161 貴族の懐事情と治療院




 辻馬車を拾って市場まで行くと、エドラは自分の足で歩いて見て回りたいと、さっさと馬車を下りてしまった。

「普段は届けてもらうのだけど、やはり自分の目で見て買いたいもの。まあ、新鮮なお魚! 美味しそうな果物もあるわね」

 彼女が欲しいハーブなどは、頼んでいる食糧品店にはないそうで、たまに市場へ買い物に行くのが楽しみだったそうだ。ただ、お供をしていた家僕が病気になってしまい、最近は出掛けられなかったらしい。

「ログがいれば、あれこれ雑用もしてくれていたから助かっていたの。代わりの人を雇う気にもなれなくて、彼が治るのを待とうと話し合っているのよ」

「そうなんですか」

「それにねえ、あなたもお気付きでしょうけれど、我が家は手元不如意でね。あまり高いお給金を払えないの。ログは本当に良い人で、身寄りのない自分を拾ってくれたから死ぬまで傍で仕えたいって言ってくれて……彼の親切に甘えすぎていたのね」

「今は、どうされてるんですか?」

「治療院で入院したままなの。……市場の帰りにお見舞いに行きたいのだけれど、構わないかしら?」

「はい。じゃあ、お見舞いの品も探しますか?」

「ええ、そうね。シウ殿も、お勧めがあったら教えてくれるかしら」

 微笑んで、彼女は歩き出した。

 足元が少し心もとないので、貴族の女性に失礼かなと思いつつ手を出した。

「まあ! こんな可愛らしいナイトにエスコートしてもらえるなんて、長生きはするものね。ふふふ」

 と可愛らしく笑って、手を取ってくれた。

 そんな風にして市場を歩いていると、顔見知りの人から声がかかった。

「おう、シウよ。なんだお前も隅に置けないな! 綺麗な女性とデートかい」

「失礼だよー、エドラ様に」

 と言うと、笑いが起こった。決して嫌なものではなく、むしろ微笑ましげな雰囲気で、エドラも口元を隠しておほほと笑っていた。

 それから、シウの知り合いならばと、あちこちで値引きしてもらえた。オマケも付けてくれたので、エドラは驚いていた。

 そして、ものすごく心配した顔をする。

「よろしいのかしら。こんな、これほどいただいてしまっては、彼等が損をしませんか?」

「商売人は損するようなことはしませんよ。というより、市場では値切るのが当たり前だそうです。僕も最初知らなかったから、カモって呼ばれました」

「カモってなんですの? 鳥のことかしら。何かの暗号?」

 と、そのへんからの説明を始めたりと、市場での買い物は楽しいものとなった。

 ついでに魔法袋を持っているからと、荷物は全部預かることにした。

 エドラが買い物を遠慮する場面があったので、そのことに気付いた。きっとログがいる間は荷物をもっと持っていたに違いない。少年のシウに持たせるのは気が引けたのだろう。こういったところも優しい女性だなと思った。


 治療院までは歩けるというので、二人と一頭でゆっくり歩いて向かった。

 途中フェレスが、歩みの遅いエドラに対して何度か「乗る?」という仕草をしていたのが面白かった。

 その話をしたら、エドラはフェレスに向かって、今度騎乗服を着た時にお願いね、と言っていた。

「にゃ」

 いいよ、と答えて、尻尾を振っている。嬉しかったようだ。

 そうした道行は楽しいものだったけれど、治療院に到着するとエドラの顔が少し強張っていた。

 少し立ち止まり、やがて勇気を振り絞るように玄関を開けて中に入る。

 途端に病院特有の匂いや空気が広がった。

 受付で話を聞いてから病室へと向かうと、その扉を開けるエドラの手が震えていた。

 ああ、そういうことなんだな、とシウは悲しくなった。それでも顔には出さない。エドラが我慢しているからだ。

 彼女はすうと息を吸って、笑顔で部屋に入って行った。

 シウは廊下で待つ。おみやげの荷物は直前に彼女が手にしていたので、シウが入る理由はなかったし、エドラもまた二人っきりで話がしたいだろう。

 廊下で待っている間、怪我をしたらしい子供たちがやってきて、フェレスを遠巻きに見ていた。

「お兄ちゃん、それ、怖くない?」

「怖くないよ。フェーレースっていう猫型の騎獣だよ」

「猫さん!」

「猫! にゃーお!」

 きゃっきゃと笑って、そろそろと近寄ってきた。大きな子が小さい子の手を引いている。まだ喋るのが上手じゃない小さな子は、にゃんにゃん、と何度も口にしていた。

「触っても大丈夫だよ」

 と言うと、おそるおそる、それぞれがフェレスの耳や頭に触れた。

 こういうところはアウレアと同じだ。

 子供はみんな、好奇心が旺盛で、目がキラキラと輝いている。

「にゃんにゃん、にゃあ?」

「にゃ!」

 あ、会話してる、と思ったら、子供たちを更に遠巻きにしていた大人が笑い出した。

「おお、話しているぞ。猫と会話できるなんて、あの子は将来調教師になれるんじゃないのか?」

「うちの子も喋らないかな」

 などと言って、にこやかに近付いてきた。

「騎獣なんて、近くで見るのは初めてだよ。ありがとうな、坊主」

「いえ。良かったら遊んでやってください。躾もしてるので、大丈夫ですよ」

 と言うと、彼だけではなく、他の大人もやってきてフェレスを撫でたり、にゃおにゃおと鳴き声をまねての騒ぎとなった。

 治療院の職員が出てきたので、うるさかったろうとシウが謝ったら、いえいえと手を振られた。

「こういうところですから、皆さんどうしても笑顔が少なくて。こうして大声で笑うのは体にも良いことなんですよ。この子はとても綺麗にされてますし、特に問題ないです。……というか、わたしも触らせてもらっても?」

 ということらしい。

 笑顔で頷いた。フェレスはと言えば、人気者になって嬉しいらしく、どこか自慢げな顔で尻尾を緩く振っていた。


 病室から出てきたエドラは廊下の様子に少し驚いて、それから笑顔になった。

 目元が赤かったのに、泣いた跡がなかったのできっと我慢していたのだろうと思った。

 彼女は何も言わず、その場が収まるのを待ってくれた。

 治療院から出た時は予定よりも大幅に時間が経っていたけれど、エドラはとても満足したような顔をしていた。


 辻馬車を呼んで、屋敷に戻ると皆が勢揃いで待っている。

 今日の目的は、買い出しではなくて見舞いだったのだろう。

 エドラは皆には笑顔で何度も頷いて、それから振り返り、シウにはありがとうと言って二階へと上がって行った。

 荷物は老執事の指定した場所へと取り出し、片付けも手伝ってから依頼書にサインを貰った。

 謝礼金を渡されかけたが、それは固辞した。

 仕事の依頼と、手伝いは別だからと言うと、老執事は深く頭を下げてシウを見送ってくれたのだった。




 ギルドに依頼書を渡して報酬を受け取ると、その足でレオンのいるであろう西中地区に向かった。

 途中で屋台を見付けて遅い昼ご飯を摂り、ぶらぶら歩いていると養護施設を見付けた。

「こんにちはー」

「おや、どうしましたか?」

 神官が出てきて、笑顔で応対してくれた。

「こちらにレオン君がいると聞いて来たんです。僕はシウ=アクィラと申します。魔法学校で同じクラスなんです」

「おお! レオンの友達かい? いやあ、学校の友達なんて初めてだよ。てっきり一人ぼっちで、苛められているんじゃないかと心配していたんだ! いやあ良かった良かった」

 急にテンションが高くなって驚いていたら、彼の後ろに、覗いてくる目がいくつも見えた。

「あ、こら、お前たち! 勉強は! サボってるんじゃない!」

「きゃあ!」

「逃げろ、怒られるぞ」

 と、大騒ぎだ。

「全くあの子たちときたら。あ、すまないね、ええと、シウ君だったね。レオンは今、仕事に行ってるんだよ」

「そうですか。ええと、実はこちらにお話、というかお願いごとがあって来ました。お話ししてもよろしいでしょうか」

「ああ、いいとも」

 と快く請け負ってくれた神官に、シウは冒険者ギルドの今の状況を説明した。

「というわけで、冒険者の手が足りません。元々十級ランクを受ける人も少なかったので、見習いの子がやることになっていたんですが、中央地区では子供の数が少なくて」

「ああ、あちらは商人が多いものね。大商人なら子供は働かせないだろうし、小さな商店の子は家の手伝いを優先させるだろうし」

「レオンが中央地区で仕事を受けてくれるようになって、ギルドからは紹介した僕がお礼を言われるぐらいなんです。それだけ大変な状況が続いているので、もしよかったら、他にも紹介してもらえる子がいないかなと思ってきたんです。伝言だと失礼かと思って、直接お伺いしました」

「おお、そりゃまたご丁寧に。しかし、なんでまた君が、ギルドの心配をするのかな」

「……ギルドのっていうよりも、依頼者のことを心配して、っていうのが強いです」

 そうして今日の仕事の話をした。

「元々、倉庫の片付けや女性のお供をするという仕事は、冒険者には敬遠されがちで、後回しにされてます。今はそれに輪をかけてひどいです。ギルドの未処理班でも全然対応できないみたいで、可哀想でした。特にお年を召した方には家事なんて重労働ですし、かといって家政ギルドに頼んで常雇いするほどはお金もない」

「ふうむ。それは、想像すると、確かに理解できることばかりだ。つまり、子供でも労働力になるし、子供ならば見習いだから十級ランクの金額でも充分ということか。ふむふむ。この子たちは暮らしていく分には寄付もあって庶民の子と同じように生活できるが、将来を考えたら働く素地を作っておくというのは良いことだね」

 神官はなるほどなるほどと、大袈裟な身振り手振りでまるで独り言のように喋っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る