065 生徒いじめ
フェレスは、戦法戦術科の時は「騎獣は連れ込み厳禁」だと聞いていたし、そろそろ成獣に近いので獣舎へ預けていた。
もしここにフェレスがいたら、みぎゃみぎゃ鳴いてケルビルに喧嘩を売ったかもしれない。
まだ子供だというのに、シウを守ろうとする心意気だけは高く、何をしでかすか分からないのだ。
躾も始めているが、本来間違っていないことを我慢させることが多いから、難しい。
フェレスは賢いので分かってくれるとは思うが、今は他の騎獣たちと過ごさせている方が良さそうだった。
フェレスのことを考えていたらケルビルに目を付けられた。
「魔獣チームのチビ、何を笑っている!」
どうやら名前さえ呼んでくれないようだ。
「面倒だ、お前はゴブリンだ。いいな!」
ケルビルはそう言い放つと、もう一人の「魔獣」チームの一員レオンにいやらしい笑みを向けた。
「……お前はオーガか、いや、カニスアウレスがいいか」
鬼か、ジャッカルか。
なんというのか、人を貶めないと気が済まないタイプのようだ。
レオンからものすごい怒気のようなものを感じて、シウは何事もなければいいのにと心配になった。
レオンは森の中で見付けた手負いの獣のようで、ケルビルを射殺さんばかりだ。
小さな溜息を吐きつつ、どうせこの科目は点を貰えなさそうなので適当にやろうかなと考えながらシウはふらふら走り回った。
下位貴族チーム改め人族チームには、通信持ちの双子がいるので連携は結構取れていたが女子も多くいて全体的におっとりしていた。
商人チーム改め、冒険者チームは、反対に男子ばかりで素早いのだが、連携はからっきしだ。
もちろん、庶民チーム改め魔獣チームの連携のなさには負けるだろうが。
「ヴィクトル=ロスラー! 君は風属性が使えるだろう? 剣も扱えるはずだ、もっと踏み込むんだ」
ケルビルは熱く指導しているが、指導が主に下位貴族チームへ集中している。
他に、生徒の名を呼んでは彼等の得意属性らしきものを口にする。
本当にこの学校は個人情報が筒抜けだなあと思いつつ、シウはふらふらしながらも暇なので、意識が逸れているであろう生徒たちの後ろに回っては背中をポンと叩いていた。
「後ろ取ったよ」
小声で告げて、後方に下がるよう促す。
なんとなく嫌な予感がするので、逃げ回るのではなくチームを瓦解させる方向に持っていく。
ケルビルが騒いでいる間に、商人チームから崩していき、更には貴族チームも女子から外して行った。
そうしてケルビルが異変に気付いた時に、それは起こった。
「おい、お前たちは何をしてるんだ。休んでいいと誰が言った。勝手なことを」
「俺たちは負けたんで、こっちに来てます……」
「なんだと!?」
「だって、先生、後ろを取られたら負けだって、前の授業で」
恐々返した生徒に、ケルビルは顔を赤くして怒鳴った。
「負けただと!? 誰にだ、何をやって――」
「おい、黙れ」
静かで低い声がした。
ケルビルのみならず、クラスの皆が声の方へ視線を向ける。
シウの嫌な予感の元が冷たい目でケルビルを睨み付けていた。
「……なんだと? お前、この屑が! そんな口を利いていいと思っているのか!」
「お前も敵チームなんだろ? まとめて攻撃してやるよ」
「カニスアウレスのくせに偉そうな!」
ケルビルは脳の血管が切れそうな顔色で怒鳴った。相手のレオンはふふんとせせら笑って、挑発を続けている。
ああ、もう、とシウは頭を抱えたくなった。
「俺がカニスアウレスなら、お前はパーウォーだな」
パーウォーは孔雀のことで、こちらの世界では魔獣か獣か判然としない生き物だ。その身は不味く、討伐する旨味がないと言われている。というのも魔核がないこともあるのだ。ただし羽の根本には毒があり、弓使いには矢として用いられる。
冒険者の間では「お前はパーウォーだ」というのは「お前はバカだ」と揶揄するようなもので、庶民でも聞いたことはあるだろう。
はたして、貴族たちは意味が分からなかったようでぽかんとしていた。
が、騎士位のケルビルにはどこかで聞いたかしたのだろう、気付いたようだ。
「お、お前、お前はっ、穀潰しのくせに!」
どこをどうしたらその台詞が出てくるのか心底不思議なのだが、ケルビルはとにかく相手を蔑みたいようだ。
「攻撃するぞ、防御しろよ?」
「やってみろ! こちらもやり返してやろう」
宥めるのではなく、教師までがやる気になってしまった。
しようがないので、まだ残っていた生徒たちに声を掛けて離れてもらう。
戦法戦術科の授業は、校庭というよりは屋根のない野外コロッセウムといった場所で行う。
校舎からは離れており、地続きの校庭からすれば数メートル掘り下げて作られていた。
簡素なので、闘技場とは呼べないが、周囲を土壁で取り囲んでいるので万が一のことがあっても被害は抑えられる。
逆に言うならば、何かあっても見え辛い場所だ。
生徒たちの中でも端に寄ったのは能力が低かったり商人チームの者で、幾人か残ったのは貴族の子弟だった。
高位貴族の子らは特に何するでもなく椅子に座ったままケルビルとレオンのやりとりを眺めていた。
最初に攻撃したのはレオンだった。
彼が、それを見せたのは初めてのことだ。
「《天からの光を地に落とせ、雷撃》!」
攻撃魔法を持つ者らしい、詠唱句だった。手加減したのかゆるめの雷撃だったが、生徒たちはそれぞれに驚いたようだった。
ただ、ケルビルは教師なので彼の能力は分かっていたらしく、素早く攻撃を躱すと、ふふんと鼻で笑った。
「大した威力はないな! 所詮その程度よ。生意気な屑に本物の攻撃魔法を教えてやろう! 思い知るがいい! 《踊り狂う火の精霊よ、我が腕となりて炎を撃て! 第二級》!」
詠唱句まで激しい、と思うと同時に、ケルビルの腕から文字通り炎が走った。真っ直ぐにレオンへと撃たれる。
レオンはそれを水属性で防ごうとしたようだ。ただしレベル二しかない。炎撃はレベル二程度で放たれたようだが、水属性では受け止めきれない。勢いもあってレオンの身体に当たりかけた。しかし、咄嗟に半身にしたので掠っただけで済んだ。
それにしても本当に当てにいくとは思わなかった。
万が一にも当たっていたら「軽い火傷」では済まなかっただろう。
「ふん! たかだかレベル二の威力で、その体たらく。俺が本気を出せば、お前のような屑は塵芥になるだろう! 《踊り狂う火の精霊よ、我が腕となりて炎を撃て! 第三級》!」
まずい、と反射的に《探索強化》を行っていた。同時に、
(《軌道変更》)(《空間騙詐》)(《酸素除去》)
幾つかの魔法を展開する。
考える間もなくだったので、余計なことをしたかもしれない。
慌てて辺りを見回したが、ケルビルとレオンだけが唖然としている以外は、生徒たちには何が起こったのか分かっていないようだった。
シウがやったのは、ケルビルの炎撃魔法レベル三から繰り出された攻撃の軌道を逸らしつつ、周辺の酸素を強制的に排除したこと。それらを万が一見られたら困るので、空間壁で取り囲む要領で、空間の認識を少し前のものと詐称したのだ。
ただ、炎撃が途中でフッと消えただけなので不発に終わったようにしか見えず、《空間騙詐》は必要なかったかもしれない。
「な、なんだ、今の」
「……消えた?」
二人が呆然としているところに、ようやく救世主が現れた。
遅いのだ、まったく!
シウは溜息を吐きつつ、コロッセウムモドキの入り口を見上げた。
そこには息せき切って走ってきたであろう学院長が立っていた。
入学式の時に見かけただけの学院長は髪のない頭頂部に大量の汗をかいて、肩で息をしていた。後方にはまだ辿り着いてないのに走るのを止めた学院長の秘書が同じように苦しそうに息をして歩いている。
「何をしている、君たち、は、はあ……」
「グレイバー学院長、お待ちください、一体、何が、どういうことで」
ふうふうと息を吐いて、学院長が野外コロッセウムを見回した。秘書は息も絶え絶えだ。
その学院長の質問に、誰も事情を話そうとしないし当事者たちはまだ睨み合っているので、シウがこそっと近付いて紙を手渡した。紙は中質紙だ。こういった時には低質紙は向かないだろうと思ってのことだった。
学院長は素早くさらさらっと内容を読んでから、ふうと大きな溜息を吐いた。
「……なるほど。もしや、君が通信魔法を?」
「下位の方だったから、通じなかったらどうしようと思いました」
「……ああ、そうか、君か」
学院長は頭が痛いといった様子で手をやり、それから一度強く目を瞑ってから、中央に突っ立ったままのケルビルに向かって静かに声を発した。
「ケルビル=バッヘム殿、君を謹慎処分とする。速やかに学院長室へ来るように」
隣では秘書の男性が目を剥いて学院長を凝視していた。
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