101 学祭二日目戦略科




 学祭の二日目は、大量の桃を用意するところから始まった。

 桃を綺麗に剥くことが誰もできなかったのだ。

 早生桃を用意したあとは、シウの作った《保存庫》に小分けして放り込む。わざわざ小分けにしておかないと、使うたびに出されていたら桃が悪くなるからだ。

 保存庫には、変色を防ぐ魔術も組み込まれているので果物向けだ。

 この保存庫は魔道具の冷蔵庫のように思われていたので、適当に説明している。

 午前中のうちにできるだけ用意をしてから、昼ご飯ぎりぎりまで粘ってから急いで高学年の教室まで行った。


 今日ばかりは意地悪をする人もおらず、皆が自分たちの作業に没頭したり、楽しんだりしていた。

 戦略科では、シミュレーションマップを展示しており、シウはその受付担当だ。

 お客さんが来たら説明したり、案内も兼ねるということだったが、お客さんは来なかった。

 エドヴァルドが何回かやってきてはその都度違う誰かに説明を施していたぐらいだろうか。

 途中でエイナルが来て、疲れた様子でシウを労ってくれた。

「先生、お疲れですか?」

 と心配になって聞くと、エイナルは子供のように「うん」と答えて、テーブルに突っ伏してもごもごと愚痴を零していた。

「教師の仕事はね、いろいろと大変なんだよ。受け持ちクラスの生徒たちは言うことを聞かないし、ここでは超高位貴族の子弟が二人もいて気を遣うし」

 忙しすぎて普段の精神的疲れが体にも出てしまっているのだろう。生徒以上に教師は管理及び監視をしなくてはならない。人の出入りも多くなり、専任の警護がいるとはいえ片時も気を抜けないに違いない。

 シウはぽんぽんとエイナルの背中を撫でるように叩いてから、鞄から取り出したような仕草で、空間庫から食べ物を取り出した。カフェで出しているものと同じ、在庫だ。

「エイナル先生、良かったらどうぞ。僕が作ったんですけど、クラスでやってるカフェの出し物と同じですから、食べられると思いますよ」

「……シウ君、君はなんて良い子なんだろうね」

 起き上がってこちらを見つめるエイナルの目は、ほろりときたようで潤んでいた。

「あのー、そこのサボり教師、客観的に見てやばいので、もう少し教師としての威厳を持ってくださいよ」

「ああ? なんだ、エッヘか。ふん、威厳などいらん」

 エッヘもサボりにきたようだ。じーっとテーブルの上を見ているので、仕方なく彼の分も空間庫から取り出した。

「どうぞ。早生桃のタルトです。デコレーションはカフェの方じゃないとできないので、見た目が味気ないですけど。こっちは濃く煎れた珈琲と生乳を半々で混ぜたものです。軽くメープルを入れて風味とコクを出しています。結構いけますよ」

「……君、本当に良い子だね」

 エイナルはシウの頭をなでなでしてから、盛り付けも何もされていないケーキを鷲掴みにして食べた。

 一応、皿やフォークなども出していたのだが豪快だ。

 その向かいでは、立ったままエッヘが手を付けていた。

「あのー、イヴォンネ先生に見付かったら怒られますよ」

「いいよいいよ」

「無礼講だからね。あー、それにしても、これ美味しいね!」

「疲れた体に沁み渡る、一服の清涼剤」

 楽しそうだからそれ以上は強く言えず、シウは黙って素知らぬ顔をした。それとなく伝えたのだし、後は本人たちの問題だ。

 シウの《全方位探索》ではちょうど、教養科の怖い先生イヴォンネがすぐそこの廊下の角を曲がって来たところだった。


 夕方に近い頃、交代の生徒が来てくれた。

 遅刻だったが何も言わずにいたら、鼻白んだ様子で受付の席に座っていた。

 それで教室を出て行こうとしたら入ってくる者とかち合いそうになった。探索で来ているのは分かっていたが、急に方向転換されたのだ。

 結局全方位探索も多少便利なだけで、こうしていざという時には役に立たない。

 どんなものでも完璧なものはない、という言葉そのものだ。

 今後、危険に遭わないなんて自信はまったくないので、もう少し真剣になっていろいろ鍛えておかないと、と思う。

「ぼんやりしてるなよ、邪魔だ」

 とまあ、そんなことを言われないためにも。

 シウが会釈して通り過ぎようとしたら、腕を取られそうになって慌てて避けた。

 相手がムッとしたのが分かる。

「……俺が汚いみたいな態度を取るのは止めろ。汚いのはお前の方だろう?」

 戦略科の授業で、最初の頃から突っかかってきていたエドガーだった。

「お前、サルエル領の者だろう? なら子も同然だ。偉そうにするんじゃない」

「……え?」

 いろいろな意味でよく分からなくて、思わず素で問い返してしまった。

 すると、エドガーとそのお友達が騒ぎ始めた。

「俺を誰だと思ってるんだ!」

「エドガー=サルエル、あー、先輩? ですよね」

 一応。と付け加えそうになりつつ答えたら、からかっているのかと言わんばかりにお友達連中が顔を真っ赤にして怒鳴る。

「なんだその物言いは!」

「一年のくせに!」

「こいつ、教育的指導が必要なんじゃないのか」

 最後の人はなんかにやにやしていて気持ち悪かったので、シウは眉を顰めて見てしまった。

 困ったなーと思っていたら、もっと困った存在が向こうからやってくる。

 虐めレーダーとか発生しているのかなと余計なことを考えていたら、目の前のエドガーが手を出してきた。

 分かり易く、シウの胸元を掴んで引き上げようとする。

 ただ悲しいかな、腕力が足りない。とても吊り上げられるものではなかった。

 とはいえ服は引きつれるし、なんとなく格好も付かないので爪先立ちになって、両手で落ち着いてと伝えようとしたら。

「きさま、こっちがおとなしくしていたら付け上がって」

「やめたまえ!」

 ホッとした。

 ヒーローの登場にではない。ヒーローの後ろに本物の、サルエル領を治めている伯爵の子がいたからだ。

 偶然だろうが有り難い。

「一年生に何をしてるんだ、君は」

「エドヴァルド先輩、お、わたしは」

「先日から気になっていたが、授業中の君の態度には目に余るものがある」

 エドガーが慌ててシウから手を放したので、服を綺麗に直しながら目で追った。

 心配そうな、それでいて困ったような様子でちらちらとこちらを見ていたので、手を振って声を上げた。

「カリーナ先輩! カリーナ=サルエル先輩!」

 まったく知らない、顔も見たことのない少女だったけれど、人物鑑定では見かけていた。シウの出身地のサルエル領領主の第五子にあたる人だ。

 すると彼女はばつが悪そうな顔で、しかし周囲の女友達に押されて、シウのところまで来てくれた。


 目立つ格好になったが、彼女も貴族の子女であるからか覚悟を決めたといった顔になり、きりっとした態度でシウの前に立った。

 裏切り者の女友達は生徒会長エドヴァルドの近くにいけるとあってキャッキャと騒いでいる。

「あなたは、その、初めてお会いする方よね?」

「はい。お会いするのは初めてです。シウ=アクィラと申します。十二歳の一年生です。以前からお姿を拝見しておりました。僕はサルエル領アガタ村の出身ですので」

「まあ、そうなの。……わたくしはカリーナ=サルエルです。サルエル伯爵の第五子で、十六歳、四年生よ」

 軽く膝を曲げて、挨拶してくれた。優しい人のようだ。

「それで、どうしたのかしら。その、騒ぎになっているようですけど」

「はい。お呼び立てして申し訳ありません。実は彼が、エドガー=サルエル先輩が、僕のことを『子も同然だ、偉そうにするな』と仰って、こう胸元を掴んできたんです」

 してみせると、カリーナのみならず、周囲に集まっていた女子生徒たちが「まあ!」と野蛮な態度に対する嫌悪感を表した。

「ひどい、そのようなことを、こんな子供に?」

「まだ小さい一年生に、そんな態度を取るなんて……」

 とざわめく言葉に、ずっとエドヴァルドへ言い訳をしていたエドガーが口を噤んだ。

 形勢逆転したことを悟ったようだ。彼の友人たちがまだ何か言いたそうにしていたけれど、とにかくエドヴァルドが目の前にいては下品な言葉は使えないし、うまく口を挟めずにいた。

「僕の住んでいたところを、仮に養われ子という立場にするならば、寄親はサルエル領領主様となりますよね?」

「え、ええ」

「ならば、主筋はカリーナ様の父上となるサルエル伯爵ですよね?」

 ようやくカリーナにもシウの言いたいことが分かったようだ。

「……そうです。我が父が、あなたの主筋となるでしょうね」

「エドガー先輩は、確か――」

「わたくしの父の父、祖父の弟の子ということになります。けれど、傍系ではありますが、庶子の子です。憐れに思った祖父が庶子の弟にもサルエルの家名を名乗らせることを許しましたが、それが主筋を騙って良いわけがありません」

 事態を飲み込んでくれて、さらにはそこまではっきりと言ってくれた。

 シウは改めてお礼の意味も込め、頭を深々と下げた。

「いいのよ。これは主筋の務めですから。それに、わたくしも困っていたの。ちょうどいい理由ができたわ。ありがとう」

 肩をポンと叩かれた。

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