082 インキュバスと飛竜と
厩舎長はシウが現れたことでホッとしたようだが、事態が好転したわけではない。
彼はなんとか説得を試みていたようで他の調教師たちと一緒になってソフィアを宥めている。
「契約を済ませている騎獣には手を出してはなりません。人の騎獣を奪うことは犯罪なのですよ」
「ですから、その子はもうわたしのものだと何度言えば分かるの? 彼から離してちょうだい。きちんと躾けないと」
そう言って鞭をしならせる。
とんでもないと調教師が首を振った。
「騎獣に鞭を使うなど、有り得ない!」
「誰に向かって喋っているのよ! 偉そうに!」
「お嬢様、どうかお静まりください」
そう話し合っている間も、護衛たちは動かない。表情筋すら失ったかのように、ただソフィアだけを見て立っている。
職務に忠実すぎるというのか、あるいはヒステリーな少女に付き合うのがつらくて考えることを放棄したとか。どうも後者のような気がしてきた。
「フェーレースはわたしにこそ相応しいのよ。どうしてそれが理解できないの? ねえ」
シウはなんだか段々と不安になってきた。
彼女は心に問題でも抱えているのだろうか。ただのヒステリーではなくて。
こういった中流以上の人には偉そうな態度の人が多いから、同じようなものだと思っていたが、ここまでおかしいと怖くなる。
妙に気になって、久しぶりにフルの人物鑑定を掛けた。
と同時に声がした。
「悪魔憑きか」
キリクだった。
人物鑑定の結果も同じ。
以前にはなかった、表示が出ていた。
(《人物鑑定完全》)
ソフィア=オベリオ(人間)十三、学生
魔力 三五(四九)、体力 一〇(一三)、筋力 八(八)、敏捷 八(八)、知力 五(二一)
火 二、金 一、風 二
状態異常→インキュバスの虜
初めてみた表示に驚いた。同時にまあつらつらと他にも必要のない情報が流れるように見えたが、そのへんは無視だ。女性のスリーサイズとかどうでも良いし、内臓の疾患についてもこの際関係ない。
フル鑑定するとこうした余計なものまで見えるので鬱陶しい。ただし、フル鑑定しないと状態異常や病気の有無などまでは分からないのだ。
抽出してみることができたらいいのに、鑑定魔法というのは規定があるのかどうか、どうもうまくいかない。特に人物鑑定というのは大変である。
水晶を使ったステータス確認と同じで、決まり事があるのかもしれない。
このことも知りたかったが、王都にある図書館でも魔法学校の図書館でも知ることはできなかった。
話が逸れたが、キリクのおかげでソフィアのぎらぎらした視線がフェレスから逸れた。
「変なこと、言わないで!」
「変も何も。お前おかしいぞ。後ろの護衛は、直接は受けてないのか。誑かされた口かな?」
シウは素直に感動した。鑑定魔法持ちではないのに一目見て気付くとは、すごい。
歴戦の強者だからか、あるいは。
「少女とはいえ、女だな。インキュバス辺りに唆されたのか。難儀なことだ」
肩を竦めて飄々と話すキリクは、やはり慣れた様子で対峙している。
と、シウの横にイェルドがそっと近付いてきた。
「シウ様、こちらへ」
「はい。ありがとうございます」
小声で答えて、フェレスを促し、その場から少し離れる。
「問題が大きくなる可能性があります。この場からお離れになっていた方がよろしいでしょう」
「……やっぱり、魔法学校の生徒が魔人と契約したなんて、まずいですよね」
「状況によりますが、そうですね。巻き込まれると大変です。後はこちらで収めておきますので」
「……はい。お手数かけますがよろしくお願いします。それと、事情もありますのでお話しさせていただきますと、お伝えください」
イェルドは了解しましたと言って軽く頭を下げ、厩舎長にも声を掛けに行った。
その間にシウは隠蔽魔法を使いながらフェレスと共に獣舎を後にした。
気にはなったが、変に魔法を使って覗き見ているとせっかくの心遣いも無駄になる。
諦めて、シウはそのまま帰宅した。
帰宅してフェレスを見てみると、特に怪我をした様子もなかったのでホッとした。
ただし、ひどく甘えてきた。
シウが着くまでに嫌なことを言われたのかもしれない。
「大丈夫。僕は絶対にフェレスを手放したりなんかしないからね。フェレスは僕の宝物なんだよ」
「みゃぅぅ」
嬉しいのか、うにゅうにゅと鳴いて、体をぐねぐねさせながら頭を擦り付けてくる。
その日はフェレスを存分に甘やかして可愛がってあげた。
それにしても後悔ひとしおだ。
キリクの持つ魔眼魔法はユニーク魔法で、警戒して《人物鑑定完全》を掛けられなかった。もし反対にこちらの情報を取られたらと思うと怖くてできなかったのだ。
その為、全方位探索も距離を縮めて、微弱な魔力量しか使っていなかった。
「あれは鑑定に近い能力があるのかな」
あるいは過去の経験によるものかもしれないが、ソフィアが悪魔憑きであることを看破したのはすごいことだった。
「あーでも、借りひとつかあ」
ソフィアに絡まれたこと自体が面倒事で、更に悪魔憑きの少女に追い回されたなどと噂されたらとんでもないことになる。
それを上手く処理してくれるなら、借りひとつでもしようがないか、と思うことにした。
翌日、早めに学校へ行ったが、特に誰からも何も言われることはなかった。
せいぜいクラスメイトたちから昨日の勧誘はどうだったと、聞かれるぐらいだろうか。
そうして昼ご飯を食堂で過ごし、フェレスを預けていた獣舎へ寄ると。
「辺境伯、と、イェルド様」
「名前でいいぞ。イェルドも、様は要らないよなあ?」
「キリク様に言われたくはございません。が、シウ様、わたしのことはどうぞイェルドとお呼びください」
そういうわけにもいかないので、シウは苦笑して「さん」付けで呼ぶことにした。
獣舎からフェレスを連れ出す時に、厩舎長と簡単に話し合った。トマスから調教の指導を受けていたが、結局昨日と今日サボることになった、その事情について知らせてくれたそうだ。
トマスはシウと同じく騎獣持ちなので、昨日の件についてはかなり憤慨していたそうだ。シウには同情していることと力になるということを伝言してくれていた。今はソフィアの件があるので、また来週にでも会おうということだった。
シウとフェレスは馬車に乗せられて、オスカリウス辺境伯の王都での屋敷に連れて行かれた。
貴族街でも王城に近く、立派な屋敷だった。ただ以前お邪魔したことのあるフェドリック侯爵家よりはずっと厳めしい面構えをしていた。
強い私兵を持つ家だからだろうか。
それぞれの家に特徴があるようなのも見て取れる。
なんとはなしに建物を見ていたが、お向かいがグランバリ侯爵家、王城近くにあるのがカサンドラ公爵家というのも分かった。グランバリ侯爵家は派手な造りで、ともすれば下品にも見える。カサンドラ公爵家は落ち着いた古風な様子だ。
そしてフェドリック侯爵家は何故かオスカリウス辺境伯家よりも王城から離れていた。
どういう力関係なのか、貴族の世界は分からない。
窓から見える様子でそんなことを考えつつ、門をくぐった。
高位貴族ともなると、敷地内に飛竜の厩舎は当然あるようで、発着場も広々としている。
シウは屋敷内には案内されず、飛竜の前に連れて行かれた。
「こいつが俺の可愛い子ちゃんだ。ルーナ、挨拶は?」
まるで恐竜だなと目の前の飛竜を見上げて思った。大昔に観た恐竜の映画そっくりだと思う。パニック映画で人間を襲う話だったが、不思議と目の前の飛竜に襲われるとは思わなかった。
調教されているからという以前に、自然な感じで、そう思った。
はたして、ルーナと名付けられた飛竜はシウに鼻先でキスをしてきた。
「お、気に入られたようだな」
シウの頭頂部にちょんとキスしてきた飛竜は、次に不機嫌な鳴き声を上げたフェレスにもちょんとキスをした。
まるで、宥めるように。
「にぁー」
フェレスが変な鳴き声で耳をピコピコ動かす。どうしていいのか分からずに、シウの後ろへ隠れてしまった。照れたのだろうか。
どうも相手の方がずっと大人の対応をしたようだった。
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