第三章 竜の大繁殖期と魔獣スタンピード
117 演習場へ出発
王立ロワル魔法学院の今年の演習場所は、ロワイエ山脈の麓にある森で、ロワイエ山から見て北西にある場所と決まった。
ここはどこの領にも属さない自由な土地で、強いて言うならば王領に近い。
ただし開墾されていないので当然ながら誰も住んでおらず、税徴収できない土地として管理もあやふやになっていた。
今回どのような意図があって、この場所が選ばれたのかは分からないが、とにかくも演習地としては初めての土地であった。
事前に調査を依頼しており、冒険者ギルドから調査報告書も上がって問題なしという結果が出たので決定したそうだ。
風の日の朝は、王都ロワルが喧騒で渦巻いていた。
魔法学校の生徒と騎士学校の生徒の合同訓練として演習が行われるため、ものすごい数の生徒たちが移動するからだ。
さながら、何かのパレードのようだった。
順番に馬車を使って移動はしているのだが、大人数なので遅々として進まず、兵站科の生徒はやきもきしているようだった。
シウは一年生なので特に何もしなくてよく、のほほんと馬車に乗っていた。
フェレスは並走してついてきている。規則で騎獣持ちでも騎獣に乗ってはいけないそうだ。意味が分からないが、従うしかない。
ちなみに騎士学校の生徒は騎獣持ちの場合は乗って移動していた。
不思議なものである。
馬車の中は事前に組み合わせた仲間同士で乗り込んでいる。
十人前後で組むよう言われていたので、シウはリグドールとアントニー、アレストロ、ヴィクトル、レオン、ヴィヴィ、アリス、コーラ、クリストフと組んだ。
いつもアリスに付き従っているマルティナは最後までアリスの参加を反対しており、結局そこまで言うのなら自分も参加すると言い出したのだが、どう考えても彼女には演習は無理だろうとのことで、父親の力を借りて不参加としてもらった。
マルティナもどこかホッとしていたので、やはり行きたくはなかったのだろう。
実際、クラスの女子もアリスとヴィヴィ、コーラ以外は不参加だ。高学年の女子もほとんどが不参加となっている。
「アリス、ヴィヴィもコーラも、君たちは女の子だから言いづらいかもしれないけど、ご不浄については早めに報告してね。ちゃんと秘密厳守、誰にも分からないようにしてあげるから」
と小声で伝えたら、アリスは真っ赤になりながらもうんうんと頷いた。
一応いろいろと覚悟はしてきたようだ。
ヴィヴィは呆れたような顔をしていたが、アリスにフォローを入れていた。
「大丈夫よ、あたしもいるんだから。シウに言いづらかったら、あたしが代わりに言うから」
「……いえ、守ってもらうのだから、ちゃんと自分で言います。でもありがとう、ヴィヴィ。お互い頑張りましょうね」
「え、ええ、そうね」
アリスを守ると言ったからか、今回このグループのリーダーはシウに決まった。
その方が楽なので、いいよと簡単に引き受けたが、これで面倒なこともあるのだと後で知った。
馬車での移動となるのだが、御者は騎士学校の生徒が訓練として請け負ってくれている。
手を回してくれたようで、シウたちの馬車の御者はアリスの下の兄ミハエルだった。交替の生徒は知らない子だったが、話が伝わっているようでよくよく気を付けてくれた。休憩もよく取ってくれたし、丁寧に運転してくれたのだ。
アリスの上の兄のカールが生徒会にいるそうで、頼まれたと後で話していた。
また、アレストロ家からは護衛として二人が影のように付いて来ている。
侯爵家の子供の護衛としては少ないのだが、その代わりにかなり精鋭のようだった。
大きな休憩は昼時で、ここでシウは打ち合わせだと呼ばれてしまい、ご飯を食べ損ねてしまった。
馬車の出発に急いで走って戻り、仕方ないので馬車の屋根の上で簡単なサンドイッチを口にした。中で食べてもいいよと言われたが匂いが籠って酔われても困るので、断った。
実際、アリスとクリストフが気分悪そうにしていた。
シウは心を鬼にして、自ら言い出すまでは助けようとしなかった。
先に音を上げたのはクリストフで、ごめんと手を挙げて横になってもいいか聞いてきたので、いいよと答えて即席の寝床を作ってあげた。
アリスが羨ましそうに見ていたが、何も言わなかったのでシウも黙っていた。
貴族の子弟であり、淑女教育を受けている女性が横になりたいとは言えなかったのだろう。
ただ、段々と顔色が悪くなっていった。
コーラがはらはらして、ヴィヴィも心配そうにチラチラとシウを見るのだけれど、シウは何度も「だめ」と目で制していた。
団体行動の際に、誰かに報告したり頼ったりすることの大切さを覚えてもらうためには、意地悪かもしれないが絶対に必要なことだった。
とうとう、アリスが、真っ青な顔をして手を挙げた。
「あの、ば、馬車を、とめ……」
と言いかけて、ウッと口元を押さえた。
「馬車を停めて! ヴィクトル、周囲を警戒。レオン、馬車を下りて外の警戒。残りは待機」
すぐにアリスの口元に布をあてがい、サッと抱き上げてから馬車を飛ぶように降りた。
馬車といっても乗合馬車に近く、後方は布で覆われた簡易なものだったから、できた。
なんとか持ちこたえているアリスを抱いたまま、近くの林の中に入り、木の陰で下して、顔を俯けさせた。
「気持ち悪い時は、吐いて」
「で、でも」
「我慢してたら辛いだけだよ。……それに、皆にも迷惑だ」
冷たいけれど、真実を口にした。
アリスは一瞬、動きを止めて、それからウッ、とその場に更に顔を伏せて吐いた。
「大丈夫大丈夫、吐いたら楽になるからね。気にしないでいいんだよ」
できるだけ優しい声になるよう、ゆっくりと話しかけながら、背中を撫でた。
昼に食べた肉が合わなかったのか、乗合馬車のような不安定な乗り物が初めてだからか、相当に辛かったのだろう。
泣きながら吐いているアリスの背を、ゆっくりと撫でる。
「大丈夫だよ。もうちょっとで楽になるからね」
「ぅえっ、えっ……っ、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「気にしなくていいんだって。誰だって同じなんだから。ほら、もう全部出したから、楽になるよ。よしよし」
頭を撫でて、それから空間庫からコップを出して水を入れた。レモンを少量入れたものだ。
「落ち着いた? これで口を漱いで。ちゃんと漱いで吐いてね。見てないよ。大丈夫だからね。はい、終わり」
「っ……ぇ……っ、ひぐっ」
「よしよし。今度はこれを飲んで。気分が落ち着く香茶だよ。吐き気も収まるからね」
子供のようにコクンと頷いて、アリスは常温のそれを飲み干した。
「《浄化》、ほら、綺麗になった。何もないよ、ね? よく頑張ったね」
またコクンと頷いて、コップをシウに渡してきた。
「もう少し落ち着いたら戻ろうか。あ、(レオン、皆にそのまま待機って言っといて。休憩していいよ。おやつ食べててもいいし。クリストフには酔い止めより、レモン水の方がいいかも。僕の魔法袋から取り出して。使い方わかるよね?)」
アリスがギョッとしたが、近くにレオンはいない。
「大丈夫だよ、下位通信魔法を使っただけだから。サブリーダーのレオンには知らせておかないとね」
レオンが傍にいないことを知って、アリスはホッとしたように体の力を抜いた。
「アリス、よく聞いて」
「はい……」
「我慢して偉かったね。でもね、我慢してはいけない時もあるんだよ」
返事はなかったが、話を聞いている証拠に彼女はスカートの縁を握りしめた。
「今は団体行動の最中で、誰か一人の勝手で動いてはいけないんだよ。アリスはきっと、自分の不調のせいで皆に迷惑をかけてはいけないと我慢したんだね。団体行動を乱してはいけないと、判断した」
小さく、アリスが頷く。
「治るかもしれないって、思ったのかもしれない。でもね、こういう時はなんでも話しておくべきなんだよ。ご不浄のことでもそうだよ。何事も早めに、考えて行動しないといけない。君やヴィヴィにコーラは女性だから、とても大変だと思う。だけど、もう少し信頼してもらえると助かるかな」
そう言うと、アリスは不思議そうに顔を上げて、シウを見た。
「……わたしは、シウ君のこと、信頼してます」
シウは、うんそうだね、と笑って頷いてから、でもねと続けた。
「恥ずかしくて言えないとか、迷惑かけるかもしれないから我慢しようって思うのは、信頼してない証拠じゃないのかなあ」
「そんな、違うわ、だって」
「アリス、きついことを言うけれど、もし君が魔獣に襲われて怪我を負ったら、僕は躊躇わずに服を脱がせるよ?」
「!!」
手で口を覆って叫ぶのを我慢するように、アリスは驚いた様子でシウを見上げてきた。
「さっきもしも、アリスが吐けないようだったら、僕は君の口に指を突っ込んで無理やり吐かせていたと思う」
「…………」
「あのね、この演習は、そういうことなんだよ。女の子にとっては大変で、辛いよね。嫌なことだと思う。でも、アリスは勇気をもって演習に参加した。それって、頑張りたいからだよね?」
アリスは涙を零しながら頷いた。シウはポンポンと頭を撫でながら、微笑んだ。
「この演習に参加したことは絶対、アリスにとって有益なこととなるはずだ。こんなに頑張ってるんだから。今後アリスの人生においてどんなに辛いことがあっても、きっと乗り越えられると思うよ。だからね、もう少し、考えてみて。誰かに頼ることを。信頼するってことを」
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