088 ストーキング魔法とハニートラップ




 サラとイェルドがシウを見ていたが、すぐに料理へと視線を移したようだった。

 彼等は女神サヴォネの名を小さく口にしてから、胸に人差し指で縦に一本描くようになぞってから食事を始めた。

 キリクは特に何もなく、食べ始めている。

 不思議だったのがレベッカだ。彼女は縦と横に線を引いた。あれは複数神を崇める場合だ。

 シュタイバーンでは女神サヴォネのみを信仰することが多いのに、珍しいものだと思った。

 たぶん父母で信仰が違うのだろう。


 食事は和やかに進み、疲れただろうからと食後の「紳士会合」には誘われなかった。いわゆるスモーキングタイムである。

 貴族や上流階級では多いそうだが、晩餐会の後に男性のみで場所を移して葉巻や煙草を楽しむそうだ。もちろん、ブランデーなどのお酒も楽しむ。

 女性の場合は、ワインとお菓子、という組み合わせが多いそうだ。

 晩ご飯に重たいものを食べるというのも、更にその後に高カロリーなものを摂取するという習慣も、前世の健康ブームを知るシウからすれば恐ろしいことだった。

 だから貴族にはでっぷり太った人が多いのだと思ったが、口にしたことはない。

 女性だけはほっそりとしていたが、これはドレスを美しく着たいがために、晩餐以外の食事を抜くからだそうだ。

 こちらも恐ろしい話である。


 シウはデジレに案内されて、客人用の浴室へと連れられた。

 介添えを申し出られたが、丁寧にお断りする。もちろん二人だけだったので、お互いに冗談めいてのやりとりだった。

 浴室は三~四人が入れるぐらいの大きさで、シウの離れ家のものよりも小さかった。

 貴族の客人用でもこの大きさだから、この国のお風呂に対する立ち位置は推して知るべしだ。

 お風呂から上がると、用意されていた寝間着を着て、その上からローブを羽織って自室へと戻った。

 フェレスはベッドの横に自分の巣を作って、すでに寝ていた。

「クッションと玩具と、なんだっけ、これ、あ、テーブルの上にあったレースか」

 自分の周りにぐるりと気に入ったものを集める癖は小さい頃から変わらない。

 レースを手に取ると、爪で引っ掻いて糸が切れかかっていた。

 ふうと溜息を吐いて魔法を掛けて修正する。たぶん、この部屋を出るときにもまた修理することになるだろう。

 さて、と振り返って部屋の様子を眺める。

 念のために、闇属性魔法でトラップも仕掛けていたが、特に何もなさそうだ。

 部屋の探査にも異常はない。

 元より、フェレスを置いてくるので部屋には《探索強化》を掛けていた。

「じゃあ寝ようかな」

 ベッドに入って、ウトウトとし始めて、実際にも寝掛かっていたのだろうと思う。

 が、寝ながらでも発動している《全方位探索》に引っかかりがあった。

 また勝手にパチンと切れる。

 目を瞑ったまま、切れた糸を追いかけてみた。

(《魔術追跡》)(《鑑定》)

 やはりサラの魔法のようだった。

 昨日感じた、ぞわりとする感覚。

 空間魔法による転移を抜けた時の感覚。

 これは、他人から魔法を掛けられた時に起こるのだと分かった。

 無意識のうちに無害化魔法の自動化を行っているようだ。《全方位探索》のように常に張り巡らせているのは構わないが、その割には魔力量が減っていないのが不思議だった。

 ギフトに近いからだろうか。

 空間庫も魔力庫も、常に稼働しているのにこちらは魔力量が減ることもない。

 こちらも神様からのプレゼントということだったので、そのようなものかもしれないなと結論付ける。

 そんなことを考えていたら、サラの寄越してきた魔法の内容が解析し終わった。

 昨日と同じく、ストーカー魔法だった。

 代わり映えしない内容だったので、シウはそのまま眠りに就いた。

 そして、朝起きるまでの間に計四回、サラからの影に潜ませた追跡魔術が投げ込まれていたことが分かった。

 シウ自身は寝ていたので、朝起きてから自己鑑定をかけてみて分かった事実だ。


 翌朝は快晴で、領地を案内してもらう約束だったので良かったねとデジレと二人喜んだ。

 朝食はそれぞれが好きな時間に摂っていいということで、朝早いシウはさっさと済ませ、デジレと共に探検の続きを行った。

 屋敷内は終わっているので、宿舎や獣舎などを回る。飛竜専用の獣舎には十数体がいて、更に領都外にも大きな飛竜の獣舎が幾つもあると聞いた。

 魔獣のスタンピードが起こると、一刻を争う。飛竜も、それに乗る竜騎士もたくさん抱え込んでいなくては、いざという時に困る。とはいえ彼等を養うのは大変だ。

 オスカリウス領がお金に困っているという話は聞かないし、むしろ裕福な方だろうとは思っていたが、昨日からの見学でも質素倹約に勤しんでる様子も見受けられないので領地経営は順調のようだ。

 領地内に二つの地下迷宮があるからかもしれない。

 迷宮は上手く稼働させれば、儲かると聞いた。

 ただし、辺境だけあって問題も多い。特に黒の森に面しているのは大問題だろう。

 砦を作ったのは国だし、常駐しているのも国の軍隊だが、砦の維持は辺境伯持ちだろうし、常駐軍への兵站管理も辺境伯が行わねばならない。

 食糧の面倒まで見なくてもいいとはいえ、領地にそんなものを抱え込むのは嫌だろう。

 と、そこまで考えていると家族用の宿舎から見知った顔が歩いてきた。

「おはようございます」

 とデジレが挨拶したけれど、早くはないぞと思う。

「スヴェンさん、おはようございます」

「やあ、デジレ君と、ええと、シウ君だったっけ」

「はい」

 頭を掻き掻き、のっそりと歩いてきたのはスヴェンで、その横には若い女性が寄り添っている。

「あ、えっと、彼女、俺の妻なんだ」

 えへへと照れ臭そうに笑う。

「初めまして。リンカーと申します」

 丁寧に頭を下げられたので、シウが一応キリクの客人だということは知っているようだ。

「シウ=アクィラです。奥様なんですね」

「はい。わたしなどが妻などと、おこがましいのですが」

 と謙遜でもなく本気で思っているような口調で彼女が答えたのだが、

「いや、そんなことはない! 君が妻だというのは、俺の誇りだ。君は本当に素晴らしい女性なんだ!」

 激しい動きと口調でマシンガンのように繰り出したスヴェンには、笑いしか漏れなかった。

 デジレなどは失笑を隠そうとして失敗し、鼻が痛いと言って、肩を竦めていた。

 そしてシウの耳元で囁いた。

「新婚さんなんだ。スヴェンさん、結婚の了解をもらってからずっと舞い上がりっぱなしなんだよ」

「そうなんだ」

「長い春で、ようやくだからねー」

 リンカーは二十八歳。この世界では、結婚するには遅いぐらいの年齢だ。

 スヴェンは三十九歳。かなりいい歳のオジサンだ。

 歳の差婚よりも、長い春が気になった。

「……いくつの時からお付き合いされてたんですか?」

 まだくねくねしていたスヴェンに聞いてみると、てれてれと顔を赤くして答えてくれた。

「俺が二十七の時かな? リンカーは、十六歳だったよね?」

「ええ。まだメイド見習いでしたから」

「子供だからと、デートに誘うのも気が引けて。君と行った王都のレストラン、思い出すなあ!」

 また自分たちの世界に入った二人は無視して、シウはデジレに聞いてみた。

「もしかして、リンカーさんってキリク様のところのメイド?」

「え、うん、そうだけど」

「二人の仲を取り持ったのってキリクさんだったりして」

「そうだよ。すごいね。よく分かるね」

 分かりますとも、とツッコミを入れそうになった。

 キリクがどうやって空間魔法持ちの魔法使いを取り込んだのか分かった。

 なんという、ハニートラップだ。

 イェルドが言葉を濁すはずだ。

 もちろん、リンカーにも嫌だと断る自由はあったと思うし、結果として今こうして心底から喜んでいるようだから愛に間違いはなかったのだろうけれど。


 その後、いちゃいちゃしている二人を捨て置き、屋敷に戻った。

 ようやく起きだしてきた大人組を見て、デジレは呆れながらも予定を伺うことは忘れなかった。

 結果、遅い朝ご飯の後に、領都の案内兼散策。

 翌日の朝から地下迷宮に行くということで計画は決まった。


 領都観光にはデジレにレベッカも付いてきてくれた。

 キリクの仕事があるだろうにと心配したが、そちらはイェルドが付いているそうだ。

 役には立たないが、スヴェンもいるしとレベッカが付け加えていた。

 スヴェンは元々この領地出身で、キリクとは幼馴染みとは言わないまでも知り合いだったそうだ。サラも同じようなものらしく、彼女の娘のレベッカもスヴェンに対しては軽い口調だった。

 とにかくこの話を聞いて、ハニートラップが良い意味合いのものだったらしいと気付いてホッとした。

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