078 騎獣の調教




 大きくなってきたフェレスは、もう獣舎に預けている。

 拗ねるので休み時間ごと会いに来るし、昼休みは食堂まで連れて行く。端の席に座るのもそのせいだ。

 この獣舎でもシウは掃除を手伝ったり、他の騎獣や馬の世話もするので気に入られていた。

 それを利用するわけではないが、くれぐれもフェレスのことを頼みますとお願いしてある。

 ましてソフィアを見かけてしまった。

 勝手に連れていかれるだけなら取り戻せもするが、フェレスが怒って反撃した時が怖い。

 怪我をさせてしまうとどんな無理難題を言い出してくるか分からないので、念には念を入れて調教師や厩舎長に頼んでおく。

 幸いにして良い人ばかりなので、お菓子という付け届けも笑って受け取ってくれるから助かる。


 シウが獣舎からフェレスを出していると、魔物魔獣学の教師トマスがやってきた。

 彼は騎獣持ちで、調教師の資格もあるから獣舎の管理も務めている。ここで会うのは初めてだが必須科目の授業では何度も顔を合わせていた。

「やあ、シウ君。もう帰りかい?」

「はい。さっきドミヌラと遊ばせてもらいました」

「喜んでいただろう? ドミヌラはシウ君やフェレスが大好きなようだ」

 お嬢さんという意味がある名のドミヌラは、狼型騎獣フェンリルの、雄だ。

 名付けについて人のことは言えないが、トマスは独特の感性を持っているようだ。

「あの毛並みがいいですよね。美しいし、格好良いです」

「そうだろうそうだろう。わたしも毎日のようにブラッシングしているんだがね」

 顎鬚を撫でつつ、言う。

「君のフェレスも素晴らしい毛並みだ。一度聞いてみたかったんだが、どこの洗い粉を使っているのかな? 毛艶の良さもさることながら毛触りがとても良い」

 おお、同士だ。

「オイルを混ぜた石鹸を使っているんです。種子や花から抽出したオイルで、とてもしっとりするし良い香りがするので、フェレスも気に入ってるみたいです」

「なんと、洗い粉ではなく石鹸を使っているのかね。贅沢な……お風呂にも入れてやってるのか?」

「はい。お風呂好きなんです、フェレス」

「……人間のわたしでもお風呂は毎日入れないのに」

「はあ」

「だが、羨ましい。石鹸、オイル入り」

 なんだか悩み始めた。

「一応、フェーレースに禁忌のものは使ってないんですが」

「ああ、それは本能で分かるだろうから問題ないよ。だが珍しいね。お風呂好きとは」

「ドミヌラは嫌いなんですか?」

「あの子は泥遊びが一番好きだね! まあ、水浴びも好きだが」

 話しながらトマスは苦笑した。なにやら思い出したようだ。

「フェレスも泥遊びは好きですよ。ただ、小さい頃からお風呂に入っていたせいか、一緒に入ってきますね」

「ふーむ。面白いものだ。ああ、ところで、フェレスはそろそろ成獣だろう? 躾はいつから始めるのかな」

「そろそろ始めてはいるんです。ただ、本格的にはカッサの店のリコラに頼もうかなあと考え中です」

 本当なら任せっぱなしにするのが良いそうだが、調教を覚えたいこともあってシウともども頼むつもりだった。

「リコラか。彼なら教え子だよ」

 顎鬚を撫でて、思案している。

「……どうだろう、放課後にここでやってみないか」

「え、いいんですか?」

「ああ。実は他にも調教しなくてはならない子がいるし、君なら調教を覚えるのも早そうだ。そのつもりだったろう?」

「あ、はい」

「ならば、調教魔法のレベルが高いわたしの方が向いているだろうね」

「えっと、でも、その場合、依頼料はどのようにして支払えば?」

「教師が生徒から受け取るわけにはいかん」

「……そういうわけにはいかないでしょう?」

 何言ってんだ、この人は。という目で見たのが分かったのか、トマスは苦笑した。

「せっかく、庶民の子の懐事情を考えて発案したのに。……では、そうだな。ううむ。あ、こうしよう! 先ほどの石鹸を分けてもらえないだろうか? うん? だが、そちらの方がむしろ高くつくのか? だとしたらわたしのしたことは――」

「先生先生」

 思考がぐるぐる回り始めたトマスを止めて、彼の提案を受け入れた。

「石鹸で手を打ちます。安くつきます。なんたって、手作りなので」

「材料代もあるだろうに」

「僕、山育ちなもので、材料はほぼタダです。あと、野生の竜馬の尻尾から作ったブラシも付けます」

「乗った!」

 簡単に釣れてしまった。

 トマスはにこにこと笑っているし、お互いに良い契約となったようだった。


 ついでに彼にもソフィアの話はしておく。

 経緯を知りたいというので説明したのだが、騎獣の交換を言い出されたところに話が差し掛かったら、とても憤慨していた。シウの話を一方的だとは言わずに親身になって聞いてくれたのも、普段からシウが獣舎で丁寧な世話をすると厩舎長から聞いていたかららしい。

 真面目にしていれば誰かが見てくれているものなのだ。

 いつもフェレスの面倒を見てくれている厩舎長にも感謝した。


 その話の時にトマスから聞いたのが、昨年、生徒の間に妙な噂が流れたということだった。

 騎獣を持つ生徒が成績を優遇されるとか、戦では騎獣に乗れないと魔法使いは出世しないとか、である。

 魔法使いは基本的に体力がないし、戦士向きでもないので後衛だ。

 時に足手まとい扱いされたりもする。

 戦でも守られながらの参加が普通なので、騎獣付きだと重宝がられるそうだ。

 騎獣というのは主を守り戦うものだから任せておけば安心ということだろう。

 それでソフィアは発奮して、より良い騎獣を求めたのだろうか。

 可哀想に、彼女の騎獣ルコはこの学校の獣舎でも見かけないし、今日も傍にはいなかった。

 卵石から育てた騎獣を連れ歩かないなど、シウには考えられなかった。

 実際、幼獣のうちは連れ歩く必要があるからこそ、食堂にだって入ることが許されるのに。

 ルコのことを考えたら悲しくなった。

 トマスも神妙な顔で頷いていた。




 フェレスの調教はトマスの空き時間に行うこととなり、ますますシウの学校生活のスケジュールに変化が出てきた。

 午後に完全な空きができるのは金の日のみとなり、午前の完全な空きは水と土の日となった。

 しかも友人たちとの付き合いや、突発的に授業が増えたり長引いたりもするので平日に冒険者ギルドの仕事を受けるのはほぼ無理となる。

 これまでも控えていたが仕方ない。

 ただ、まるで受けないのもギルド会員としてはよろしくないので、風か光の日のどちらかは依頼を受けるようにした。

 空いた方の一日は趣味に費やす。

 行ってはならないと言われているロワイエ山の麓に出向いて採取や狩りをしたり。フェレスを広々としたところで遊ばせてもあげたかった。

 もうこうなると、門を通る必要もないなと感じて、堂々と部屋から転移して向かっている。

 フェレスが喋れなくて良かったと、この時は思った。

 まだ幼獣のフェレスだから喋れたらばれたはずである。


 そのフェレスとの意思疎通だが、トマスによると卵石から育てているのならば高い確率でできるという。

 シウが今までになんとなく感じていたことを話すと、それが意思疎通だと言われた。

 トマスとドミヌラは付き合いが二十年になるのでもっとはっきりと言葉として通じているそうだが、フェレスは幼獣だというのと本来の獣の性質上こんなものらしい。

 つまり。

「もうやだー、あそびたーい、って言ってる気がします……」

「うん、そうだね」

 訓練に飽き飽きしている様子が伝わってきて、それはトマスにももちろん分かったようだ。

「まあ、しようがないね。フェーレースは元々飽きっぽいんだ。賢いだけに、怠けるのも上手いから。こういう子は煽てて、やる気にさせることだね」

 とりあえずは、シウが指示しない限り、人を襲わないことなどを覚えてほしい。

 我慢してもらわねば人が暮らす街中での生活は難しくなる。

 訓練で我慢する代わりに、ご褒美として森の中での狩りがあった。

 森でのフェレスは生き生きとしていて、楽しげだ。

 王都での暮らしは窮屈なのだろうかとも考える。

 だが、可愛がられることに慣れたフェレスは、シウよりもずっと人に甘えるのが上手だった。トマスにも、サボりたい時は頭をこすりつけて、みーみー鳴いてみせる。

「ね? このように、フェーレースは甘え上手なんだ。賢いものだろう?」

 肩を竦めて、トマスは笑っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る