
ただ後悔ばかりでは何も始まらない。シウは兵の一人に伝言を頼んだ。
「ラーシュは僕が引き取ります。ちゃんと調査して他に膿がないか、安全なのか分かるまでは僕がきっちり守って治します」
「わたしたちだって憤りはありますが、軍がそれを許すかどうかは……」
彼等が困惑するのも分かる。けれど、信用できないのだ。
「パヴェル大佐は『雲の上の存在』でしょう。そんな人が関わっているなら、他にも賛同者がいるはずです。命じられていなくても『大佐のためを思って』勝手に動き、取り返しのつかないことになったら、僕は自分がここで諦めたことを一生後悔します」
シウの言葉を聞いて、同調してくれたのはクレメンスだった。
「俺は、君に助けてもらいたい。戦場でのシウ君しか知らないけど、信頼できる人だと思った。だからラーシュも傍にいたんだと思う。こいつを任せられるのは、この師団の誰でもなく、シウ君だけだ。頼む。俺からも、お願いしたい」
クレメンスだって立場は弱いのに、部下を守ろうと必死に頭を下げる。憲兵たちは複雑な気持ちだったろうに、やがて頷いてくれた。
「掛け合ってみる。いや、このまま連れていこう。反対される前に連れ出した方がいい。そうだ、高等治療を受けさせるためと言って――」
「そんなことしなくても、堂々と連れ出せばいい」
皆が振り返ると、キリクが立っていた。後ろには苦々しい顔のエラルドだ。
「被害者からの証言が聞けるかもしれないと思って来てみたら、なんてことだ」
エラルドはチラッとクレメンスを見て、目を瞑った。
「自分の団を信じられないという意見まで飛び出る。そんなことを言わせてしまうとはな。パヴェルのような腐り切った人間がいることに、気付かなかった自分が情けない」
「まあまあ。押し込まれた人事だったんでしょう? 前から目を付けていたと言っていたじゃないですか、ほら」
慰めるようにキリクが口にしたのは、ここにいる者に聞かせるためだろう。エラルドはそれに気付いたようだが、いやと首を振った。
「事を起こされてしまった以上は後出しだ。このような事態となる前に尻尾を掴むべきだった。国から預かった大切な命を、このような目に遭わせたのはわたしの不徳の致すところだ。今更信じてほしいとは言えない。これから頑張るしかない。シウ殿よ」
「はい」
「ラーシュ二等兵を頼む」
と、きっちり頭を下げた。部下のいる前で示してみせたのは、相応の覚悟を表しているからだ。シウは「承知しました」と返し、更に馬車の手配を頼んだ。待っている間に「調査をするのなら」と、必要事項を伝える。
「ラーシュには『防御』を付与した魔道具のピンを渡していました。服に付けるようにと。でも、今は持っていない。もし付けていれば、怪我もひどくならなかったと思います」
「盗られたのかもしれん」
「はい。ラーシュは魔獣の討伐経験がないと言ってました。怖いだろうし、魔獣に慣れてないなら塊射機を取り落とすことだって有り得る。だからと、渡したんです」
「そこまでしてくれていたのに」
肩を落とすエラルドに、シウだって同じだと零した。
「僕は塊射機を貸したことを後悔しています。ああいった場だったから譲渡が可能な権限にしていた。でもまさか、譲渡を強要されるとは思ってなかった。僕が浅はかでした」
キリクとエラルドがこちらを向いた。クレメンスもだ。
「シウ、それは違う。大体、それを言うなら、俺が貸してくれと頼んだからだ」
「そうだ。武器は、あの武器がなければ魔獣の侵攻をこれほど早く留められたか分からない。王都が魔獣に飲まれていたかもしれないのだ」
キリクとエラルドが交互に話す。慰められていることに気付いて、シウは顔を伏せた。
「……結果論ですよね。分かってるんです、僕も。ですから、これはただの愚痴です。ごめんなさい、子供みたいに」
「いや、わたしの方こそ、すまんかった」
その場がしんみりしてしまい、シウはもう一度後悔することになった。
フェレスが慰めようと必死でシウの手を舐めてくれたので、少しだけ気持ちが浮上できた。クレメンスも、その姿を見て癒されたようだった。
ラーシュの面倒は、シウが自分で診るために家へ連れ帰ると言ったのだが、キリクに反対された。それはイェルドも同じ意見で、結局馬車はオスカリウス邸へと進んだ。
万が一、ラーシュを狙う者がいたら、シウのみならずベリウス家にも迷惑がかかると言われて、それもそうだと諦めた。どれほど鉄壁の防御を施していたって、襲われる可能性はある。
シウだけならばなんとでもなるが、付きっ切りでエミナやスタン爺さんを見ているわけにはいかない。その度に転移していたらいずれ、能力のこともばれるだろう。
今回のように防御の付与をしたピンを渡していても、こんなことになったのだから、避けられる危険は避けるべきだとシウも納得した。
それに、オスカリウス邸ならば、それこそ鉄壁の守りで侵入者を受け付けない。
「では、毎日来ますので、よろしくお願いします。お手数かけてすみません」
と頭を下げたら、それはこっちの台詞だと、キリクに返された。
キリクはキリクで、塊射機関連のごたごたを申し訳なく思っているようだった。
更に、ラーシュやクレメンスのことは、キリク以上にイェルドが怒り狂っていて、軍にメスを入れるよう、あちこちに働きかけるといって手の指を蜘蛛のように動かしていた。
正直、その姿は怖かった。
ソッと視線を外して、見なかったことにしたほどだ。
ラーシュには、プロフィシバを使った上級薬を、聖水で薄めて飲ませた。
それから、毎日体を魔素水で拭いた。コルディス湖で取ってきた水だ。ただし魔素酔いするといけないのでこちらも薄めている。
治癒魔法というのは怪我でも病気でも治すと言われているが、現状の回復であって古い傷や、進行した病気には効かない。外科的治療と合わせて行えば治るだろうが、病気は難しかった。
ラーシュの場合は、古い傷が元で、骨の付き方がおかしかったり、臓腑が痛んでいる箇所があった。こちらは徐々に治していくしかない。
骨は、本当はもう一度そこを折って形を整えてから治癒するといいのだが、体力や精神力が回復するのを待つしかない。痛みはもちろん押さえてやるけれど、どうしたって違和感はあるのだ。
これは本職の人との相談でやるのが良いだろう。
あとは鞭などによる深い傷だ。怪我は治っても、傷跡は残っているし、前々からの暴行の跡もひどい。
これらを魔素水で拭くことによって皮膚を活性化させる。
刺激を与えることが皮膚にも体にも良いので、毎日ごしごしと強めに拭くことにした。その後に特製のクリームを塗って保湿すると完璧だ。
正気付いてからのラーシュは、驚きつつも助かった喜びに涙を零していた。
それから助け出されてからの今の状況に、目を丸くしていた。本当にここにいてもいいのか、自分なんかがと言い出すので、イェルドと二人がかりで説得した。
キリクが出てくると大袈裟になってそれこそラーシュが気絶してしまうかもしれないので、彼には顔を出さないよう言い渡している。
朴訥として柔らかい人当たりのラーシュを、デジレたちもすぐ好きになったようだ。
シウが面倒を見られない昼間はデジレを中心に、ラーシュが一人にならないよう誰かが付いていてくれた。
その週の終わり、学校の休みでもある風の日は、冒険者ギルドの仕事を早めに切り上げてオスカリウス邸へと向かった。
ラーシュがベッドから起き上がれるようになったからだ。
体力が落ち、ガリガリだった体も少しだけふっくらとしてきた。
気力も戻り、おどおどすることもなくなってきている。
といっても元々おとなしくて、周囲に気を遣うタイプらしく、緊張しいなのは変わっていない。
「こんにちは。あ、起きたんだね」
まだベッドから起き上がって、ソファまでの数歩しか歩けないが、削ぎ落ちた筋肉からすると進歩だった。
ソファから立ち上がろうとするので、座って座ってと手で押し留めて、中に入る。フェレスも一緒で、ラーシュの目が柔らかくなった。ラーシュもまた騎獣が気になるらしく、治療の後はフェレスを撫でるのが日課になっていた。
「今日もお菓子を持ってきたんだ」
「あ、いつもすみませ、じゃなかった、ありがとう」
「どういたしまして」
このやりとりも何度かしている。そうこうしているうちにメイドたちが集まってきた。
「あっ、今日は早かったんですね。学校、サボっちゃったんですか?」
「何を言ってるの。今日は学校が休みの日よ。さてはあなた、授業をサボったことがあるわね?」
などと、きゃあきゃあ言いながらそれぞれに椅子を持ちこんで座ってしまった。こんなに騒がしいとラーシュの気に障らないだろうかと思うが、彼は大勢のメイドたちに囲まれて恐縮するだけだった。
「シウ様、今日もご相伴に与ります!」
ラーシュだけだと遠慮するし、たくさん食べてもらいたくて手伝いのメイドにお菓子を分けていたら、いつの間にか人が集まるようになってしまっていた。
その間、手が足りなくなるところをデジレなどが補っているそうで、今もここにはいない。
苦笑しつつ、本日のおやつのクリーム大福を出した。ちゃんとしたもち米が手に入ってからは、シウの中で餅フィーバーが来ており、餅菓子がたくさんできた。ただし、餅は人気があったのに、あんこは賛否両論で、特に女性からの人気がイマイチだった。なので、こうした時に味見をしてもらうのがちょうど良い。
今回は女性受けを狙ってあんこの中にクリームを入れてみた。ドキドキしつつ評を待つ。ちなみに、ラーシュはどんな食べ物でも文句を言ったことはない。いつも美味しいと言って、心底から喜んでくれた。軍の食べ物を思い出すと、さもありなんと思ってしまったものだ。
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