143 ある一面の正義感
パンには全てまとめて、リフレッシュを掛ける。水を含ませた分、とてもふんわりとして柔らかくなった。ついでにテーブルに着いた順から、火属性魔法で温めていく。
「うっわ、美味しい!」
「すげえ」
「こんなに美味しい堅焼パンは知らないよ」
と、評判は良かった。
また、野草や、リグドールが採ってきてくれた芋で作ったスープも好評だった。
料理中に、ちょっと採ってきた茸を採取して入れたのも良かった。
「あ、これ、合宿の時に作ってくれたのと同じやつ?」
「ううん、あれとはちょっと違う。リグ、落ち着いて飲みなよ」
慌てているものだから、あちこちに飛んでいる。苦笑して、アリスがハンカチを渡していた。
「あ、ごめん、えっと、ありがと……」
「いいえ。でもゆっくり食べた方が味わえますよ」
「うん。分かった」
隣ではアントニーが笑いを噛み殺していた。
「ごほん。ま、それはともかく。牛蒡といい芋といい、森には大量の食材があるものだね」
笑いをこらえながら、アレストロが話題を変えた。
「うん。この近くにはなかったけど、木の実も多いよ。クレール先輩のところには木の実が多かったね。採ってくれば良かった」
「いや、いいよ。だって、クレール先輩のところだって食糧事情は厳しいよね」
「あ、そうだ。先輩方が喜んでいたよ。ありがとうって。皆にもよろしくって。あと、魔法袋も貸してくれてありがとうと、言ってましたよ」
テーブルに近付いてきた兵站科の生徒コルネリオに告げると、ちょっと太めの体を揺らして、いやあと頭を掻き掻き、照れ臭そうに彼は笑った。
「兄さん、太っ腹だね。本当に太い腹だけど!」
と弟のランベルトが茶化している。
この二人は共にぽっちゃりしており、性格が明るくてムードメーカーのようになっていた。
避難状態で、沈みやすい生徒たちを和ませようと、こうして冗談を言ったりする。
「僕らももらっていい? お腹が空いて、起きちゃったんだ」
「太っ腹がへこんだら困るもんね」
「太い腹が僕からなくなったら、僕じゃなくなるね!」
あはは、と周囲が笑いに包まれた。
そんな和やかな空気の中に、一変させるような存在がやってきた。
ヒルデガルドだ。
「……こんな時に、何笑ってるの?」
新しいスカートを穿いたヒルデガルドの顔は、少し引きつっていた。
「みんな大変な時なのに、どうして笑ってられるの? あなたたち、状況を分かってないんじゃなくて」
途端にシーンとなってしまった。
「生徒たちは怯えているし、怪我をしている子もいるのよ。スタンピードの対策に竜騎士たちは寝る間も惜しんで働いてるわ。皆、怪我をして苦しんでいる。それなのに!」
皆、黙ってしまい俯いている。彼女の正論にも思うところはあったのだろうが、それよりは大貴族の娘の発言に動きを止めたといった感じだった。
なにしろ一斉に姿勢を整えたのだ。高位貴族相手の、態度である。
シウは聞こえるように大きな溜息を吐いた。
「状況を分かってないのはあなたです。昨日、僕が言ったことを、まったく理解してませんね? あんまり余計なことを言っていると本当に吊るしますよ」
「な、なによ、そ、そんなことできるわけ――」
「僕はやると言ったらやりますからね。大体あなたより余程、ここにいる皆の方が状況を理解しています。あなたよりもずっと大人ですしね」
「待って、それは聞き捨てならないわ。わたくし、わたしは、これでも成人して、子爵位を賜るれっきとした大人よ」
むっとして言い返してきたので、シウはしれっと答えた。
「皆が気を遣って、空気を悪くしないようにと大人の対応で頑張っているのに、くだらない正義感で水を差した張本人が大人とは、爵位って素晴らしい免罪符ですね」
「え、え?」
早口で、しかも笑顔で話しているので、ヒルデガルドはよく分からないといった顔をした。
「あんまり過ぎると、全部言っちゃいますよ。それともまた、救護テントに連れて行きますけど、どうですか」
「……も、もう、あそこはいいわ」
「でしょうね。あちらの方々も足手まといは要らないそうです」
「そんなこと彼等は一言も!」
「大貴族の娘に言えるわけないでしょう? 昨日からそうお伝えしているのに、全く僕の言葉はあなたに通じてない。あなたの耳はどうなっているんでしょうか。あなたの今やるべきことは何なのか。思いつかないのならば黙っていてください。本物の貴族の心得というものを教わってこなかったあなたが憐れにすら見えてきます。心が痛むので、救助されるまで静かにしてください」
シウの言葉に狼狽えて、周囲に視線をやり、そこでようやく皆の視線が集まっていることに気付いたようだ。そして、自分の立場が微妙なことにも。
「……分かった、わ」
視線をきょろきょろさせた後、誰の助けもないことを知ってすごすごと女子部屋に戻っていく。
暫くシーンとしていた部屋が、レオンの一言で変わった。
「……きっついな、お前」
「そ、そうですよ。さすがに女性に、あそこまでは、その、厳しくないですか?」
「でも、アリス様、あの方ちょっと思い上がってません?」
「まあ、コーラ。だけれど」
「いや、それにしても、あのカサンドラ公爵の娘によく言うなあ」
「僕、シウ君を尊敬するなあ」
「謝った方が良くない? シウ、後で仕返しされたら怖いよ。大貴族は特に根深いし」
と、騒ぎ出した。
「いや、それにしても、まさか君があそこまできつく言うとは思わなかったよ」
「俺も。シウは女子には優しいから」
「うーん。だけどさ」
シウが苦笑しつつ話し出すと、皆一斉にピタッと喋るのを止めた。
「あの人、昨日からかなりやらかしてるんだよね。あ、一昨日からか。それで皆が振り回されてて。行方不明のままの人もいるんだ」
「えっ、そうなのか」
「避難していた場所から勝手に抜け出したものだから、リーダーのエドヴァルド先輩も慌ててたし、彼女の護衛だってお咎めなしでは済まないだろうしね」
「……まさかそんなことにも、気付いていないとか?」
「うん。いろいろ注意したんだけど、その時は反省してるみたいなのに、後でまたやらかすんだ。もう面倒になってきちゃって。つい」
「いや、それなら、まあ、仕方ないのか」
皆、考え込み始めた。
そうして、それぞれが口を開く。
「俺、助かったら両親にシウのこと頼むよ。大貴族の娘相手に説教したから報復されないよう援助してほしいって。こうして助かってるのもシウのおかげだし」
「あ、僕も頼む。子爵位でたいしたことないけどさ」
「だったら、僕も父上に頼んでみるよ。公爵家相手では負けるかもしれないが、数のうちになるだろう」
「アレストロ様でダメなら俺の家なんてもっと無理ですよ。でも、俺も父に頼んでみる」
「ヴィクトル、みんなも……」
呆れたように笑ったら、アリスがシウの手を握った。
「わたしもです! わたしも、貴族の娘です」
「あら、じゃあ、庶民のあたしはどうしよう? 噂でも流そうかな」
段々悪ノリしてきて、ヴィヴィが笑って言い出した。そうすると今度は商人の子たちが、手を挙げた。
「あ、俺たちは資金援助の手を引くってどう?」
「商人の引き際ってすごいよね!」
「徐々にね。絶対に、分からないようにやるよね」
「あ、分かる分かる! ああいう時の父さまの顔、悪いんだー」
ようやく、また元通りの賑やかな皆へと戻った。
シウは、決してヒルデガルドの言うことが全面的に間違っているとは思わない。
ただ、過ぎる正義感が怖かった。
せっかく落ち着いている今の状況に、正論を吐いてどうするというのだろう。
一見、正しいように見えるから怖いのだ。
助けてあげようとか、治癒してあげたいという気持ち自体は素晴らしいと思う。
けれど、彼女は一人では何ひとつできなかった。むしろ迷惑をかけ続けていた。
彼女のあのセリフは、もしかしたら自分自身に言い聞かせているのかもしれない。
そんな風にして育てられたのだろうか。
だとすれば、やはり憐れだなと思ってしまう。
クリストフが教師からの通信を受けて、皆に報告した。
「今日の昼には騎獣を連れた護衛や救助隊が来てくれるって。広場まで戻れば馬車も用意されているから、すぐ帰れるそうだよ」
「やった! あ、戻ってから喜ばないとダメだね」
「いいんじゃないか。そりゃ、気が緩むのは良くないけど」
皆が喜びを口にした。慎重なのは、やはり万が一を考えるからだ。
早速、それぞれが歩いて帰る準備を始める。
こういう時に兵站科の生徒がいるのは便利で、皆に均等に荷物を分けたり、数が足りないものはパーティーごとに振り分けていた。
戻る道筋も彼等が地図をもとに割り出している。これも転ばぬ先の杖というやつで、護衛と逸れてもいいようにとの判断からだ。
シウも、地図を書くのを手伝った。
「すごいな。まるで見てきたようだ」
「生徒たちを探し回ったからね」
と誤魔化した。
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