176 ラーシュのやる気




 品評会が終わると、あっという間にメイド達は部屋から出て行った。その間に、治療に必要な道具は揃えられており、彼女達の優秀さが窺える。

「今日も美味しかったです、あ、美味しかった、よ?」

 お互いに敬語はやめようと言っているのだが、どうしても軍隊暮らしの矯正で出てしまうようだ。シウも昔の言葉が不意に出てくるので、気持ちは分かる。こうしたものは、なかなか治らないものだ。

「メイドさん達も喜んでたね。最近、あんこがあまりに評判悪いんで、落ち込んでたんだ。良かった」

「シウは、なんでもできるね」

「山育ちだからね。爺様と二人きりだったから、なんでも自分達でやらないと生きていけなかったし。それに、たぶん、残していくことを考えて仕込んでくれたんだと思う。険しい山だったから」

「……僕は、近くの村で生まれ育ったんだ。畑を耕して、一生過ごすんだと思ってたんだけど」

「どうして軍に入ったの?」

 体を拭きながら聞く。最初はこうしたことも、恥ずかしがったり申し訳ないと言って遠慮していたラーシュも、今では身を任せてくれていた。

 食事だけでは追い付かない脂肪を増やすため、せっせとお菓子を食べさせているせいか、少し柔らかくなってきた。

 それでもまだまだ圧倒的に肉が足りない。

「父さんが病気で死んでしまって。畑仕事だけだと食べていけないし、元々王都に出稼ぎに行かなきゃって話し合っていたから。成人してすぐだったから、軍に入るのが安心だろうって村長に言われて、来たんだよ」

「そうだったんだ。でも、どうして他の職じゃなくて、軍だったの」

「僕みたいな弱虫は、冒険者になるには無理があるし、学もないから商家にも雇ってもらえないだろうって。それなら大勢いる軍の方が安心だって。そこだといろいろ教えてもらえるって聞いてたし」

「……勉強とか?」

「うん。でも、毎日忙しくて、勉強なんてできなかったよ」

 軍に入れば食いっぱぐれはないだろうが、下っ端はやることが多すぎて大変だ。

 朝から晩まで休む暇もなく、あれこれと雑用が待っている。それに、戦闘訓練だって必要だ。よくも三年近く頑張ったものだと思う。シウならとっとと逃げているところだ。

「大変だったんだね」

「でも、お金は仕送りできていたし、お腹いっぱいとは言えないけど、毎食食べさせてもらえたし」

 そんなのは普通のことだ。

 けれど、村暮らしで貧乏だったら、それさえ有り難いと思うのだろう。

「ラーシュ、体が治ったらどうしたい? 軍に戻りたいって思う?」

「……うん。僕でもできる仕事だから」

「そっかあ」

 ラーシュにやる気があるなら勉強を教えてあげようかと思ったのだが、親切の押し売りのような気がして言い出せずにいると、同じく考え込んでいたラーシュが口を開いた。

「あの」

 言い淀みながら、シウを見た。

「……あの、教えてほしいことがあって」

「うん。なに?」

「どうして、その、どうして自分だったのかなって思って」

 体を拭き終わり、寝間着を着せてあげてから、布団を足元に掛けた。

 ラーシュは寝間着の裾をもじもじと握ったりしながら、視線を落とす。

「僕は、臆病だし、上官からも仲間を殺す気かって言われるほど鈍くさくて、とてもあんなすごい魔道具を扱えるとは思ってなかったんだ。だから、どうしてなのかなって」

 最後まで言い切った、という感じで、言い終わった後にホッと息を吐いてラーシュは顔を上げた。それからシウを見た。

 シウが何ともいえない顔をしていたのに、その時気付いたようだった。ラーシュは慌てて手を振った。

「違うんだ、恨んでるとか、そういう意味で聞いたんじゃないんだ」

「……うん。分かってる。ただ、僕が勝手に思い出して、勝手に後悔していただけなんだ。みんな、ラーシュも、今回のことは塊射機のせいじゃないって言う。だけど、僕だけは、誰が言わなくても僕だけは、ずっと考えていなきゃいけないことだから。ごめんね、気を遣わせちゃったね」

「ううん、その、僕の方こそ」

「あのね」

「あ、はい!」

 シウが身を乗り出して真剣な顔をしたので、ラーシュが慌てて居住まいを正し、視線をきちんと合わせて見つめてきた。

 ラーシュにはそうしたところがある。芯が通っているのだ。

「最低限、体の軸がぶれていない、目の良い人だったら、誰でも良かったんだ」

「え、そうだったの」

 ぽかんとするラーシュに、苦笑しつつ付け加えた。

「でももっと大事なことがあって。人間性かな」

「人間性……」

「ね、魔獣を解体したことある?」

「ううん。野兎しか、捌いたことがない」

「最初、どう思った? 僕は怖かった。血とか、気持ち悪いって思ったし、断末魔の声が呪いの言葉みたいで怖かったんだ」

「……うん。僕も。震えながら、父さんに指導されて、捌いた」

 シウはまだ三歳ぐらいだったと思う。飛兎を仕留めた爺様が、いつも見ているんだからできるだろうとナイフを渡してきた。今思えば小さな子供用のナイフだが、あの頃は切れ味鋭い大きなナイフが怖かった。

「臆病な人、人に優しい人、そして軸がぶれない人。それぐらいで良かったんだ」

「それだけ……?」

「たったそれだけなのに、あの場に集まった人の中で三十人しかいなかったんだよ。すごいよね」

「あ、うん。でも、本当にそれで良かったの? だって、武器を扱うのに」

「だからこそだよ。臆病な人じゃないと、丁寧に扱わないでしょう」

「あっ」

「臆病だと慎重になるから、行動も的確になる。怖がりの人だと乱射するかもしれないし、そうした人は残弾を計算しないからダメだよね」

「うん。僕も、残弾は常に計算していた。クレメンス伍長も気を付けていたよ、そういえば」

 ラーシュは思い出しながら、ふと、笑顔になった。

「他の人の残弾も気にして、シウのテントに行った時は弾倉の弾詰めも率先してやってたね、伍長」

「うん。そういうのが、大事なんだよね。人に優しいって、ところ」

「クレメンス伍長はいつも、下の立場の子を気にしてくれてたよ」

「そういう優しい人はね、銃口を人に向けたりはしないんだよ」

 ヴェンデル大尉のことを思い出して、口にした。彼は安全装置を外して、銃口を向けていた。いつだって撃つ気でいたのだ。

「体の軸がぶれない人も、心、芯が通っている人が多いんだ。どんな武器を使っても、それは大事な要素のひとつだね。それぐらいだよ。しっかりと目標を見定めることができるなら問題ないだろうね。見ることができるなら、指先で敵を指し示すことが可能だ。それはつまり、引き金を引いてそのまま当てられるってことだから」

「うん。最初は戸惑ったけど、確かに、目で見て放てるのはすごくやり易かった。魔獣を倒せた時は本当に嬉しかった。これで僕も役に立てる、仲間を殺す気かって怒られない、むしろ助けることができるんだって思ったら」

 目を輝かせて、それからふっと、我に返ったように小さく、呟いた。

「嬉しかった。だから――」

 そのまま小さく続ける。

「恨んでない。むしろ、僕は、僕にできることがあるって分かって、嬉しかった。大尉に取り上げられた時は悔しくて、悲しかったけど」

「ヴェンデル大尉が直接奪ったんだ?」

「うん。お前なんかが持つなど許されないって。相応しい持ち手は自分だから、渡すようにと。他にもいろいろ言われて、大佐の指示だとか、だからつい受け答えに応じてしまって。それがまさか『譲渡』になるなんて思ってなかったんだ。そんなことも知らなかった……」

 ヴェンデルはとことん、嫌な人間だった。彼を選出しなくて本当に良かった。

 しかし、譲渡してしまったから、使用者権限も移ったのだとこれで分かった。今後はもっと慎重に運用しないといけない。あまりがちがちに権限を付けてもいけないし、難しいところだ。

「僕、もしシウにもう一度会えるなら謝ろうって、ずっと思ってたんだ」

「何を?」

「塊射機を貸してもらえたのに、ちゃんと返せなくて。僕がもう少ししっかりしてたら、渡さずに済んだのに。怖くて、渡してしまった」

 澄んだ瞳で言うものだから、余計にヴェンデルとの対比が大きくなる。

「抵抗しなくて良かったよ」

「え?」

「君が弱くて、簡単に奪えたから、間に合ったんだ。ギリギリのところだったけれど、ラーシュを助けることができた。もしラーシュが強くてさ、抵抗してたりしたら、あっさり殺されていたと思う」

「あ、そっか。そう、だね」

「ラーシュは、ラーシュだから良かったんだ。弱虫だとか、お前なんかって言われたことは、捨ててしまえばいい。少なくとも僕は、ラーシュが塊射機を使ったことは正解だったと思ってるし、これからだって使いこなせるのはラーシュだと思ってる」

「……僕にまた、貸してもらえるのかな? 僕はまた使っても良いのかな?」

「君みたいな人に使ってもらいたくて、作ったようなものだもの。これからのこと、ゆっくり考えてみて。時間はいっぱいあるんだから、軍に戻ることだけじゃなくて、他の可能性についても考えてみて」

 ラーシュは、今までで一番の良い笑顔で頷いてくれた。


 その後、イェルドからも将来について提示され、ラーシュは塊射機を使える職場を模索することにしたようだ。

 しばらくは体を治すことに専念しないといけないが、リハビリがてらに塊射機を渡しておく。練習用の弾も渡したら、次の日には部屋の壁に的ができており、早速練習しているようだった。

 人とは不思議なもので、心が安定したら見る見るうちに体も回復していく。

 毎日、体を拭いているとそれがよく分かる。気持ちひとつで、体まで変わる。


 シウには、まだまだ分からないことだらけだということも、よく分かった出来事だった。

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