156 久しぶりの学校




 長い一週間が終わり、風薫る月の二週目、火の日。

 学校に行くのがとても久しぶりに感じてしまった。

 いつも通り早朝に目をさまして用事を済ませ、スタン爺さんと朝ご飯を一緒に食べてからあれこれ作業をして、学校に向かう。

 ただそれだけのことが、懐かしいと感じられる。

 一番最初に学校へ行った時のドキドキとした感覚が蘇って、おかしかった。

 フェレスと共にゆっくりと歩いて登校し、獣舎へ行ってから教室へ入ると、誰もまだ来ていなかった。

 あれ? と思っていたら、廊下を通りがかった顔見知りの生徒が声を掛けてくれた。

「あ、シウ君だったよね? もしかして聞いてない? 朝一番で、生徒は大講堂に集まるように、だって」

「え、そうなんだ」

「一昨日から昨日にかけて、寮や自宅組に連絡が行ってたらしいんだけど。やっぱり庶民の方には手が回ってなかったのかなあ」

「そうなの?」

「聞いてないって子が、一人いたから。それで気になって教室へ戻ってきたんだ。良かった、伝えられて」

「ありがと。じゃ、僕、念のためにクラスの庶民出身者に伝えておくよ」

「うん。じゃあね!」

 と手を振って別れた。

 彼は、洞穴で避難した時に見かけた生徒で、岩石魔法を持っていた。優しい子だなと思いながら、通信でレオンとヴィヴィに教えると、昨日には先生から教えてもらっていたようで、すでに大講堂で待っているということだった。

 シウは慌てて大講堂に走って行った。


 さすがにあの出来事をクラス単位で説明するというのはないか、と気付いたのは学院長が話し始めてからだ。

 経緯などを説明し、今もなお続いている魔獣スタンピードに巻き込まれなかったのは僥倖だったと話している。

 あの場所が適切だったのかどうかなど、原因究明は今後続けていくという報告のような説明もしてくれた。

 学校側がどうしようもなかったのは分かっているし、生徒にも重傷者や死者がいなかったせいか、特に反論するような者は出なかった。


 集会が終わると、三々五々に教室へと戻って行く。

 シウは遅れたので、一番後ろの席だったから一人で戻ろうとしていたが、リグドールやアントニーが追いかけてきたので途中から一緒に歩いた。

「さっさと先に行こうとするとか、そのへんシウは孤高だよな!」

「使い方変じゃない? シウ君はねえ、僕等と違って大人なんだよ」

「なんだーそれ」

「子供って、仲良し同士で組むでしょ。大人になれば好きな人と仕事するってわけにもいかないから、一人で頑張るよね」

「あー。嫌な奴相手にも笑顔で商売! ……って爺ちゃんに言われたっけなあ」

 などと二人が高尚な話をしていたが、シウの場合は違うのだ。孤独になれすぎて、つい、お友達と一緒に、というのができなかっただけなのだ。

 引きこもり体質が根に沁みついているので、どうも集団行動が上手くいかない。

 ただこうして、周りが助けてくれるので、なんとかなっていた。

 有り難いものだと、改めてリグドールたちに心の中で感謝する。

 口にしたら、また何か言われそうなので、あくまでも心のなかで、だ。


 教室では生徒が戻ると同時に担任のマットがやってきて、今日これからのことを説明してくれた。

「授業は今週いっぱいはなしとするからな。幸い、このクラスで重傷者は出なかったようだが、小さな怪我は皆が負っただろうと思う。いくら治癒で治せても、心の傷もある。特に一年生のお前たちには大変だっただろう。よく無事に戻ってきてくれた。みんな、よく頑張ったな!」

 いつもの暑いマットの台詞に、意外と同調する生徒は多かった。

 普段ならば「あ、また、始まった……」と冷静に観察する生徒の方が多かったのに。

 ああいう経験を皆が同時にしてしまうと、こう連帯感というのか、一種独特の空気感を共有してしまうようだ。

「それと、各自がどのような行動をしたのか、少しずつでいいから思い出して報告書にしてほしい。これは演習の授業の一環でもあるし、国からの指示でもある。魔獣スタンピードの原因究明や、演習での騒ぎ、その後の動きを解明し次に生かすためにも皆、協力するようにな」

 学校には出てこなくてもいいが、話を照らし合わせたり思い出すのには都合が良いはずだから、できれば教室に来てみて他の生徒と話したりしてほしいと言われた。

 出てこなくてもいいという言い方をしたのは、心が疲れている場合のことを想定したのだろう。

 普段、王都で上流階級の人間として暮らしている生徒には、あの一連の騒ぎは想像外だったろうから気持ちは分かる。

 先生たちもこのことでよくよく話し合ったのだろうと思った。


 マットが教室を出る際にシウを手招きして呼んだので、ついでだからと、昨夜のうちに時系列でまとめていたものがあったので、こんなのでいいですかと渡してみた。

「……相変わらず仕事が早いなあ」

「仕事って」

「いやあ、仕事だって、これは」

 ザッと目を通して、唸るように続けた。

「うーん、さすが。あれ? でも、スタンピードの方は書かなかったのか」

「あ、学校用だと思ったので、端折りました。あとでキリク様か、どこか分からないけれど、提出するかもしれないので全体像と、魔獣スタンピードの分は書いてます」

「……本当に仕事が早いなあ」

 だって、自動書記ができるようになったんだもの。と、心の中で返事をした。

 記憶していたものを並べ替えて、更に脳内で文字をそれらしく文章にしたら、ふと下位の書記魔法が使えやしないか考えてしまったのだ。

 発言を自動書記する魔法。そうと考えて、中質紙を前に、イメージしてみたら、できてしまった。発言していないのに。

 調子に乗って何枚も試していたら、いつの間にか書記魔法も使えるようになっていた。

 下位の複合魔法が使えるのだから、やっぱり今更感があったけれど、それこそ今更なので気にしないことにした。

「全体像の方で、提出しましょうか」

「どうかな。いや、学院長と協議してからにするか。たぶん、学校用で良いと思う。そっちは直接、オスカリウス辺境伯へ提出するか、国からの使者が取りに来るだろうから持っていてくれ」

「はあ」

 国からの使者って。

 嫌な言葉だなあ。

 と、いうのが顔に出たのか、マットが苦笑した。

「そんな顔をするなって。面倒事も多いが、まあ、上手く立ち回れば良いこともあるさ。幸い、シウにはオスカリウス辺境伯が後ろ盾についてくれているんだろう?」

「一応、ですけど」

「なら大丈夫だろう。あ、それと、手伝ってほしいことがあるかもしれんから、通信魔道具を渡しておきたいんだが」

「あ、下位の通信魔法なら使えます」

「……そうだったっけな。じゃ、頼むわ。それと最後になったけどな」

「はい」

「クラスメイトたちを、いや、他の生徒も含めてだが、最後まで守ってくれてありがとう」

 びっくりして、思わずマットを凝視してしまった。

「そ、んな顔するなよなあ。これでも本当に感謝してるんだぞ。俺たちが不甲斐ないばかりに大変な思いをさせてしまって。シウには補ってもらったどころか、すごいことをしてもらった。生徒たちもさ、お前のおかげで落ち着けたみたいだ。俺たちだって同じだ。通信を何度も入れてくれただろう? 他の避難者も助けてくれたし。あれがどれだけ心強かったか」

「でも、あれは学校側にはどうしようもなかったと思いますし」

「……それでもな。生徒が混乱せずに広場まで到達できるようにしてやるのが、教師の役目だったと思うんだ。まだまだ教え方が足りないってことも、よく分かった。生徒だけじゃなくて、教師にも良い勉強となったよ。って、こんなことを呑気に言えるのも、無事に全員が戻ってこられたからだな。とにかく、ありがとうな、シウ」

 いえ、と小さく返して、マットが廊下を歩いていくのを見送った。


 教室に戻ると、皆がわいわい言いながら書き出しをしていた。

 その中を進みながら、リグドールたちのところまで来ると、彼等もまた騒がしくやっていた。

「あ、シウ、先生にご褒美もらえた?」

「なんでご褒美?」

 意味が分からないと首を傾げたら、アントニーが笑った。

「マット先生がくれるわけないよ。あと褒賞は、教師からは出ないって」

「なーんだ。つまんねえな。あ、ところでさ、報告書って順番に書かなきゃだめなんだよな」

「そうだよ」

 なんなんだと思いつつ、隣を見ると、アレストロとヴィクトルが箇条書きで書いたものに、抜け落ちがないかを書き足していっていた。何人かでやると間違いがないので、良いやり方だった。

「リグ、皆で思い出しながら書いた方が良くない?」

「あ? あ、そっか!」

「みんなでやってみる? アリスさんたちも一緒にどうかな」

 と、アントニーが声を掛けた。

 アリスはすぐさま笑顔で頷いて近付いてきた。彼女は従者のマルティナが傍にいる時は基本的には近寄ってこない。いろいろ注意されたりするので、相手に迷惑をかけたくないと思っているようだった。

 でも、今もこうして目を輝かしているので、本当は色々な人と話したいに違いないのだろう。

「シウ君、あの時は本当にありがとうございました。父もくれぐれもよろしくと、言っておりました」

 心底から思っているらしく、笑顔なのが胸に痛い。

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