120 少年の初恋は
シウが言ったことを守って演習に参加してきたアリスは偉いと思う。
獣の解体は他の子にもやってもらったが、最初は面食らうものだし、血もあって気持ちの良いものではない。
だけど、この命をいただくのだということを知ってほしかったし、実際に万が一があればもっとすごい量の血を見ることになる。
免疫を付けるための最低限の課題だったのだが、彼女はきちんと果たしてきた。
「ヴィヴィも偉いねえ。何も知らない子に教えるのは大変だったでしょう。お疲れ様」
「あ、ううん。その、まあ確かに大変だったけど、面白い、じゃなかった、楽しかったわよ」
アリスがしょんぼりしたので、ヴィヴィは途中で言葉を言い直した。優しい子だ。
「とにかく、その、あたしはいいのよ。さっ、続き、やりましょう! 腐ったら困るわ!」
わたわたと慌てると、ヴィヴィはコーラにも手伝わせて調理を始めた。
男子はサラダを作ったり、ジャガイモを切ってスープの具材にしたりと奮闘していた。
「こういう新鮮なのも最初だけなんだよなあ」
「日を追うごとに、あの恐怖の干し肉……」
「やめろ。思い出したくない」
「僕は意外と、懐かしいという気持ちがあるのだけどね」
などとわいわい言い合っている。
クリストフは知らないので、アントニーが手を止めずに説明していた。
やがて料理が出来上がった頃、レオンも戻ってきたので皆で一緒に晩ご飯を食べた。
遅い時間だったので、四隅に篝火も焚いている。
中央の広場ならそれほど警戒せずとも大丈夫だろうが、シウたちのいる場所は少し離れている上に林の中だ。
シウの全方位探索では安全だと分かっていたが、誰も知らないので、ちゃんと習った通りに皆、警戒していた。
夜は、普通ならば交代で寝ずの番をするのだが、アレストロの護衛がいる上に、フェレスもいるということでシウは皆に一緒に寝るよう促した。
「詳しくは言えないんだけど、探知の魔道具持ってるから大丈夫だよ。学校側も夜中に何かあったら困るからって歩哨を出しているし、騎士学校の生徒が交替で周辺を回ってくれてるからね」
そこまで説明してようやく皆落ち着いて寝ることになった。
女子のテントの周辺を囲むように、男子のテントを幾つか設置し、空いている場所にはフェレスを置いた。
「フェレス、今日は離れて寝ることになるけど、これは大事な任務だからね。女の子たちを守るんだよ?」
「にゃ!」
「気配に気付いたらすぐ起きて知らせてね」
「みゃ!」
まかせて! と自信満々に請け負われたので逆に心配だが、なんだかんだと本能に従って能力はあるので、任せることにした。
もちろん、シウには全方位探索があるし、現在も強化中のものを使っている。
心配は尽きないだろうが、寝ることにした。
テントに入ると、リグドールがまだ起きていて、寝袋から顔を出した。
「お疲れー」
「待っててくれたの? ありがと」
「別にー」
と言いながら、少し顔が赤い。
用意してくれていた寝袋にシウも素早く入って、明かりを消し眠りの体勢に入った。
ところが、隣のリグドールがまだ起きていることに気配で気付いた。
「……寝られないの?」
「わ、お、起きてたのか? ごめん、俺、煩くしてたか?」
「違う。なんかねえ、息が起きてる気配?」
「なんだそれ。相変わらず面白いなあ」
小声なので、少し掠れたくぐもった声になった。笑い声も喉の奥を震わせるような、小さなものだった。
「……なんか眠れなくて。いろいろ考えてたら」
「ふうん」
リグドールがもじもじしているのが分かって、たぶん何か話したいのだろうなと思って、シウは耳を傾けていた。
暫くして、意を決したようにリグドールが更に小声で話しかけてきた。
「……あのさ……」
「うん」
「……シウはさ、その、アリスさんのこと、どう思ってる?」
「アリスのこと? そうだなあ。……生真面目で、ちょっと空回りするところもあるけれど頑張り屋さんだと思うよ」
「……そうじゃなくてさあ」
リグドールの言いたいことはなんとなく分かる。
彼はアリスに仄かな恋心を抱いているようだし、そういった話を男友達としたいのだろう。
「うーん。可愛い孫、じゃなかった、可愛い子供? みたいな。近所の娘さんの成長を見守るオジサンの気分なんだよね」
「……なんだそれぇ?」
怪訝そうな声に、面白そうな空気が混じっていた。
「アキちゃんもそうなのか?」
「ああ、うん、そうだね。近所の娘さんだね」
「……エミナさんは?」
「彼女は母親。だって、まだ若い女性なのに、言動がお母さんなんだもん」
「あはは」
思い出したようで、うんうんと頷いている。
ひとしきり笑って、落ち着いてから、リグドールはまた真剣な様子で話を続けた。
「……シウ、好きな子っていないの?」
「いないねえ」
「いないのか。じゃ、まだ初恋とかもないんだ?」
「……それはあるかな?」
「えっ、あるの!?」
声を上げたので、シウは慌ててリグドールを叱った。もちろん小声で。
「リグ、皆が起きちゃうよ。静かに」
「あ、はい。うん。ごめん」
そうして二人とも黙って、誰も起きてこないことを確認してから、また会話が始まった。
「……初恋って、誰?」
「リグの知らない人だよ。……初恋だったのかなあと、今になって思うことだけど」
「そんなもの?」
「……いなくなってからもう随分経つから。人間って、失って初めて気付くことが、あるんだよねえ」
「……えっと、その、それってまさか」
「あ、ごめん。湿っぽいよね? 大丈夫だよ。もうずっと前の話だから。気にしないで」
「気になるよう。……わりい。俺が聞き出したからだよな。こっちこそ、ごめんな」
ふうと溜息を吐いて、リグドールは悩ましげにまた溜息を吐いた。
「……リグは、アリスが好きなんでしょう?」
「うっ、そ、そんな直球で」
「見てれば分かるよ。で、何をそんなに悩んでいるの」
「……だって、アリスさんは貴族だし」
「そうだね」
「……それに、彼女は俺なんて見てないようだし」
「友達としては見てると思うけど」
「そう、そこが問題なんだよね!」
「リグ」
「あ、ごめん。小声ね。はい。分かりました」
ようするに気になるのだろう。恋ってこんなものなのかと、微笑ましいやら見ていて恥ずかしいやら。
アルゲオもそうだったが、男は恋をしたら臆病になるようだ。
普段の様子からは全く違って見える。
「……乗り越えなきゃならない壁が高すぎて、時々むしょーに落ち込むんだ」
「そっか」
「相手が貴族の娘でも、頑張ればもしかしたらって思うんだけど。でも心のどこかではそんなの夢物語だって、バカじゃないのかって思う」
また悩ましげに溜息を吐いて、リグドールは腕を出して大きく伸びをした。
「あー! もう、俺こういうのホント向いてない。……でも、好きになっちゃったんだよなあ」
「……そういうの、いいと思うよ」
「え?」
「悩んで悩んで、それでも悩んで。正解なんてどこにもないものなんだよ。夢物語だって誰が決めるの。誰の目も関係ないって。リグはとことん、自分の気持ちに正直になってればいいんじゃない?」
「シウ……」
「たとえ、お断りされたってさ。自分の気持ちは自分だけのものだし」
「最後が酷い……」
「あと、ごめんなさいされたら、付きまとったらダメだよ。それって、ストーカー、じゃなかった、ええと犯罪だからね?」
「……シウが酷い」
鳴き真似をするので、シウは笑いながらリグドールの頭を撫でた。
「よしよし。断られたら慰めてあげるからね」
「大前提がそれって、ほんと酷い」
「その代わり、好きの気持ちをどこまで高みに持っていけるか、考えてみたら? 家を捨ててもいいのか、捨てさせてもいいのか、どういう風に好きなのか。いろんな好きがあるから、どれも間違ってないんだよ。それだけは忘れないでね」
相手の幸せだけを望むことだって、好きのひとつだ。身を引く恋もあるだろう。
逆に相手の立場を奪ってまで一緒になりたいと思う好きもある。
とにかく、よくよく考えなさいね、冷静にね、と話しながらこっそりリグドールに眠気を誘う魔法を使った。闇属性持ちなので簡単である。
リグドールはあっという間に眠りの世界へ落ちて行った。
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