110 同好の士を得たり
シウの謝意に対して、フィリップは真面目くさった顔をして首を振った。
「いいや、それがなんと、これは本物の報告書なんだよ」
「は?」
「これはね、財務管理官のガンプケ男爵から出されたものなんだよ」
「……まさかあ」
「いやいや、それが本当なんだ。驚きだろう? わたしも驚いていたところだ。何が驚きといって、これが財務次官を素通りしてわたしにまで上がってきたことだよ。君のような子供でさえ気付いたのにね」
肩を竦めて苦笑いだ。
「君が見ていたのはこの文字かね?」
「あ、そうです」
却下の文字と、フィリップの名前だ。
「僕、筆耕官になりたいと思ったこともあるほど、美しい文字が好きなんです。侯爵様の文字はとても綺麗でつい見惚れてしまいました」
「おや、お上手だね」
ふふふと笑うので、シウは勢い、身を乗り出して首を振った。
「お世辞じゃありません! こんな美しくて流麗な文字は王都の図書館の筆耕官専用教本でも滅多にお目に掛かれません!」
つい興奮して叫んでしまったので、フィリップは若干引いてしまったし、隣でもアレストロが唖然としている。
「あ、ええと、すみません。でも、尊敬するアロイス=ローゼンベルガー氏に近いものを感じて、つい、その」
「……ローゼンベルガー殿の文字を知っているか」
「あ、はい。でも、なかなか見付かりませんでした。作者がニコライ=ヴァルカーレの方の『オーガスタ帝国が滅亡した謎』の改訂十版原書と、『古代語の韻と、その系譜』の原書しか。ものすごく好きなんですけど」
「……君はなんというのか、いや」
そう言ってからフィリップはチラリとアレストロに視線をやった。それからにやりと笑ってシウに近付き、肩を叩いた。
「面白い子だね。うん、良い子だ。そうか。文字が綺麗か。褒められるのは嬉しいものだね」
「父上の文字は真似のできない美しさがありますよ。当たり前すぎて、申し上げたことはありませんでしたが」
アレストロがフォローを入れてくれて、シウはホッとした。
「……隻眼の英雄が気に入るわけだ。アレストロ、良い友人を得たね」
「はい」
「シウ君、今度、ローゼンベルガー殿の書いた本を見せてあげよう。わたしの家宝でね、大事に仕舞ってあるので今すぐに見せてあげられないのが残念だ。日を改めて披露するとしよう」
「い、いいんですか?」
思わず声が震えてしまった。この場合、お世辞だとかは気にしない。シウは遠慮する気など全く考えずに、彼の言葉へ覆いかぶさるよう聞いてしまった。
フィリップは一瞬ふと笑ったかに見えたが、すぐに頷いてくれた。
「もちろんだとも。同好の士だね。よろしく」
手を差し出してきたので、シウは慌てて彼の手を握った。大きな、ペンだこのある手だった。
忙しい身の侯爵を急かすように秘書が入ってきたので、最後にアレストロをよろしく頼むと言われて執務室を後にした。
廊下を歩き出すと、慌てたように執事が早足でやってきた。
「若様、こちらを」
「ああ、うん、そうだったね」
アレストロがにこやかに絹でできた包みを受け取って、はい、とシウに渡す。
「何?」
「父上から、面倒を見てもらうお礼として、君に渡すよう言われていたんだ」
「え」
「前回は通行証だけという失礼をして申し訳なかったとも仰っていたよ。ごめんね、貴族としてはいろいろあるんだ」
「あー、えーと」
受け取っていいものやら思案していたら、老齢に達した執事の男性が、そっと耳元で囁いて教えてくれた。
「お受け取りください。こういったお礼を、拒否してはならないのがしきたりでございます。また、返礼も不要です」
「そうなんですか」
「失礼ながら、差し出がましくも申し上げさせていただきます。高位貴族、まして隔たりのある階位の方からの礼物はどのような事情であろうともお受け取りくださってようございます。お相手様に裏の意味があろうとも、ご契約がなくば問題はございません。ご返礼も、同じような意味合いで必要ございません。しかしながら、坊ちゃまが授爵されましたら、やりとりはまた変わってきますが」
「あ、それはないです」
慌てて否定する。
そしてにっこりと笑ってお礼を口にした。
「教えてくださって、ありがとうございます。物知らずで失礼をしてしまうところでした」
ぺこりと頭を下げると、執事はきょとんとした後にすぐさま笑顔になった。
「若様、良いご友人を得られましたようで、爺も安心でございます」
「うん、そうだろう」
にこにこと笑ってアレストロが絹の袋を渡してきたので、受け取った。
空間魔法と鑑定魔法で、中身が何かは分かっていたがここで言うわけにもいかない。
そして受け取ってしまった以上は、貰っておくしかないのだろう。
仕方なく、そのままアレストロと一緒に裏門まで歩いていく。
こちらのお宅でも、正門はそれなりの相手、つまり高位貴族などでしか使わないそうだ。
裏門といっても立派なもので、親しい間柄のお客様なら普通に使えるものらしい。使用人が使うのは更にもっと裏手にあるそうで、そうすると裏門という名前はおかしいのだが、人様の家のことだからと考えるのをやめた。
フェドリック家で一番質素な馬車に乗りこみ、アレストロの護衛と共に屋敷を後にする。
馬車の中ではお互いに苦笑し合った。
「父上があんなに嬉しそうなのは初めて見たよ。シウはすごいねえ」
「そうかなあ。それより、これ、本当にいいの?」
「貴族の仕組みだからね。中、確認するんだよ。秘書が用意してるから渋ってるかもしれないけれど」
笑って言うので冗談だと分かるが、おそろしい台詞である。
一応、その場で広げてみる。高級な木の箱に入って、音がしないよう薄紙で一枚一枚巻かれた金貨が三十枚。
「これが【山吹色のお菓子】かあ」
思わず呟いてから、慌てて言い直す。
「相場より随分高いよね!」
「え、さっき……? あ、うん、そうかな。そんなものじゃないの?」
「……アレストロって、そういえば自分で買い物したことないんだったね」
うん、と素直に頷いてから、途端に目をきらきらさせたので、シウは慌てて手を振った。
「ダメだからね! 今回は買い物じゃないんだから」
「……はーい」
アレストロが段々と庶民風の言葉遣いを覚えてきているのだが、いいのだろうか。
不安になりつつ、シウは金貨三十枚が新人から抜け出したぐらいの騎士の一ヶ月の報酬だと教えてあげた。
ただ、アレストロはそれでも首を傾げて、じゃあ妥当な金額じゃないのと言っていた。
お金の価値を知らない人は怖い。
でもこの話を突き詰めると、また買い物ツアーがやりたいなどと言い出しかねないのでこの話はここで終了となった。
馬車は途中でヴィクトルを乗せて、一路、中央地区の庶民の家へと走って行った。
翌朝、日も上らないうちに中央門を出た。
それぞれ騎獣を借りている。各家の騎獣を持ち出しても良かったのだが、これも勉強のうちだからと騎獣専門店カッサで予約していた。
シウだけは持ち出しだが、主従関係の騎獣を持っている場合は滅多なことがない限りは借りたりしないので当たり前のようにフェレスへ乗っている。
合宿に参加するのはリグドール、アントニー、アレストロ、ヴィクトルと、レオンだ。
レオンにこういうことをやるんだけどと声を掛けたら、週末はギルドで仕事をすると断られたのだが、途中でやっぱり参加したいと翻してきた。
「森に行くなら、採取をやってみたい。あー、ギルドからは見習いのうちは行ってはいけないと言われていて……シウが一緒なら構わないとクロエさんも言っていたし」
ということらしい。もちろん、快く受け入れた。
ヴィヴィも参加したそうにしていたが、親の手伝いもあるし、何よりも女子一人というのはよろしくない。なのでお断りした。
その代わり彼女も演習には参加するので、その時に一緒のチームになろうと話している。
演習では十人で行動するように言われているから、なんとかなるだろう。
貴族たちはさすが、馬術も幼い頃からやってきているため騎獣にもなんなく乗れているようだった。
レオンは学校の授業で始めたらしいが、元来の運動神経が良いのか上手に乗りこなしている。
リグドールとアントニーは若干不安定ながらも、練習の成果が見て取れる。
問題はシウだ。
フェレスがお出かけを喜んでしまって浮き浮きしているのだ。というか、本当に浮いている。飛んではいけないと言っているのに、ついついふわふわと飛ぶものだから皆との足並みも揃わずに、先輩騎獣たちから白い目で見られていた。いや、そんな風に感じただけかもしれないが。
そしてフェレスはと言えば、我関せず、マイペースに走るのだった。
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