140 ボロボロになった令嬢
夕方が見え始めた森の中はもう薄暗くなっていた。
魔獣スタンピードのせいで、逃げ遅れた森の中の獣は息を潜めているが、完全に魔獣が消えたわけではない。
小さな虫程度のものはまだ残っている。
魔法学校の生徒ならば殺せるだろうが、それも慣れていればの話だということは、この二日間で嫌と言うほど分かっている。
他の生徒の様子を観察していたら、どれほど皆が魔獣慣れしていないのか、シウは身に染みていた。
小さな虫でさえ殺せないし、捕まえることもできない。
野草も採れず、そこにあるからと言っても手で触ることさえできないのだ。
木の実も、加工したものならば食べたことぐらいあるだろうに、採取はできないと言っていた貴族の子弟たち。
あれを思い出すと、森の中でヒルデガルドが困っている姿も想像できた。
シウは広範全方位探索を更に強化して、かつ、鑑定魔法でヒルデガルドに絞って検索を始めた。
意外と早く、彼女は見付かった。
なんとクレーターの近くの森まで来ていたのだ。
探知後、彼女にマークを付けてマップ上に置き、少しだけ様子を見てみた。
右に左にと動いている。
(《感覚転移》)
小さな虫に追われているようで、いや、やめて! と手を振りまわして闇雲に走っている。いや、走るというよりは歩いていると言った方が正しいぐらいの、疲れっぷりだ。
彼女の勝手な行動に些か失望していたのだが、その姿を見ると少しばかり可哀想に思った。
シウはフェレスに急いで向かってもらうことにした。
近くまで来ると、ヒルデガルドの疲弊ぶりがよく分かった。まともなのはローブだけで、かろうじて杖は持っているものの、それを力なく振り回している。ローブの下の制服はあちこちがボロボロになっており、藪にでも突っ込んだのかブラウスシャツがところどころ破れていた。スカートの裾も泥だらけ、靴は脱げ、靴下は真っ黒だった。
「先輩、ヒルデガルド先輩!」
「いや、もういや! 来ないで!」
「……カサンドラ子爵! カサンドラ公爵が第一子、ヒルデガルド=カサンドラ様!」
一度だけ行ったことのある王城の中の、扉前で近衛が叫ぶ独特の音程を踏んだ呼び方を真似してみた。
面白いことに、それが結構通じたようだ。
ヒルデガルドがピタッと動きを止めた。そして辺りをゆっくりと見回す。
「ここです。ヒルデガルド先輩、僕です」
目の前にゆっくりと降り立つ。
「あ、あ」
「落ち着いてください。シウです」
「……お、落ち着いているわ。わたくしは公爵の娘よ。落ち着いているわ!」
見栄を張れる余裕はあったようだ。
シウは安堵して、彼女の足元を見た。同時に彼女も下へと視線を向ける。
「こ、これは、その、襲われて、仕方なく」
「ご令嬢を襲うなんて、ひどいですね」
冗談のつもりで乗ったのだが、彼女はひどく真面目に頷いた。
まさか本当に何かに襲われたのだろうかとも思ったが、見た限り、そんな風にはとても見えない。
「……泥だまり、茨の藪、滑りやすい岩場、足を取る木の根? 成敗しましょうか」
そう言うと、さすがに自分がおかしいのだと気付いたようで気まり悪そうな顔をして顔を赤くした。
「冗談です。でも、冗談で済まされないことも、あるんですよ?」
「……わたしのせいで、護衛が叱られるなんて、思いもしなかったの。彼等の仕事なのだから、わたしには関係ないことだと……でも逸れた彼が、わたしのせいでもし命を落とすようなことになっていたらと思ったら、怖くなって」
「だから逃げ出したんですか?」
「いいえ! いいえ、違うわ。ただ、自分の力を役立てたいと思ったの。あなたは、わたしのことを足手まといだと言ったわね。確かにそうよ。だからこそ護衛がいるのだわ。だけど、わたしの治癒魔法まで、何の助けにもならないと言われたのだけは我慢ならなかった」
「……だから、そのもう一人の護衛を助けに行こうとでも思ったんですか? あなたを守ろうと見張っていた仲間を昏倒させて、誰にも言わずに仲間たちを心配させて? 挙句の果てに、魔獣スタンピードへ必死に対応しているオスカリウス辺境伯を悩ませてまで?」
腰に手をやり、子供を叱る体勢で言ってみたのだが、あまり威厳はなかったようだ。
が、最後のキリクの名前を聞いて、彼女はハッとした。
「隻眼の英雄様?」
「指示しているのは辺境伯です。あなたが行方不明だとエドヴァルド先輩から通信が入って報告したら、戦線離脱するよう僕に命じたのも彼です。あなたを保護するように、と」
ヒルデガルドの表情から色が消えた。真っ白い顔をして、呆然と立つ。
「これがどういうことか、分かりますよね? 僕のような子供があそこにいたってことは、それだけ切羽詰っているってことです。そして、あなたの勝手な行動のせいで、子供とはいえ一人の攻撃力を失ったんです」
「……だって、だって、治癒魔法がレベル三もあるなんてすごいと、皆が――」
ちやほやして褒める者ばかりだったのだろう。
勘違いしてしまったのだ。自分はなんでもできると。
だけど、やってしまったことの始末は付けてもらわねばならない。いまだどこにいるか分からない彼女のもう一人の護衛のためにも。
シウは溜息を吐いて、彼女に浄化をかける。汚れた箇所は綺麗になったが、ほつれたり破れた服はそのままだ。
仕方なく、背負い袋を下ろして、中から替えのシャツを出した。
「それ、着替えないと肌が見えますよ。あちらを向いて目を瞑っておきますから、着替えてください」
「え、でも、このようなところで――」
「その姿のまま人前に出られるんですか? 急いでください、他に誰もいません。魔獣以外は」
最後は急がせるための方便だったが、ヒルデガルドは慌てて着替え始めたようだった。
部屋着用のシウのシャツは大きめに作っていたが、年上のヒルデガルドにはちょうど良かったようだ。ただし、胸の辺りがきつそうで気にしている。彼女のためにもシウは気付かないフリをした。
「すみません、それしかなくて。じゃ、フェレスに乗ってください」
「え、でも、この子はあなたの騎獣じゃなくて?」
「先輩の足では歩けないと思うし、時間がないんです。申し訳ありませんが、指示に従ってもらえますか?」
「……分かったわ」
フェレスは嫌そうにしていたものの、
「女の人を助けるなんて、フェレスはなんて偉いんだろうね!」
と褒めたらやる気になってくれた。
その代わり「にゃ!」と、どことなく偉そうに、乗ってもいいよ! とツンと言い放った。
そんなことはヒルデガルドに通じないので、黙っておく。彼女も神妙な様子で、フェレスへ横座りで乗った。
跨がないの? と思ったが、彼女はスカートだった。
そもそもこの演習に、何故スカートで来るんだ、と思ってしまう。
丈はいつもの踝近くまであるドレスのようなスカートよりは遙かに短くて動きやすそうだが、その下はストッキングのような薄いタイツしか穿いていない。
アリスたちもひざ下ぐらいのスカートを穿いてきたが、転んで中が見えても大丈夫なようにと騎乗用のズボンを着用していたのに。それでさえ、スカート!? と思ったぐらいだから、ヒルデガルドの姿は正直冗談としか思えなかった。
「後ろに落ちないよう、しっかり掴まっていてください」
フェレスにも気を付けるように言って、走り出した。
しかし、途端に、
「きゃあっ」
と、手綱を離そうとするので、すぐ叱る。
「しっかり掴まって! 手綱を離したらあっという間に落ちて、打ち所が悪ければ死にますよ!」
「だ、だって」
「喋らず我慢してください。舌を噛みます。じゃ、急ぎます」
問答無用で、その後はフェレスを走らせた。
もちろん、シウは自分の足で走るからずっと遅い。当然ながらフェレスはそれに合わせてゆっくり走ってくれていた。
それでもヒルデガルドにすれば、慣れない騎獣のスピードだったようだ。
森を抜けて岩場に辿り着いた時には精根尽き果てていたようだった。
竜騎士たちの休憩場所となっているテント前には王都の竜騎士団団長がいて、シウたちに気付くと慌てて走ってきた。
キリクにも通信で連絡を入れたので、様子を見て降りると言っていた通りに、上空から観察していたらしく即降りてきた。
まだふらふらとしか歩けないヒルデガルドにアウグストが手を貸しながらテント前まで誘導する。
そこへ、ルーナから飛び降りたキリクが顰め面で駆け付けた。
「……お姫さん、自分がどれだけのことをしたのか、分かっているのか?」
頭から叱りつけるような声ではなかった。落ち着いてゆっくりとした言葉使いと、内容を聞かなければ優しく語りかけているようにも聞こえた。
しかし、それだけに、怒っているのがよく分かる。
「公爵の娘という立場を本当に理解しているならば――」
「……キリク様、ヒルデガルド先輩は自分の力を使って役に立ちたかったそうです。だったら、手伝ってもらいましょう」
「なんだと?」
こっちに怒りが降り注いでしまった。吊り上げた目で見られて、シウは苦笑して肩を竦めた。
「竜騎士と従卒ばかりで、救護班が足りないって言ってたでしょう? 本隊が来るまでにまだ時間もかかりますし。ヒルデガルド先輩は治癒魔法がレベル三あるそうです。どうせすぐにはここから移動させられないのだし、手伝ってもらいましょう」
「……お前はその、優しいんだか優しくないんだか分かんないややこしい性格をなんとかしてくれ」
と言って、キリクは頭をガリガリ掻く。が、すぐさまシウの提案を受け入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます