070 若様のローマの休日
無理だ、ダメだ、ありえないの台詞三つでしばらく喧々囂々と小声で騒いでいた皆だが、アレストロから伝家の宝刀? が振り下ろされてしまった。
「父上からね、誓約書もらってきたよ」
「……用意周到すぎて、笑える」
リグドールがテーブルに突っ伏してぐだぐだになった。アントニーは呆然としているだけだし、ヴィクトルは天を仰いでいる。
そこでつい先ほど合流したアリスが羨ましそうな顔をしたが、マルティナに「アリス様は絶対ダメです」と釘を刺されていた。
「……なんにせよさ、ここにエミルがいなくて良かったよな。あいつがいたら、庶民の家に若様が泊まるなど言語道断ですーとか言い出しそう」
アレストロの従者のエミルは最近姿が見えない。なのでヴィクトルが従者の代わりをしていた。
「ああ、エミルね。彼、授業についていくのが厳しいようで補講に追われてるんだよ。本人は学校をやめて家僕扱いで傍に付きたいというのだけれど、それはダメだと父からも言われていてね」
「……嫌々なのだから許してやればいいものを」
珍しくヴィクトルが発言した。それに対してアレストロが困惑顔の笑みという妙な表情でヴィクトルを見て、返した。
「君も頑張って続けているじゃないか」
「……ですが」
「エミルは逃げてるだけだよ。それはダメ。だから彼の父親も、僕の父も許さないんだ」
何だかいろいろとあるらしい。
それにしても彼は用意周到で、リグドールだけでなくシウも苦笑が漏れた。
お願いと、今度は頭まで下げられたので仕方なく受け入れることにした。
とりあえずは、
「庶民に頭を下げるなよー、やばい、あっちの貴族たちが睨んでる!」
というリグドールの台詞が一番の理由で。
アレストロには約束してもらったことが三つある。
誓約書通りに、何かあってもこちらに責任を負わせないこと。
自宅屋敷に帰るまでの間はシウの指示に従うこと。
学校外では普通の学生らしく振る舞うこと。
以上だ。
アレストロは東上地区に別宅を持っていて、平日はそこから通っている。週末には家族の住む貴族街の屋敷まで戻るそうで、その間は護衛に守られていた。
今回は馬車に乗っての移動となり、途中カフェにも寄りたいと言われていた。
内緒で護衛は付けられているのだろうが、普通の学生らしいことがしてみたいという要望に応えた父親からの依頼であるし、誓約書も丁寧なものだった。
基本的にはアレストロが自宅屋敷に帰るまでがシウの責任ということになる。
責任は負わせないと言われても、預かるからには責任が生じる。ましてや友人だ。
だから勝手気儘な行動や言動は慎んでもらおうという意味で、約束してもらった。
アレストロに限っては我が儘などないと思うが、言質をとっておけとリグドールやアントニーが小声でつっついてきたので、そういうことになった。
ついでにヴィクトルも参加し、リグドールとアントニーもお目付けとして来ることになった。
アリスたちは女性なので無理だ。
彼女たちと共にいるクリストフが来たそうにしていたが、双子の姉のコーラに、
「アリス様が我慢されてるのに、あなたが行って楽しんだら悪いでしょう」
と釘を差していた。
友人と言いつつもやはり貴族間には序列があり、正式に契約していないのにもう従者のような気分になるらしい。
貴族に生まれなくて良かったなと、シウは思った。
翌日の風の日の朝、東上地区までアレストロを迎えに行った。
エミルも来るのかと思っていたが、風の日も補講があるそうでヴィクトルしか付き添っていなかった。
馬車は控え目にしてほしいとリグドールが念押ししていたからか、庶民風の飾りのないものが用意されていた。
ただし、見る人が見れば高価だというのが分かる。
「あれでお忍び用だって言うんだから、笑えるだろ? 分かるっつうの」
リグドールが馬車を前に小声で漏らしていた。
彼も朝から一緒に付き合ってくれることになり、シウはリグドールを迎えに行ってから来ている。
気分は引率の教師だ。
この日は馬車に同乗するので、フェレスは置いてきている。
そのことを言い渡してからずっと不満そうで、機嫌を直してもらうために多大なる時間を必要とした。
スタン爺さんが新しい玩具を進呈してくれて、更には遊んでくれるというのでなんとか危機を脱した。
もう少ししたら成獣としての躾も始める予定だが、フェレスには離れて待つ、ということを覚えてもらうのが一番大変そうだと思った。
「では、若様、お気をつけて行ってらっしゃいませ。アクィラ様、お手数をおかけして申し訳ございませんが、くれぐれも若様をよろしくお願い致します」
心配するアレストロ専任の執事から丁寧な挨拶を受けて、馬車は動き出した。
御者と隣に座る男性は、共に護衛だろう。
雰囲気が同じで静かだ。物々しい雰囲気がなく、自然体に見える。
フェドリック家は一流の護衛を雇っているようだった。
まず最初に向かったのは中央地区にあるアドリッド家のカフェ、ステルラだ。
シウも客として入るのは初めてで、少しわくわくしていた。
案内はリグドールがしてくれるそうで、馬車から最初に降りた。
護衛が辺りを見回しつつ、ひとつ頷いてからアレストロに声を掛ける。
映画で観たシークレットサービスのようで面白い。
わたしは護衛をしていますよと、周囲にアピールすることで牽制する意味合いもあるのだろうと思った。
店の中にはアントニーがすでに来ていて、手を振っている。彼の傍にいた家僕が、ではわたしはこれで、とその場を離れた。
大人数での移動は逆に目立つので、付いてくるのはここまでとしたのだろう。
「席だけ予約したから、他のお客さんの迷惑にならないようにな」
「うん」
リグドールの言葉に素直に頷いて、アレストロは護衛が椅子を引くのを当たり前のように受け入れて座る。さすが貴族だなあと感心していたら、他の面々も席に座り始めたのでシウもそれに倣う。
そこにウェイトレスというよりはメイドといった格好の若い女性が注文を受けにきた。
ベテランらしく、態度も普通だ。
リグドールから話がちゃんと通っていたのだろうが、しっかりとしていた。
ダメなのは客の方で、チラチラとシウたちが座るテーブルに視線を向けていた。
アレストロなどは慣れたもので、平気な顔をしてメニューを眺めて吟味している。
「これは、どういったものかな?」
メイドウェイトレスが丁寧に説明すると、次はこれといった感じで、完全に仕事の邪魔をしている。
「……アレストロ様、メニューにきちんと説明が載っておりますので、そちらを読んでから注文されてはどうでしょう」
「あ、そうか。そういうものなんだね? うーん、どれにしようか。パンケーキのフルーツ添えというのも美味しそうだ。ああ、それにしても、選ぶというのは贅沢なことだねえ」
リグドールが半眼にしてアレストロを見たら、彼は肩を竦めて答えてくれた。
「だって、いつもは気付いたら目の前に供されているのだもの。考えることもなく、受け入れるのが当たり前だからね」
「……案外、庶民の方が贅沢で自由だよね」
窮屈な貴族の暮らしは絶対に向かないと思っているので、シウは本音をポロリと零してしまった。
途端に視線が集中して、空気読めと自分自身を叱ることになった。
結局、アレストロはパンケーキのアイスクリーム添えを頼んだ。ヴィクトルはプリンアラモード。アントニーがクレームブリュレだ。
それぞれに珈琲や紅茶を頼んでいる。
リグドールとシウはカボチャのパウンドケーキ生クリーム添えを頼んだ。
新商品だったので、どんなものかと確認する意味合いがあった。リグドールも初めて食べるらしく楽しみにしていたとか。
「おお、しっとりしてる。うっわ、美味しい! 俺、カボチャ嫌いなのに!」
「嫌いなのに頼んだんだ?」
「だってー、新作は制覇しとかないと」
「リグのそういうところ、尊敬するなあ」
へへへ、と少年らしい笑みで返されてしまった。可愛いものである。
アレストロたちも美味しいと称賛する。
ただ、早く食べ終わるリグドールやアントニーと違って、アレストロはゆっくりと味わいながら食べるので時間がかかった。
それにしても、まだ朝のうちだというのに少年たちは甘いものでもペロリと腹に入るようだ。若いからだろう。
誰一人お腹いっぱいで苦しいなどとは言わなかった。
後ろに立つ護衛の男性が心持ち嫌そうな顔をしていたのは、きっと甘いものが嫌いだからだ。可哀想なことをした。
シウは、食べ終わって馬車に乗る際にこっそり、御者の男性と共に塩ナッツクッキーを手渡した。甘くなく、ざっくりしていて美味しいと評判のクッキーだから喜んでもらえると思ったのだが、ものすごく遠慮されてしまった。
食べ物を子供からもらっても嬉しくないかと気付いたのは随分と後の事だった。
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