081 過去の日本人転生者




 その古本に書いてあったのは、水を使った多重式で、読み解いていくうちにあることが分かった。

「どうしたんだい? 何が書いてあるのか分かったなら――」

「あー、ええと」

 急かすように言い募るカスパルを、ダンが横で宥めつつシウに期待の篭った視線を向ける。

 シウはひとつ頷いてから答えた。

「温水トイレのための、魔術式ですね」

 どこの誰だと、笑いがこみあげてくる。

 大昔に日本人が転生して考え付いたのだと思った。

 完全にシャワートイレの仕組みだったからだ。しかも細かい。こんなことを考えるのは日本人に違いないと思えるほどの。

「温水、トイレ?」

 理解できない彼等に、シウは笑いながら教えた。

 特に尻に温水シャワーが直接当たるのだと言った時の彼等の顔ときたらなかった。

 嫌そうな顔をしたり、不思議そうな顔、中には妙な想像をしたのか顔を赤くして俯く者もいた。

 まあ、確かにシャワートイレの出始めには、変な意味合いにとった人もいたようだ。

 が、カスパルはものすごく食い付いてきた。

「つまり、なんだ、衛生的に尻を掃除してくれると、そういうことだね?」

「掃除というと言い方は変ですが。あー、それと、痔の人にはとても良いようです。痛みに耐えながら拭かなくていいので」

 この世界にもトイレットペーパーなるものは一応存在している。が、痛くてごわごわしていて、ひっそりと不評だ。

 貴族などは柔らかい布を使い捨てにしているところもあると聞いたことがある。

 あるいは、不浄専門の「浄化」をする魔法使いを雇っている者もいるとか。

 ちなみに王都以外の庶民はそのへんの葉っぱを採取してきて使う。

 糞尿と一緒に早く自然に返るので、紙よりは推奨されていた。柔らかいし意外に使い勝手もいいのだ。ただ、雨の日が続くと採取ができずに大変だけれど。

 とにかく、トイレ事情は不浄のことといってなかなか表に出辛いが、このようになっていた。

「紙を必要としないので、濡れた箇所を布で拭けば済みますね。あるいは、この本には載ってませんが、ついでに温風が流れるような魔術式を組み込めば布さえ要らない」

「す、素晴らしい……」

「浄化が使える人って意外と少ないし、便利と言えば便利ですね」

「でも、魔道具なら庶民には手が届かないよね。僕は買ってもらいたいけど」

 少し太めのランベルトは、お尻に手が届きづらそうなパフォーマンスをして見せて、笑う。

 学年は下だが年齢は上のヴィゴが、ランベルトの頭を叩いた。

「お前は痩せろって」

「だって」

 授業でもいつも何かを食べているランベルトは、ぷっくりと膨れっ面だ。とはいえ、二人は仲が良い。

 そんな二人が小突きあってるのを横目に、ボリスが問いかける。

「昔の人はこれに、お金をかけたのかな?」

「その時代は普通に使えたのかもな。魔核や魔石が豊富だったのかも。今の時代よりは魔道具も多かったはずだっていうのが歴史の先生の二言目だし」

 ダンが答える。カスパルも頷いた。

「羨ましい話だよ。潤沢にある魔核や魔石に、たくさんの魔道具。想像しただけで涎が出てくる」

「出すなよ」

「それよりも、これ、再現できるかな?」

 人の話を聞かないカスパルが、シウに聞いてきた。シウは頷いて、それから少し考えて、答えた。

「……簡略化もできそう。これ、それほど難しく考えなくてもいいんじゃないかなあ。昔の人は魔力量が多かったのか、使う本人の魔素を利用した術式になってる」

「だったら余計に魔核が必要になるんじゃ――」

「ううん。状況を変えたらいいんだよ。無駄なところを省くんだ。優先順位を付けるというか」

「どういう意味?」

 カスパルとボリス、それぞれに説明する。

「水道技術は発達してるよね、シュタイバーンは」

「あ、ああ」

「水は常にあるものとして考えて、便所に配管を組み込んでしまうんだ。あとは少し温めて、お尻に放出するだけだから大して魔力は使わない。術式自体は難しくないから魔核も最小限でいいと思う」

「そうか、何もかもを魔法に頼るのではなく、あるものを利用するということか!」

「そうしたら、意外と安く上がりそうだね」

 ランベルトが嬉しそうに言う。大商人の子は高いか安いかをやはり問題にするようだ。

「あとは術式か! うーん、そうなると解読も楽しくなってくる」

 カスパルは解読したり、古代語の魔術式を研究するのが楽しいだけのようだが、他の面々はそれを利用できないかというところまで考えていて、面白い。

「で、シウ、ここは何という意味?」

「これは、温度の高低について決めるための、大中小という意味みたいです」

「おお! よし、じゃあ、となると、これは強弱だろうな」

 何もかもを質問してくるわけでもないし、自分で考えるのも好きなのだ。

 皆が楽しそうにしているので、研究科七クラスの授業はシウも楽しかった。


 授業が終わっても、ああだこうだと言っている先輩方を置いてシウはお先に失礼しますと部屋を出て行った。

 廊下に、ねっとりと待つ二人がいたからだ。

 思わず呆れた顔で見てしまった。

「その視線が段々と快感になってきたな」

「キリク様、そのように変態じみた発言は控えてください。余計に嫌われますよ」

 漫才を見ているようだったが、シウは諦めて溜息を吐いた。

「……庶民を追い詰めるには良い手法ですね」

「うん?」

 思わず嫌味を言いたくなったが、その態度と返事には裏が見えず、本気で意味が分からないようだった。

 イェルドは理解したようで、目線を下げた。申し訳ないという気持ちが少なからずあることに、ホッとした。多少は良識を持っているのだ。あくまでも、多少だが。

「庶民である僕が、貴族の方からの申し出を断るには余程のことがないと難しいです。特に学校生活を送っていることを勘案すれば、少なくともここに重きを置いていることは想像に難くない、はず。なのに逃げ場のない僕を、更に貴族の子弟が多くいるであろう高学年クラスの近くで、待っている図というのはどうしたって『追い詰めている』ことに違いないでしょう?」

 断れないようにわざとここで待っていたのだと思った。

「あ、あー、そういうことか。いや、その、なんだ」

 後頭部をがしがしと掻き毟るようにして、キリクは頭を下げようとしてイェルドに止められていた。

 そこで頭を下げると更にシウの評判が悪くなるからだ。

「すまん。その、俺はどうも自分が貴族という自覚があまりなくてな」

「……僕は庶民という自覚はありますよ」

「うっ。まあ、その、うん。自覚なく、貴族の悪い癖が出たようだ」

 頭を下げはしないが、その真摯な態度に嘘はないようだった。

 思い込んだら一直線というタイプのように見えた。

 それをイェルドが窘め宥め押さえているのか。

「とりあえず、ここで話すには人目がありすぎます。場所を変えてもいいですか?」

「もちろんだとも」

 許してもらえたと思ったのか、キリクは視線を上げてにっこりと微笑んだ。

 先ほどまでの態度が嘘のようだ。

 が、瞳には揺れ動く色が見えた。


 まさか獣舎に連れて行かれるとは思っていなかったのか、キリクの唖然とした顔を見ることができた。

 イェルドは歩きながらどこに行くのか気付いていたようだ。

 獣舎の入り口では家僕が待っていて、シウを見付けると急いで走ってきた。

「例のお姫様が来ております!」

「え」

「厩舎長が止めておりますが、急いでください」

「あ、はい」

 シウはキリクたちに待っているよう伝えてから獣舎の中へ入って行った。

 どうしてこう面倒事は重なるのだろうと思いつつ、広い獣舎の中を走って進み、騎獣専用の部屋へ入ると今にもフェレスへ鞭を打とうとしているソフィアを見付けた。

 キリクの魔眼魔法が気になって、全方位探索を弱めの状態にしていたのが裏目に出た。

「やめろ!」

 怒鳴ると同時に鞭が放たれたが、シウが魔法を放つまでもなくフェレスはひらりと躱して余裕の表情だ。

 どのみち彼には防御の付与を施したスカーフを付けさせている。

 大丈夫だというのは分かっているのだが、心の底からヒヤリとしてしまった。

「いい加減にしないと、僕も怒るよ!」

「にぎゃ!」

 自分も怒る! といった風にフェレスが鳴いた。そして、トトトと飛ぶように跳ねながらシウに近付いて、ぴったりと寄り添った。

「良かった、なんともない? 大丈夫だった?」

「にゃ!」

 二人で顔を見合わせてから、ソフィアと、その護衛らしき男たちに視線を向けた。

 彼女の顔は醜悪に歪んで、どこか黒ずんで見えた。

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