155 辺境伯の恩人




 夕方になって、キリクが戻ってきた。

「よう。お前の言った通りになりそうだ」

 片手を上げて、疲れた顔に笑みを載せる。

「じゃあ、一番下まで到達したんだね」

「いや、まだ完全には行ってないが。遠見の奴等や気配察知に富んだ斥候がいてな。たぶん、間違いなくワームだろうという話だ。暴れている様子はないから、番の巣かもしれん。子がいれば危険だが、まだ巣作りを始めたところならば入って様子を見る分には可能だろうな」

 ぐーん、と大きな伸びをして、大きく息を吸い込んでいる。

「……空気が美味しいんじゃないですか。中の空気、淀んでたもんね」

「まあな。今から皮算用してもしようがないが、整備するだけで気が遠くなりそうだ。あれをもう一度やるとは思ってなかったからな。つれーわ」

「オスカリウス領の地下迷宮って、できたの最近だったんだ」

「おうよ。アクリダは昔からあって、商業化も進んでるけどな。アルウスは二十年ぐらい前かな。まだ若かったから張り切って作り上げたもんだが」

 歳には勝てんと言って、キリクは腰を叩いていた。長時間の地下移動が疲れたのだろう。ましてや前線で指揮を執るのだ。

 本来は後方でどっしり構えているだけでいいというのに、それを思うとすごい体力だし、若いとも言える。

「まあ、利権もあるし。整備に関する知識や経験なんぞはうちに敵う者はいないだろうが、実際に管理するのはどことなるかな」

「このへんは一応、国有地でしょう? 誰の土地でもないとは聞いたけど」

 だから割と自由に狩りや採取ができると聞いていた。今回の演習地に選ばれたのも、しがらみがないということが理由のひとつだろうとシウは思っている。

「だからといって王領にするってのも、問題がある。ま、どこに売るかは、シウの自由だな」

「は?」

「あ?」

 キリクが顎鬚をざりざりと撫でながら、シウを半眼で見下ろしてきた。

「……お前、分かってないだろうがな。ここの発見者は、お前なんだぞ」

「はあ。……まあ、そう、かな?」

「発見した者に、権利があるんだぞ」

「……あー。ええと、僕、知らない。見てないです。なんだっけ、誰かが見付けたのを、通信で知らせただけです」

「おい」

「ええと、じゃあもう用事はなさそうなので、僕帰ろうと思うんですけど!」

「……ああ、まあ、そろそろ落ち着きそうだからな。帰りはもちろん、送って行かせるが」

 シウは慌ててテントに入って、中の荷物を片付け始めた。

 それを追いかけてキリクが入ってくる。

「まあ、あれだ。うまくやってみるつもりだが、第一発見者というのは曲げられん。なにしろ報告済だ。今更あれが嘘でした、なんて言ってみろ。王を謀ったという罪で、投獄されるぞ。って、おい、まさか逃げるなよ!? あー、もー、やだ。なんで俺の周りは権力嫌いが多いんだ! ヴァスタの野郎も俺を置いてどっかへ行っちまうし!」

 最後の方は愚痴になって喚いていた。シウはせっせと片付けを行い、つられてフェレスも出しっぱなしになっていた大好きな玩具を一ヶ所に集め回っている。

 ふと、耳がもう一度その台詞を繰り返した。

「……ヴァスタ?」

「うん?」

「その、ヴァスタって、知り合い?」

「ああ、そうだ。前に話したことがなかったかな。昔の知り合いだ。政争に巻き込まれた俺を助けてくれた、冒険者としての大先輩でもあったな。ただ、性格に難ありっつうのか、独特の感性を持っていたというか」

「もしかして、厭世家って言ってたの、その人のこと?」

「そうだが。……知ってるのか?」

 二人同時に顔を見合わせて、それから、シウはたぶんと呟いて頷いた。

「ええと、爺様の名前がヴァスタだった。リネって名前の奥さんがいたみたい。若い頃に亡くなったって」

「……まじかよ! くそ! お前、シウ、お前がヴァスタの孫かっ!!」

 いや、正確には孫じゃありません、養い子です、と言いかけたのだが。

 シウはキリクに思い切り抱き締められていた。

「……くそっ、くそ」

 まるで色々な感情が爆発したかのように溢れ出し、抑えきれないのだと言いたげな抱擁だった。

 いきなりどうしたんだ、と思ったが、キリクの声音に湿ったものを感じて、ようやく気付いた。

 彼が信頼し助けられ憧れてもいたのだろう大先輩の冒険者が、もうこの世にいないという事実を、同時に知ったのだ。

 シウの話す「爺様」は、いつだって過去形で綴られていた。

 そのことに気付いてしまった。


 キリクは、恩返しもしてねえのにと悔しげに呟く。

 可哀想に思って、背中をポンポンと叩き、抱き締めてやった。

 そうするとなお一層きつく、キリクはシウを抱き締めてきたのだった。


 締め付けが苦しくてギブギブと声を上げかけた時、慌てた様子でテントに入ってきたスヴァルフが抱擁攻撃を止めてくれた。

「ぎ、がっ、が、あ゛、あああのっ」

 という変な声でだったけれど。

 キリクはもう泣き止んでいたようで離れた時には涙の痕もなかったが、ちょっと目が赤かった。それが恥ずかしいのか、気まずげにシウをチラッと見てから、騒ぎの元へと視線をやった。

「何を言ってんだ、お前」

「あ、いや、あのっ、その、いくらなんでも、まずいのでは、いや、しかし」

「はあ?」

 スヴァルフは大量の汗をかいて、手を大袈裟に振り回している。

 それから、キリクを見て、チラッとシウを見る、というのを繰り返した。

 そのうちにテント外から声がした。

「頑張れ、団長! 負けるな!」

「あなたの勇気を忘れないわ!」

 竜騎士たちだ。数人は顔だけ覗かせているが、後は後ろで何事かを囁いている。

「団長、キリク様を止められるのはあなただけです!」

「シウ君の未来のためにも、命を張るんだ!」

 なんなんだ。

 シウが半眼になってジトーッと眺めていたら、さすがに顔を覗かせていた数人がそろそろと入ってきた。

 キリクはまだ気まずそうで、皆にからかわれていると思ったのか憮然としている。

「……ごほん! ええとですね、キリク様」

「なんだ」

「イェルド様とサラさんから、気を付けるようにとの通達がありまして」

「だから、なんだ?」

「……少年趣味は隠れてやってほしいと。その、政敵に、迂闊な情報を流さないようにと、言われておりまして!」

 キリクの目が段々と細くなっていった。比例して、スヴァルフの汗がすごいことになっている。

「そ、それにですね、サラさんは肯定的でしたけど、俺は反対です! その、そういう趣味については差別しませんが、あ、相手はまだ、子供です!!」

「……よく分かった。お前らが俺をどんな目で見ているのかがな。そうか、そうか」

 最後の「そうか」はとても重低音だった。

 それと、キリクの眼帯をしていない方の目にも何らかの作用が備わっているらしいことも分かった。

 なにしろ、ビームが出ているのではと思うような威力を感じたからだ。

 順番に顔を見られていた面々が蒼褪めていくので、面白くてつい笑ってしまったほどだ。

 ただ、そのシウの笑いによって、固まって動けなくなるという呪いから、全員が解放されたようだった。


 その後、呆れた顔をしたキリクから、

「こいつの爺さんが、俺の大恩人だと分かったんだ。それで感極まって、まあ、思い出してたんだよ。そのへんは察しろ」

 というような発言をくだされ、スヴァルフたちは分かったのか分かってないか、はあ、となんとも曖昧な返事をして拳骨を貰うこととなった。


 シウの王都への帰還は、先発隊だった飛竜隊の中で消耗が激しい飛竜などを交代させるという話があって、便乗させてもらうことに決まった。

 スヴァルフには作っていた麺や、採取した野草を全部あげた。

「いや、本当にありがとう。助かるよ。あれは美味しかった。ヤキソバソース? も置いていってくれたようで、皆が喜んでいる。それと、その、さっきは悪かった」

「いいえ。でも覗きって趣味が悪いですよ。僕は骨折するかもしれない瀬戸際だったので助かりましたけど」

「うっ、まあ、そうだね。いやあ、はははっ」

 笑って誤魔化されてしまった。

 のびのびした隊である。

「他の顔見知りの人にも挨拶しようと思ったんだけど、今は地下に行ったりで巡回してるみたいだから。もし聞かれたら、よろしくと――」

「了解。確か、ロワル竜騎士団のランヴァルドとも仲良かったな。彼なら知っているし、見かけたら言っておくよ。君のテントもこのまま残しておこう。弾倉の替えもあるんだったよね?」

「はい。一応、盗まれないように、カラカリにも頼んでますが。もし余裕があれば、見張りをお願いします」

「ああ。あれは、大事なものだからな」

 などと打ち合わせをして、シウとフェレスはリリアナの竜に乗せてもらって王都へ帰還することにした。

 帰路の途中、リリアナから根掘り葉掘りとキリクとの関係を聞かれたので正直に答えていたら、何故かとても残念がられてしまった。おかしなものである。

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