165 招待状と報告と
キリクがふぁーっと大きな欠伸をするのを横目に、シウはイェルドから招待状を渡された。最高級の、手触りの良いしっかりとした紙に、黄金の箔でシュタイバーン国の紋が押されている。更には封蝋がされており、見たことのない紋が描かれている。
脳内の貴族名鑑を検索していくと、紋章一覧にヒットした。
「ボレリウス伯爵家?」
「……すごいですね、これを、覚えているのですか? 我が国の紋章だけでもかなりのものとなりますが」
「記憶の鬼でも覚えたくないと辟易していた、あの紋章をか?」
「あ、いえ、えっと、どこかで見たような気がして」
誤魔化したら、キリクが半眼になった。が、杞憂だった。
「マルクス=ボレリウスはあっちこっちで余計なことをしてるのか。シウのような子供にまで覚えられるとは、ろくなもんじゃないぞ。そのうち、大臣罷免だな!」
「キリク様。人払いもしないうちに、そのようなことを仰ってはなりません」
「あ、いえ、わたしどもは何も聞いておりません。何も聞いておりませんとも!」
貝のように黙っていた学院長のバスケスが慌てて口を挟んでいた。ドロネクは精神が飛んでいるようだ。明後日の方向を見ている。
「ええと、開けても良いんですか?」
「むしろ開けてくれ。一応、確認しておきたい。まさか嫁苛めのようなことはしていないと思いたいが」
「はあ」
「知らないのか? どの貴族の家でも嫁と姑はいろいろあるそうだ。庶民よりもずっと泥沼で、陰湿で気持ち悪いのが貴族の世界だな。祝賀パーティーなんぞ、暗澹たるものさ。あー、行きたくない!」
「……僕だって我慢して行くのに」
思わず唇が尖がってしまった。キリクは伸びをして笑うだけだ。
仕方なく、封を開けて中身を見る。
「金の日の夜って、明後日? 随分と急なんですね」
「一昨日には決まっていたそうだが、いろいろ、難航してな。庶民を呼びたくない一派もいるんだ」
「そちらを応援したかったですね」
「俺もシウに一票」
「キリク様。いい加減になさいませ。では、中身を拝見させていただきます。……特に問題はないようです。当日は昼過ぎにお迎えに上がりますので、ご自宅で、よろしいでしょうか?」
「あー、着替えってどこでやるんでしょう? そういえばブロスフェルト伯爵が貸してくれるって言ってた服は、どうやって借りに行けばいいんだろ。それによりますね」
「俺の家に送ってくるだろう。そこで着替えたら良い。俺と一緒の馬車で行けば簡単だ」
「だったら、直接お家に伺います。昼ご飯を食べてからお邪魔しますね」
「……おうち。なんかこう、新鮮な響きだ」
「お屋敷って言い直しましょうか?」
「……イェルド、お前、変な教育してないだろうな? シウが何故か段々お前に似てくるんだが」
「キリク様、あなたがだらしないからです。もう少ししっかりとなさってください」
まったく、と溜息を零して、イェルドは招待状をシウに返してくれた。
「礼儀作法はさほど気にされなくても大丈夫でしょう。先ほど学院長にも伺いましたが、すでに上級クラスで学んでいるとか。それに多少の失敗はご愛嬌です。子供らしくて良いと思いますから、敢えて挑戦してもよろしいかもしれませんね」
「……イェルドさんでも冗談を言うんですね」
「おや」
片眉を上げて、ちょっと楽しげだ。楽しそうな顔はしていないが、そんな空気が漂っている。
「シウ、お前イェルドの顔色が読めるのか? すごいな。俺は未だに無理だ」
「腹芸がお得意ではございませんからね。では、我々もこれでお暇致します。さ、キリク様、まだまだ予定が詰まっております。こちらで充分休憩できましたでしょう? 参りますよ」
「へーい」
と、親から引き離されて農家に引かれていく子牛のように、キリクは去って行った。
残されたシウは、まだ呆然としているドロネクに憐れな視線を一瞬だけ向けて、バスケスに向かいなおし、頭を下げた。
「お騒がせしました。じゃあ、授業があるので戻ります」
失礼しますと言って部屋を出たけれど、中の様子は暫く変わりなかったようだ。
教室へ戻るとクラスメイトのほとんどが集まってきて、興味津々で質問された。
そのひとつひとつに答えていたら、同じようにひとつひとつに助言が飛び交う。
「その場合は、ブロスフェルト伯爵とお呼びすべきだよ」
だとか、
「後ろ盾の一位はオスカリウス辺境伯として、その後ろにも幾重に連なるだろうけど、順番というものを貴族はとても大事にするからね。気を付けるんだ」
などである。
アルゲオなど張り切って、シウに指導してくれた。
「君、冒険者なんだね? だったら庶民とも呼べないから、貴族の派閥にも組み込まれないで済むのか。出身はサルエル領だったね。ならば、サルエル伯にも顔つなぎをしておくべきだよ。僕の父上にも君のことを気に掛けてもらえるよう頼んでいる。祝賀会ではぜひ、オスカリウス辺境伯とご挨拶に行くべきだ。いいね?」
その後ろで、羨ましそうな顔をする取り巻きたちや、横ではアレストロが苦笑したりと、教室内は混沌としていた。
「それより、シウ、明後日はじゃあ学校を休むのか?」
レオンが腕を組んで聞いて来た。お互い、学校を休んだことがないので、皆勤賞を狙っている仲間同士だった。
「午前中は出るよ。午後は研究科だし、こういう場合は特例になるんだって。国からの半分命令? みたいなものだから」
「そうか。じゃあ、勝負は続行だな」
「あれ、勝負だったの?」
「違うのか?」
レオンのとぼけた様子に、リグドールが腹を抱えて笑った。
周囲も微笑ましそうな笑みでレオンを見るので、ばつの悪そうな顔をしていたが、特に言い返したりはしなかった。
レオンもこのクラスには大分馴染んできて、こうして貴族出身者が集まっていても平気で会話に乱入してくるようになった。
貴族の子たちも、彼等のリーダーのようになっているアルゲオがシウとよく話すようになったせいか、庶民のシウたちをあからさまに差別するようなことはなかった。
生まれのせいで知らないこともあると、お互いに理解したところだろうか。
しかも、あの演習から皆が生き延びてきた。そのことが連帯感を生んでいるようで、今もあちこちで垣根なく会話をしている。
「勝負って、果し合いでもするのかい?」
「手袋を相手に投げるってか。投げねえよ」
「手袋を投げてどうするんだい?」
「果し合いで、投げるんじゃないのか?」
まあ、通じてないことも大いにあったのだけれど。
ちなみに、貴族同士のプライドをかけた戦いのひとつとして、一応果し合いというのは存在するらしい。
ただし、事前に手紙を相手に渡し、第三者の印が入っていることを確認したら、貴族院に提出し、了承を得てから闘技場などで行うそうだ。
物語にあるような白手袋を相手の胸にぶつける、などということはしないそうである。手袋をぶつけるのはそうとう品のない行為、あるいは見下す行為なので普通の貴族はやらないらしい。
午後の授業は皆して遅刻した。
アルゲオが正直に先生へ謝罪したら、許してもらえた。
特例ってすごいと思っていたら、単に高位貴族の子供に阿っているだけだと教えられた。教えてくれたのは同じく高位貴族のアレストロで、意外と便利にその機能を使っているらしい。
貴族の子は小さい時からしたたかなようだ。
授業が終わると、担任のマットに一応報告しておこうと教師の控室へと向かった。
「ああ、バスケス学院長から聞いてる。明後日の午後な?」
「はい」
「それにしても、良いなあ。俺も祝賀会とか行ってみたい」
「そんなものですか?」
「そりゃあ、夢だよ。憧れ? 王城の煌びやかな世界を堪能してだな、美味しいものを食べて、美しい女性たちとダンス! どうする、王女とダンスすることになったら」
「……意外とロマンチストなんですね」
「うるせえや」
「あはは。ところで、ダンスって聞こえましたけど、踊らないとダメなんですか?」
「パーティーにダンスは付きものだろうに。礼儀作法で習うだろう? シウは確か、上級クラスだったはずだが」
と、あちこちに散らばっている書類の山から一枚を素早く取り出して、うん、と頷き、シウを見てにやにや笑った。
「イヴォンネ先生からの評価は、硬い、だそうだ。一応ギリギリ及第点は取れてるそうだが、これはダンスではない、辺境の部族の舞のようなものだ、と書いてある」
ぴらぴらと評価表らしき紙を振り回して、楽しげに笑う。
シウが半眼になってマットを見つめると、さすがに笑いを引っ込めたものの、顔には隠しきれない笑みが零れている。
「まあまあ。楽しんでこいよ。ダンスと食事と、あとは緊張の謁見か。頑張れよ」
「……頑張りたくないし、楽しくもないです。嫌々行くのに、面白くもなんともない。あーあ、マット先生と代わってもらえるなら代わりたいぐらいです」
「このやろ、羨ましいこと言って。贅沢な悩みだぞ」
マットは笑いながら振り回していた紙を置いて、それから真面目な顔になった。
「……生徒を避難させた功労と、発生地点を見付けて、更にはその位置を竜騎士隊に伝えた。それだけでもすごい功績だ。お前はすごいことをやったんだ。胸を張って堂々と王城へ参じるんだ。いいな」
「はあ」
「覇気がないなあ! あ、それと、どんなだったか後で教えてくれよ。なんなら教室で皆に教えてくれると、クラスメイトの奴等も喜ぶんじゃないか? そうしろそうしろ。じゃ、明後日は気張って行ってこいよ」
と、熱血先生らしくシウの肩をバンバン叩いて、その勢いで部屋から押し出されたのだった。
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