087 辺境伯領
今回、シウがキリクの領地へついてくることにしたのは、空間魔法を使った際の揺らぎを第三者として調べてみたかったからだ。
もしシウが転移なり空間魔法を使った際、誰かに察知される可能性がどれほどあるのかを知りたかった。
なので、出来得る限りの探知をかけていたし、魔術式も覚えた。
後でまた落ち着いて調べてみたいと思った。
転移門の魔術式が描かれた円から出ると、スヴェンが疲れたように目元を揉み込んでいた。
こっそりと彼に鑑定魔法を掛けてみた。
(《人物鑑定完全》)
スヴェン(人間)三十九、転移門管理者
魔力 三三(六七)、体力 八(一三)、筋力 一三(一三)、敏捷 一三(一三)、知力 一八(二五)
空間魔法四
その後にもつらつらとあらゆる情報が流れていく。それらを記録し、ふと魔力量の減りに気付いた。
転移門を通る前はほぼ満タンの魔力量だったのに、たった一度の転移で三十も減っている。
これでは一日に二度しか使えない。
ポーションで回復させたとしても、元々の体力が少ないので使用量は決まってくる。そう何度も使えないだろう。
転移するにも制約は多そうだと気付いた。
早足で出ていくキリクにはイェルドが付いていき、シウにはデジレが付いてくれて地上へと向かった。
建物を出て振り返ると、やはり偽装のためだろうか、古びた外観だ。
中身は妨害魔法などで固めているし、地下にも階数が幾つかあった。たぶん、行先が違うのだろうと思う。
「あれが下働きの人たちの宿舎です。独身寮と、こちらが戸建てで家族用です」
「別棟になるんですね」
「はい。お傍で仕えている者には屋敷内に部屋を与えられていますが、端と端で離れているんですよ」
「何かあった時に困りませんか?」
「交代で詰めていますし、イェルド様は常に隣のお部屋ですから」
「わあ。気が休まりませんね」
「どうでしょうか。お二人は幼馴染みということですし、仲も宜しいですけど」
でも主従関係だぞ、と心の中で呟いた。
その心理が理解できないので何も言うまいとは思うが、誰かに仕えるというのはどんな気持ちなのだろう。
ふと、フェレスを見て、こんな気持ちなのかなあと想像してみた。
可愛くて大事で、この子のためならなんでもしてやりたい。
だからといって甘やかすのでもなく、成長して欲しいと思う。
……ちょっと違うかな?
「よしよし」
辺りを楽しげに見回しているフェレスの頭を撫でた。
「にゃ?」
なにー? といった感じで見上げてくるフェレスに、シウは微笑んだ。
「可愛いですね」
隣を歩くデジレもシウの視線につられてフェレスを見ていた。先ほどまでの緊張はどこかへ消え、目が柔らかくとろけている。
「フェーレースですよね? 可愛いですね」
「はい。もうそろそろ成獣なんですけど、それでもやっぱり可愛いです」
「もしかして卵石から育てたんですか?」
「はい」
その後、案内されながらフェレスが如何に可愛かったかを話し続けた。デジレは猫を飼ってみたいらしく、いいなあと何度も呟いていた。
オスカリウス領の屋敷は王都と似たような質実剛健といった雰囲気の石造りで、城と呼べるほどに大きなものだった。
ただ、通されたのは裏口からで、辺境伯自身もそちらを使って中に入っていく。
「表門は王侯貴族のお客様がいらっしゃった時にしか使わないんです。普段はキリク様さえ、こちらを使っています」
「ふうん」
こちらには《探索強化》を掛けても妨害はなかった。
裏門から入ると、普段使いの部屋や執務室に近いようで、皆も気楽なのだろう。
表門から入れば長く歩かねばならないようだし、大中小のホールも邪魔だ。
客間などもそうだが、見せる場と、実際に使う場とを明確に分けているようだった。
貴族の家らしくて面白い。
「シウ様は、こちらのお部屋をお使いください」
案内されたのはイェルドの部屋から数部屋離れたところにある、仲の良い客人用のものらしい。
中に入ると、石造りの頑強な屋敷の見た目と違って、山羊乳のような柔らかい壁の色と落ち着いた木組みの内装だった。床も板張りで、常に拭き清めているのかしっとりとした色合いだった。油引きも大変な作業だろうに丁寧な仕事をしているようだ。
家具も、備え付けのクローゼットと合わせた色合いのものを作ったようで、アンティークなところが素晴らしかった。
自然と手でなぞっていたようだ。
「お気に召されましたか?」
「うん。とっても。僕の家にも、古い家具が置いてあるんだ。それを丁寧に拭いてね、使ってるんだけど。飴色ですごく綺麗なんだよ」
「良かった。あ、いえ、喜んでいただけて嬉しいです」
思わずといった風に、シウにつられてデジレが敬語を解いたので、お互いに顔を見合わせて笑った。
「良かったら、普通に喋ってもらえないかな? 僕も、その方が楽なんだけど」
「……ええと、ですが、その」
「友達なら、いいよね?」
「あ、はい。えっと、いいのかな?」
「じゃあ、他の人の前ではお仕事として、二人だけの時は普通に喋ってくれる?」
デジレは照れ臭そうに笑って、うんと頷いた。
荷物を片付け終わると、デジレに屋敷内を案内してもらった。
貴族の客人を呼んでのパーティーは主が苦手なのであまりしないことや、押しかけられた時の案内場所などを面白おかしく説明してくれる。
屋敷内の探検が終わる頃、晩ご飯の用意ができたという報せの鐘が鳴った。
キリクと共に食事をするのはイェルドやサラ、レベッカに、その時々の客人だそうだ。
今回ならシウが参加する。
王都の屋敷だとシリルとアマンダも一緒に摂るそうで、本当に仲が良いのが窺えた。
デジレは見習い中なので、慣れ合いになってはいけないからと見習いが取れるまでは下働き扱いなのだそうだ。
シウは一度部屋に戻り、そこでデジレと別れた。
服を着替えてから、食堂に向かう。フェレスはさすがに置いてきた。寂しがるかと思ったが、新しい玩具を見せたら喜んで食い付いていた。
食堂には装いも新たにしたサラやレベッカがすでに到着しており、シウは教養科の礼儀作法で習ったやり方を思い出しながら挨拶した。
「女性をお待たせして申し訳ありません」
すると、面白かったのか、レベッカに笑われてしまった。
「やだ、いいのよ。そんな畏まらなくても」
「そうなんですか?」
「ええ。むしろくだけた方が、キリク様はお喜びになるわ。ねえ、お母様」
「そうよ。それより、レベッカ、お母様はやめて」
「あら。じゃあママって呼んでもいいの? 子供みたいって笑ってたくせに」
二人の軽い口調に笑っていると、性質がそのまま表れた格好のイェルドがやってきた。
女性陣がドレス姿なのに、イェルドは軍服のような固い格好をしている。
更に後ろからキリクが小走りに来ているのだが、これまた軍服のようだ。かなり着崩していたが。
「遅れたな、悪い」
「いつものことよ! さあ、座りましょう」
ここではサラが仕切るようだ。
メイドたちがサッと現れて、シウを席まで案内してくれた。
男性陣は女性二人をさりげなくエスコートして席まで連れて行く。
礼儀作法にギリギリ則ったような軽い調子だったけれども、ごく自然で美しかった。
料理をサーブしてくれるメイドたちの動きにも緊張などはなく、少し力の抜けた感じが逆に美しく見せる。絶妙のバランスで素敵だと思った。
少なくとも、学校の食堂の二階にある貴族専用と化したサロンとは全く違って見えた。
あそこは専用のウェイトレスがいるのだけれど、貴族が雇って連れてきているのだから相応のランクのはずが、緊張しているのかとても冷たい表情をしていた。
面白がって《俯瞰》で視ていたのを後悔したほどだ。
「さあ、遠慮せずに食べてくれよ」
「はい。いただきます」
手を合わせる仕草は、幼児期におかしいのだと気付いて止めていた。
ただ、爺様に教わったやり方だけは癖になっている。
胸に拳を当てる、お祈りに近い挨拶。
最初は宗教的なものかと思っていたが、ロワイエ大陸ではサヴォネシア信仰という複数神を崇める宗教が一般的なのだが、この挨拶の仕方とも違う。
狩りをした時にも行う「命をいただきます」のお礼という意味合いがある。
あまり見かけないが狩人に多い仕草だった。
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