092 宮廷魔術師は怒りんぼ
夜の空気がゆるやかに流れ込んでくる。飛竜の風魔法が揺らいでいた。
「とにかく気になってしようがない。まるで魔性の女だな。サラなんぞ、少年趣味に走ったのかと勘繰る始末だし」
「あ、サラさんって恋人なんですか?」
「ぶはっ、お、おま、やめろよな! あんな女、ただの腐れ縁だっての」
その慌てぶりが逆におかしいのだけれど、本人が必死で否定しているので頷いておく。
それよりも気になることがあった。
飛竜の様子が、微かにだがおかしい。
キリクは気付かないようで、まだサラとの関係を否定したり、彼女がどれほど亡き夫を愛していたかを話している。
少しして、飛竜の動きが元に戻った。
なんだろう、高度を維持するのが大変だったとか? それとも突風が吹いて安定させるのに苦労したとか?
飛竜に乗ったのがまだ二回目なのと、キリクたちが気にしていなかったのでシウも深くは考えなかった。
キリクの話はやがて、大昔にパーティーを組んで冒険者のようなことをしていたというところまで進んでいた。
領都に到着すると急いで屋敷まで戻り、荷物を持ったまま慌ただしく転移用の建物の地下へ向かった。
来たときと同じメンバーで転移門に入る。
スヴェンの詠唱は事前に読み込むタイプのようで、ぶつぶつと呟いていたのはそのせいだった。
「では、いきますよー」
との言葉で転移が始まる。
それで気付いた。いきますよー、が最後の発動キーになっているのだ。
おかしくなって思わず笑ってしまった。
が、到着した時には笑い顔は消えていた。やはり時間差があるように思う。
「ちょっと時間かかるんですね?」
と、たまたま横にいたイェルドに聞いてみたら、いいえと不審そうに見られてしまった。
「数秒ぐらいは、転移の間に進んでいませんか?」
「いいえ。転移とは、瞬間に飛ぶものですよ」
「あ、そうなんですか。ふうん」
知らなかったなーという風を装ったものの、気になった。
すると、歩き出した皆を見送る形となって残っていたスヴェンが、すすすと近寄ってきた。
「あ、スヴェンさん」
「前に誰かに、転移されたこと、ある?」
「え?」
「あのね、こういった門を使わないで、個として飛ぶ場合は時間差を感じないみたいだよ」
「そうなんですか?」
「門を通ると、構築式? を読み取るのに多少の時間がかかるみたい、だと、空間魔法の大先輩から教わったんだ」
「そんな方がいるんですね」
「えっ、宮廷魔術師だよ。シウ君、知らないの? 魔法学校に通っているんだよね? 魔法学校の生徒なら当然目指しているよね?」
まるで宮廷魔術師が魔法使いの憧れのように言わないでほしい。
確かに、魔法使いのひよっこたちが通う学校では、宮廷魔術師になるのを目標にしている子も多いけれど。
「第一級宮廷魔術師のベルヘルト=アスムス先生だよ。名前は知ってるでしょ?」
シウは曖昧に頷いた。
記録庫から貴族大全を引っ張り出してきたが、ない。
ふと気付いて奥付を見てみた。ロワイエ暦だと一三三五年。十年も前の発行だった。
「……最近、その、貴族になられた?」
「ああ、うん。ずっとなりたくないって仰ってたんだけど、第一級宮廷魔術師が貴族位じゃないなんてって叩かれたようでね。いつだったかな、七~八年前に男爵を賜ったんだ」
我が事のように無邪気に喜んでいる。
この人は、とても素直で優しい人なのだろう。
「先生にはねえ、とても扱かれたんだよ」
遠い目をして言う。その目は懐かしさというよりは、苦難から脱却した喜びに溢れていた。どうも厳しい先生だったようだ。
「この国には今、一人しかいない空間魔法レベル五の持ち主だよ」
そんなことを言ったら自分はそれよりレベルが下だとバラすようなものなのだが、いいのだろうか。
「その先生が、転移門を通る時に時間差を感じると仰っていたんですか?」
「そうそう。そんな話だったね。先生がよく、人の作った転移門を通ると気分が悪いと言って怒ってらっしゃったんだよねー。時間差もあるのに、他の人は一瞬で通れるって喜んでるし、余計に腹を立てて」
怒りっぽい先生のようだ。
「とにかく、個で飛ぶのが一番楽でいいって、毎日仰ってたねえ」
毎日怒っていたのか。なかなか大変な先生のようである。やっぱり宮廷魔術師にはなりたくないと思った。
「でも、巻き込まれるなんて大変だったね。トラップ? あれ、嫌だよね。普通に転移するのでもいまだに慣れなくて嫌なのに、それが無理やり飛ばされるんだもんね。よしよし」
可哀想にと言って頭を撫でられた。
基本的に良い人なのだろう。騙しているようで申し訳ないが、彼の勘違いを正さずに話を流した。
遅い時間だったので、家令のリベルトから泊まっていくよう勧められて、仕方なく承諾した。
フェレスももう眠そうだったので、可哀想に思ったのもある。
そのまま部屋に案内されて、お風呂は断って眠りに就いた。
翌日の朝早くに出掛けようとしていたら、慌ててリベルトがやってきて謝られた。
「貴族街への通行証をお渡しするのを忘れておりました。大変申し訳ありませんでした。正門を通れましたでしょうか」
「ああ、いえ、別の方に貰っていたので大丈夫でしたよ」
ほら、と見せたのだが、リベルトからはオスカリウス辺境伯の裏書きがされた通行証を渡された。
「ええと、でも」
「どうぞ、お持ちください。こういったものは幾つあっても無駄ということがございません。使う場所は限られましょうが、ここぞと言う時に威力を発揮するものです」
奥の深い発言をされて、シウは苦笑で受け取った。
表書きはなんと辺境伯ご自身だった。
「旦那様はまだ寝ておりますので、お見送りはご勘弁いただきますが――」
「いえ、僕が早起きなだけです。お世話になりました。キリク様にもお礼を申し上げていたと、お伝えくださいますか」
リベルトはにこやかに了承して、孫を見るような目でシウを見下ろした後、送り出してくれた。
断ったのだが、門までは護衛を付けてくれた。
その為か、正門を大手を振って通ることができた。
急いで家に戻り、母屋のスタン爺さんのところへ顔を出した。
下位の通信魔法で伝えてはいたが、やはり心配された。
「なに、無事で良かった。ほれ、学校へ行かんと遅刻する」
はよういけ、と尻を叩かれて、離れ家へ戻って着替えてからフェレスと共に学校まで走った。
フェレスが、自分に乗ってく? みたいな調子で背中を見せてきたが、一応まだ完全に成獣となったわけではないので「大人になったらね」と返したらむくれられた。
もうおとなだもん! と尻尾をぶんぶん振って当たられた。
転移門のことは一応秘密だから、リグドールたちには週末にオスカリウス辺境伯の領地へ遊びに行ったことは内緒にしていた。
ただ、遊びの誘いを断ったこともあって、邸宅に呼ばれていたとだけ話してある。
すると、学校へ着いた途端にリグドールから質問攻めを受けた。
「なあ、飛竜いた? どうだった? 乗った?」
顔に興奮してますと書いてあるようだった。
アントニーも珍しく興奮していて、シウに詰め寄ってくる。
「ねえ、やっぱり辺境伯の家は鎧だらけ? 僕も行ってみたいなあ」
「僕もお邪魔したことがないから、一度行ってみたいよ」
とは、アレストロだ。
「家が近いのに行ったことないの?」
と聞けば、
「そんな普通には行けないものだよ」
と苦笑された。
庶民の家とは違うらしい。確かに、用もないのにお邪魔するのもどうかと思う。
「辺境伯はパーティーなども催さないしね」
「そうなんだ」
「奥様がいれば、そういったこともあるだろうけれど。彼はずっと独身だからね」
ふうん、と生返事をしていたら、マルティナが珍しく会話に加わってきた。
「仲のよろしい女性などはいらっしゃいませんでしたか?」
ツンとした顔で聞くので一瞬答えに困ったが、アリスが横から小声で窘めていた。
「もう、おやめなさいったら。噂話をしてどうするの」
貴族の女性が噂話をもっとも喜んで愉しむと聞いてはいたが、こうやって情報を集めるのか! と思うと些か恐ろしくなった。
こんな少女のうちから、女性は女性なのだ。
「で、どうでしたの? 奥方となりそうな方はいらっしゃって?」
目が怖いよ、と思わず零したら、アリスが真っ赤な顔をしてごめんなさいと謝るわ、リグドールは大笑い、アントニーとアレストロたちは肩で笑うということになってしまった。
当の本人は目をパチパチとさせた後、ツンとして席を離れて行った。
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